王宮トイレ清掃員、クロイス
「よし、今日もトイレはピカピカだな」
愛用のトイレブラシを構えながら、俺はそう呟いた。
ここはレギオス王国王都、レギオス城。首都として最高峰の品格と豪華さを備える、王の住処にふさわしい建物。
そしてこの広大な敷地のトイレを清掃する――王宮トイレ清掃員、それが俺だ。
トイレから出た俺は、清掃中と書かれた札を外す。
バケツにブラシや洗剤を詰め込み、トイレの外に出た。
昼間ということもあり、廊下には数人の人々が歩いていた。
「見てみて、トイレ清掃員よ」
「しっ、聞こえてるぞ。俺と目があった」
「あんな仕事で恥ずかしくないのかしら? 私ならとても親には言えないわね」
「体力も知力もない、低所得低学歴。子供にはとても見せられないよな」
心無い人々の冷たい声が聞こえる。
そう、俺は世間では底辺と言われている存在だ。
この世界には、大きく分けて四つの身分がある。
神の血を引くとされる尊き存在――貴族。
武術や魔術に長けた戦闘員――兵士。
学問に秀でた研究者――学者。
そして俺たち平民だ。
その中でもトイレの清掃員というのは、商人や鍛冶屋に比べてさらに蔑まれている。
まあ、気持ちは分かるさ。
確かに俺は大学にもいっていない。兵士と戦えるだけの筋肉も存在しない。魔法なんてトイレ関係のごく一部しか使えないから、あってないようなものだ。
それにトイレってのはイメージが悪いからな。俺に罪がなくとも、なんとなく汚いものを避けるように俺自身を避けたくなってしまうということだろう。
でも、誰だってトイレは掃除したくないし、かといって汚いままにしておくわけにもいけない。
汚れ役だけど、誰かがやらなければならない大切な存在。
俺はそう誇りに思っていた。
「おい、トイレ」
鎧を身に着けた屈強なこの男は、この国で兵士たちを統率する存在――騎士団長ガレインだ。
兵士たちの中でも特に俺のことを見下しているらしく、『トイレ』なんて馬鹿げたあだ名で呼んでくる。
「国王陛下がお呼びだ。さっさと部屋に行け」
「陛下が? なんで?」
「俺が知るか。トイレはトイレらしく余計なことを考えんな! ちっ、なんで騎士団長の俺がこんな召使みたいな言伝を……。菌が移ったらどうする……」
ぶつぶつと小言を呟きながら、騎士団長は去っていった。
陛下が俺を呼んでいる、か。
王族が使うトイレを掃除しているのも俺だ。お互い全く顔を知らないというわけではない。
でも陛下とまともに話をしたことなんてない。もちろん俺は平民だから丁寧なあいさつは欠かさなかったが、あの方がそれに答えてくれたことはない。事務的な内容をお話しても、無視されてしまうこともしばしば。
まさか勲章をもらえるとは思っていないが……いったいどんな用事なんだろう?
「陛下、クロイスです。失礼します」
挨拶を済ませ部屋に入ると。そこには一人の老人がいた。
豪華な衣装と豊かなあごひげを携えたこの老人こそ、この王宮の主。
この国の王、アウレリウス=レギオス。
国王陛下その人だった。
俺は玉座の近くまで近寄ると、すぐに頭を地面にこすりつけてひれ伏した。
「騎士団長より私をお呼びだと伺いました。このたびは一体どのようなご用件で……」
「クロイス、お前はクビじゃ」
「え?」
玉座の間で告げられたのは、そんな無慈悲な宣告だった。
「……えっと、俺? クビなんですか?」
「何を疑問に思う必要がある。トイレ掃除しかできない底辺のお前だ。いつクビにしても良かったのじゃが、今日まで働かせてやったのはわしの慈悲ゆえ。いやしくも底辺低学歴でありながら、この王城に仕えられたことを最高の思い出とし、長い余生を農民として…過ごすがよい」
「は、はあ」
「分かったら今すぐ出ていくのじゃ」
「そ……そんな、待ってください。俺の仕事、急に新人がやるなんて無理ですよ。せめて引継ぎの時間を一か月、いや一週間もらえれば……」
俺は焦った。
まさかいきなりクビを宣告されるとは思ってなかったのだ。
この城のトイレ掃除は俺一人ですべて賄っている。だから誰かがすぐ代わりにというわけにはいかないのだが……。
「ははははははっ! こやつ何を言いおるか! 便器を掃除するなど手足のある人間なら誰でもできるわ! そんなものはスキルでもなんでもないっっ! 無能の見苦しい言い訳じゃっ!」
「いやいやいや、本当にまずいですって! 俺のスキルがないと、この城のトイレは……」
「くどいっ! 貴様の代わりにトイレを掃除する者はもう決まっておるのじゃ。人間ではなくエルフじゃがな」
「エルフ……ですか?」
エルフ、という単語を聞いて俺はすぐにピンときた。
確かに数日前、エルフの捕虜たちが兵士の凱旋時に晒されていた。この国は隣国の異民族国家と戦争状態であり、この間は大勝してずいぶんと城下町が浮ついていた。
戦争で負けたエルフが奴隷身分に落とされたというわけだ。
「同じ汚らしい存在なら、せめて見た目だけでも美しい女の方がよいであろう? この優雅な城にふさわしい人員を配置する必要があるのじゃ」
「…………」
エルフは男女問わず美しい。
俺は若いが……美しいというわけではない。エルフと比べられるならなおさらだ。その点について反論するつもりはないのだが……。
「お父様、帰ったわよ」
突然、背後からそんな声が響いてきた。
「おお……エリーゼ、エリーゼよ。こちらに参れ」
「は~い!」
快活な返事とともにこの部屋に入ってきたのは、一人の美少女だった。
銀色の髪は腰辺りまで伸びるロングで、整った体つきをしている。剣と鎧を身に着けた戦士の格好でありながらも、その気品と優雅さは決して損なわれていない。
彼女の名前はエリーゼ=レギオス。
この国の王女にして勇者である。
神の血を引くとされる勇者エリーゼは、女神の力を扱い強力な戦闘力を得ることができる。彼女が持っている剣も、装備している鎧も、そして魔法も身体能力も、すべて女神の力によって賄われるものだ。
この力で魔族と戦うことをもって、彼女は『勇者』と称されている。
そして神の血を引くのは貴族の特権。王族はさらにその血が濃い。だから歴代勇者も全員が王族だ。