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漂流者  作者: 草凪和実
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第一章 忘却の先

「食事はちゃんとしてる?」


精神科医の杉崎先生が穏やかな声で言った。

肘掛けのある大きめのイスの角度を変えた。


こちらの話を聞くためだ。

右手にはボールペン。カルテを書くために手は机につけたままこちらの反応を待っている。


空調のきいた部屋なのでやけに澄んだ空気という印象を与える。机にはデスクトップコンピューターが置かれていた。


ここは大学病院の一室だ。

神楽は、この日、精神科の受診に来ていた。

異常をきたしたわけではないが卒業式以来

なぜか通っている。


理由は不明だ。親も妹も何も説明してくれなかったのだ。


親からは『しっかり治療するのよ』

妹からは『元気出して』

と言われたが首をかしげるばかりだ。


何がどうなってという経緯が自分には全く知らされず治療が続いている。


わかっていることは抗不安薬という薬を暫く飲まないといけないということだけだ。


高校には入学したがまだ一度も通ってない。


―――こんなとこで話してる場合じゃないんだけどな。学校に行かねぇと単位取れないじゃんか。


心の中で思った。


そう高校は中学とは違う。出席日数が足りなければ留年だ。それは如何なる理由があってもそうなのだ。


気持ちが焦る。

早くしてくれと言いたくなる。


「家族と一緒に食べてるかい?」


確認するように杉崎先生が尋ねる。


「はい、最近はいつも」

「いいね」


そう言いながらカルテに文章を書き込む。少し笑みを浮かべ杉崎先生が次の質問をする。


「最近は何してる?」


その問いに言葉が詰まる最近何も出来ないのだ。本を読んでも集中できないし。テレビゲームも死ぬ回数が増えた。だから最近はぐだぐだの生活になっていた。かと言って『何もしてません』とは言いたくない。暇人みたいに思われたくないのだ。


「本も読もうとはするんですがなかなか進まなくて―――」

「なかなか進まないなら、そういうときは読まない方がいいよ。上手くいかないから」


即答。

この先生はこういう人なのだ。勘が鋭いのか要点だけスパッと言う。このクールな感じが最初は嫌だったが今は凄く気に入っている。的確なことをスパッと言ってくれるほうが安心だし、信用できるのだ。だから、同情って言葉は最近好きじゃないんだよな、と神楽は思う。

「最近は寝れる?」

「昼寝はしますが深夜は寝ないことが多いです」


「そっか、寝たいときに寝るのが一番だし、眠くないのに寝ようとしてもイライラするだろうから寝たいときに寝てね」

「はい」


杉崎先生がマウスを動かしパソコンの画面をクリックする。処方箋のデータが出てそのデータがプリンターから、ぐわぐわと音をたてて出てくる。杉崎先生は紙を取るとこちらに渡した。神楽が受け取る。


「今日も、いつも通りの薬を処方しとくから」

「はい」

「次回は来週、この時間に。お疲れ様」


『お疲れ様』は杉崎先生が受診が終わると必ず言う言葉だ。

その気遣いに素直に礼を言う。


「ありがとうございます」


部屋を出て廊下を出ると会計を済まして薬剤師のコーナーに行く。意外と混んでいて薬を貰えたのは一時間20分を過ぎてからだった。


病院から出ると滋に電話をかけることにした。携帯を開いて『か行』を探す。甲斐滋の部分をクリックする。


「―――もしもし?」

低い声が潜めるように言った。

「今、病院行ってきたよ。今日は―――」

「わりっ!またかける!ツーツー」


そこで電話が切れた。

焦った。

なぜ切ったんだ?とか思った。

不味いことでも言ったか?とか考えてると一分後にコールがかかった。


「あれ、なんかまずいこと言った?」


控えめに訊くと滋はなんのことやら分からない様子で


「まずいこと?まずいことって何だ?」


逆に聞き返してきた。だがすぐに理解して


「ああ、今、授業中だったんだよ。だから抜けてきた」


そこで神楽はハッとした。しまったと思った。そうだった。確か滋の行ってる高校は50分授業ではなく90分授業だ。つまり普通の高校とは休んでる時間帯が違う。完全なミスだった。


「ごめんっ滋!90分授業だったね」

「ああ、まあ別にいいよ。俺の学校は結構自由だから。それで?」


神楽はホッとしたと同時に 何を話すかを忘れてしまったことに気付く。


「あ、えーと」

「重要な所だけ言ってみな」


確かなことそれは―――


「順調だって」

「そっか、良かったな」


そう、順調だということだ。


その後、治療は暫く続いた。そして2週間が経ったある日。


「もう、その様子なら学校行ってもいいよ」


思わぬ吉報、そして自分が待ち望んだ知らせ。


「ホントですか?」

「うん、ただ暫くは通院は続くよ」

「ありがとうございます」


診察が終わり薬を貰うと神楽は軽い足取りで病院を後にした。


また、学生生活が始まる。その事になぜか胸が高鳴る。

どんな学校なのか。

どんな奴がいるのか。

そんな想いを巡らせた。


なぜ、そんなに前向きに考えれるのか。普通ならあんな目にあってまで学校になんて行かないのだ。じゃあ、なぜ?


そう、神楽は覚えてないのだ。


あの、卒業式も……

あの、少女のことも……


忘却の先にあるもの。

神楽はそれを、まだ知らない。

アスファルトに朝の光がぼんやりと反射する。神楽は寝ぼけた瞳を人差し指で擦り再び歩き出す。


さっきから、何かが引っ掛かる。


―――何だろう?


高校生活初日はオリエンテーション合宿というイベントから始まった。


朝、団体集合で集まり。グループわけがされる。その光景を見た神楽は、あることを思い出した。


―――ああ、僕は受験に失敗したんだ。


そう、地域で最低ランクの高校に通うことになったのだ。

最低と言ってもどうしようもない連中ばかりしか来ないとかそういうことではない。

ただ学校の先生の価値判断で悪い評価をもらった連中が多いということだ。いつの時代も勉強が出来る、出来ない、に多くの判断基準が設けられる国だ。

『最低の学校』が『最低の人間』というふうに心理のすり替えがあってもおかしくない。そう、こんな風に―――


「お前らは社会性がないから今日から一泊二日の強化合宿を行う。いいか。忙しい中、お前らためにやってやるんだ。真面目にやれよ」


最後に舌打ちまで加えて挨拶が終わった。正確には挨拶ではないのだが誰も言い返すものはいなかった。少し悪そうな茶髪の男子も化粧の濃い女子もだ。ざわつきが沈黙に変わっただけで誰一人逆らう者はいない。


―――僕も逆らわないよ、滋。


こういう心理は大抵普通だ。そうとう異端の人間じゃないかぎりは高卒の資格は欲しいものだ。神楽もどちらかというとそちらの人間だった。滋に受験勉強を手伝ってもらったため尚更、卒業したい意識があった。まだ若い。所詮、高校生なのだ。


「今から移動する」


バスに乗って目的地まで移動することになった。

揺られながら外の景色を見る。少し風が出てきて木々が揺れていた。住宅地からどんどん離れ田舎に向かう。


「カラオケしたいね」

「うん、したいしたい」


後ろの方で女子が騒ぎだした。その声に神楽はビクリとする。神楽は歌は好きでよくカラオケに行くのだ。是非、披露したいのだ。


「先生、カラオケしたいでーす」

ちょっと、活発そうな女子が元気な声で言うがあっさり却下される。


「ダメだ。遊びに行くんじゃないんだぞ」


―――だと思ったぜ。


少し落胆した。バスガイドが気を遣ったのか音楽をかけてくれた。しかし、好きな歌手でもないし、どうでもいい感じだった。


あまりに暇なので先程もらったしおりに目を通す。


合宿の目的―――1、集団生活を通してしっかりとした生活規律を身につける。


ハッと鼻で笑ってみたり。つまり上っ面を磨けと?

日本人への誉め言葉。

1、集団主義

2、秩序

3、経済大国

実はこの誉め言葉、世界的には価値がないらしい。集団行動、集団行動などと散々言われてきたが。他の国から言わせれば『日本人って何で集団で行動するの?』ってことになるらしい。


―――臆病なんだろうな


他人にとっては価値のないものでも自分のなかに価値を見い出すことが出来たほうがいいに決まってる。

他人が認めてくれないと価値がない?

そんなことはねぇよと思う。もし、そうだとしたら音楽やってる奴はみんなプロの作曲家かプロのミュージシャンにならないといけない。小説でも売れなければ価値がないと言ってるようなものだ。大体、価値があるものが必ず消費されるわけじゃないんだ。くだらなくても売れるものは売れる。


―――仕方ないから寝るかな?


神楽は着くまで全力で居眠りをすることにした。


「いいか、この笛が鳴ったら必ず体育館に集合だ。1分以内に来なかったら正座させる」


生活指導教師を名乗ったその男は、そういうと全員解散させた。神楽は部屋に戻らず体育館の入り口に背を預けた。


―――そんな手に引っ掛かるかよ馬鹿が。


考えが大体読めた。部屋でくつろいだ頃にまた鳴らすに決まってる。


―――部屋まで何分だ?僕はここで待つぜ?


「おい!お前何してる?」


先生らしき人物に声をかけられる。神楽は沈黙した。目を瞑り無心になる。


「部屋に戻れと言っただろ?」


返答には困ったが返す気もない。大体、言ってる内容から返して通じる相手だとは思えなかった。


「聞いてるのか?」


―――しつこいな。


「すいません」


言いながら思い切り睨みつける。神楽は眼光が結構鋭い。目にパワーを持っているタイプの人間なのだ。これは天性のもので所謂不良がよく言うような『ガンつける』とは種類が全く違う。

向こうが黙った。


すぐに笛が鳴った。


その日、笛が鳴った回数は合計13回。あまりくつろげぬまま昼食の時間になった。


「お前のこぼした味噌汁が俺の服についたじゃねぇか?どうしてくれるんだ?ああ?」

「だから、ごめんって」


大人しそうな生徒が不良っぽい生徒にからまれてる。神楽はあまり関わりたくないので少し離れた席に座る。


「謝って済む問題じゃないんだよ!」


仲間っぽいのがまた一人近づいてきた。


「大変だな」


金髪をオールバックにした男子生徒はそう言って

話しかけた。高1にしては背が高い170は優にある。


「そのままじゃシミが目立っちまうから俺が盛大に味噌汁かけてやるよ。そしたら茶色いシャツになるからちょうどいいだろ?」


神楽は呆然とした。あれ?仲間じゃねぇの?と思ったが大体金髪なら不良という前提が間違ってたんだと思い直した。


「なんだ、てめぇは?」

「ああ、俺?佐藤学」

「なにフルネーム名乗ってんだよ。なめてんのか?」

「うん、なめてる」


不良が立ち上がった。関わりたくないので神楽は席を替えることにした。しかし次の席に行こうとしたとき右足に鈍痛が走って物凄いスピードで膝を打って両手が床に付いた。食事用トレーを持ってたため変な風に手首をひねって味噌汁が手にかかり生暖かさが広がりすぐにまた冷たくなる。


―――痛ぇ!


誰かに足を引っ掛けられて転んだと気付くまで数秒間かかってしまった。見上げると。


「へへっ。引っ掛かる奴が悪いんだぜ?」


たれ目の少年がこちらを見下ろし笑っていた。その笑いは明らかに面白がっていて神楽の精神を掻乱した。頭の中がグラグラと揺れて不安定になる。視界が揺らいだ。


―――僕は何でここにいるんだ?


確かに中学を卒業したら高校に行くのが普通だ。


―――だが、僕はこんなことをされるために来たのか?

中学の給食ではこんなことなかったのに……。


そこで思考が途切れる。


―――中学?


なぜか、思い出せなかった。滋と遊んだこと滋と勉強をしたこと。それしか思い出せなかった。


白い顔が……

のっぺらぼうの顔が一斉にこちらを向いて笑っている。


―――クラスメイトだ。


思い出せないけど意味付けが出来た。


笑ってる。

口を引き上げて笑ってる。


クスクス、

クスクス、


悪戯っぽく。


クスクス、

クスクス、


クスクス、クスクス、


クスクス、クスクスクス、クスクス、クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス


「―――っ!」



頭の中で絶叫した。この叫びが現実で起こるなら首の筋肉は収縮し首はボキリと音を立てて真横に折れる。真横についた耳は肩に触れ。世界中の人間は邪眼で見つめられたみたいに動けなくなるんだ。


「―――ぁああああああああああああ!!」


目の前の少年の服の襟を掴んで椅子から引きずり下ろす。驚く少年を2、3発殴り、そこで取っ組み合いになった。周りの歓声が上がる。歓声は喧嘩を助長するもので止めるような発言は入ってこなかった。それどころか食器やら味噌汁の器やらを投げまくっている。食堂があっという間に汚くなる。

もう、めちゃくちゃだ。


相手の首の後ろを左手で掴み前に引き上げる。右手で相手の右肩の服を掴み相手の左肩に押し込む。服は簡単には破れない。雑巾を力一杯に絞るような感触を両手に感じながら、それでも力を抜かず首を締め付けた。

右手に全体重をかけて相手の首の急所を圧迫する。


「ぅううううううう」


相手が呻き声を上げたが関係なかった。


―――ぎちぎちぎちぎち


このまま、力を入れ続ければ窒息する。そんなことが過ったがやめられない。


―――狂ってる?


問いかけたが返事はなかった。深い闇が頭の思考を遮断して夜が訪れた。


コンコン


気が付くとベットで横たわってた。扉を幾度となくノックする音で現実に引き戻された。人間は寝てる間に知識や経験を定着させる。そのことが現実から外れる機会だとしたら。夢に中毒を覚えて

還ってこれない人間はもいるかもしれない。それは夢の終焉、それは夢の迷走。



扉を横にスライドして開けると金髪オールバックの少年が外に立っていた。


「大変だったぜ、お前のおかげで」


金髪の少年は怒っている感じではなかったが神楽は陰鬱な気持ちを払拭出来ずただ黙った。まるで夜中にひとりぼっちになった子供みたいに黙る。


「豆乳クッキーな。他の奴には内緒な」


そういって少年はお菓子を差し出した。ありがと、とお礼を言って受けとる。喧嘩すんなよ、そう言って少年が立ち去った。おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。一歩二歩と後ろに下がって立ち尽くす。


真っ暗闇の部屋に廊下の蛍光灯の光が突き刺さり、視界に突き刺さり、心に突き刺った。


ただ、それだけ感じた。


……突き刺さる

……突き刺さる

……突き刺さる


そう……突き刺さる。


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