レゾンデートル
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
長身痩躯の男が河原に佇んでいる。
彼の足元には両腕がない少年が倒れている。下半身を水に埋め、死んでいるのか生きているのかわからない。ただ、抜き身の刀だけを自分の存在理由のように咥えている。
無数の桜花が川を覆っている。
少年の背にも降り積もっている。
その男はすべてが終わった山道を歩いてきた。
残されているのは気を失っている少女。
彼女の佩刀、木花咲耶姫に石長姫。
さらに、聖騎士団を掃討したのを確認したあと崩れ落ち、そのままうつ伏せで倒れているレオンハルト・フォン・アウエルシュタット。
男は近づいてくる大きな影に気づき、身構えた。
「よせ、そんな気分じゃない」
腫れ上がった顔で手を挙げたのはバエルだ。
「失礼だが、君はだれだ」
「英国海軍少佐ロジャー・アルフォード。ソロモンの七二柱序列一位バエルだな」
「おれを知っているということは、そういうことか」
「そういうことだ」
アルフォード海軍少佐は背広の下で掴んでいた巨大銃”悪い冗談”の銃把を放した。
「聖騎士団はどうなった」
「そこで倒れているヴァンパイア殺しのレオンハルトが四人を残して灰燼に還した。四人は撤退した。そこにはアンナマリア・ディ・フォンターナとファンタズマが含まれている」
「こいつはおれを殴り倒したんだ。おれにとってそれは生まれて初めての体験なんだ。だから」
と、バエルはレオンハルトから静へと視線を移し、そして首を振った。
「今日はもういい」
バエルはレオンハルトを持ち上げた。いわゆるお姫さまだっこだ。
「そちらを頼めるか、海軍少佐」
「承知した」
「君はヌナガワ・シズカのことも知っているのか」
「おれは英国情報部だぜ」
港で静を見たときには知らなかったようなのだが。
「ヌナガワ――いや、そうだな、ヌナガワ・カオルも知っているか」
「ヌナガワ・シズカに斬られた」
「そうか。あいつはおれに一服盛ったのだ。おれはあいつを一発殴って、そしてまた相棒に戻りたかった。しかし、そうか」
死んでしまうよ。
いや、もう死んでいるのかな。
アルフォード少佐はそう思ったがなにも言わず、静の体を持ち上げた。こちらもお姫さまだっこで。ふたりは山道を降りていった。
桜が舞っている。
ファンタズマは目を開けた。
見覚えがある。極東の教会の寝室の天井だ。
「!」
ファンタズマは跳ね起きた。そして激痛にうなり声を上げた。
「目を覚ましたか、ファンタズマ」
「騎士団長……」
「よかった」
アンナマリアが言った。
「おまえは三日、目を開けなかった。もうだめだなのかと何度も思った。これだけの騎士を失い、今またおまえを失ったら私はどうすればいいのだ……よかった……」
アンナマリアは目の涙を払い、頬を染めて顔をそらした。
「忘れろ」
「……」
ファンタズマは部屋を見渡した。
騎士は二人。そしてアンナマリア、自分。
「これだけか」
「これだけです」
騎士が答えた。
彼には両腕がない。静に斬られたのだ。だから生き残った。皮肉なものだ。
「おれにはほとんど怪我がありません」
もうひとりの赤毛の騎士が言った。
「かすり傷程度ならもう治りました。おれはただひとり五体満足で生き延びてしまいました。エンツォには腕がないし騎士団長には手首がないし、だれかがあなたを運ばなければならなかったから、だからおれは――でもおれは――」
「泣くな、ミケーレ」
ファンタズマが言った。
「おれを運んでくれたんだな、おまえがおれを助けてくれたんだな。ありがとう」
騎士ミケーレの涙は止まらない。
十九人いた騎士が、今はただの四人だ。
潰滅――だ。
「騎士団長」
とファンタズマが言った。
「あんた、忘れろといいましたね。ごめんだ」
「なんだと」
「白の魔女がおれの為に泣いたんだ。忘れるもんか。いつか地獄の番人どもに自慢してやるんです」
「ファンタズマ、私は修道女としてその名は――」
「帰りましょう、イタリアに」
ファンタズマが言った。
「おれたちのカステル・サントカヴァリエーレに」
横浜。
内戦は終わり、日本は新しい時代へと一気に動き出している。この三年後には初めての鉄道が新橋横浜間に敷かれることになる。
楽団を無駄に引き連れた美女とその護衛の男はここから欧州へ帰っていったし、ただでさえ陰鬱な顔をさらに陰鬱にさせた白いコートの四人組も旅立っていった。
「英国海軍少佐であると聞いたばかりだったのに、なぜヌナガワ・シズカを君に任せてしまったのだろうな。さすがにおれひとりで君たちの海兵隊を相手にするのはやっかいだし、派手がすぎる」
「自制を感謝する」
「ヌナガワ・シズカを英国に連れて行くつもりかね」
「わからない」
アルフォード海軍少佐は首を振った。
「まだ、わからない」
その山のように大きな男も欧州に帰っていった。
「これがいい」
そして静は横浜に出店してきた呉服店にいる。
「それと、これ。袴もいる」
あれから半年。髪もずいぶん伸びた。もう少年とは誰も思わない。
アルフォード海軍少佐にはこの国の民族衣装の値段などわからない。ただ漏れ聞こえてくる値段にぎょっとするだけだ。
「大丈夫だ」
静がドイツ語で言った。
横浜の店だ。番頭は英語ができるかもしれない。
「ぼったくりはさせない」
「助かる」
「これは普段着のための布地だ。そんな高いものじゃない」
その割におれの背広の倍はするようなのだが。
それよりも、いま静が着ているドレス。
フリソデと言うそうだが、審美眼のないアルフォード海軍少佐にも並べられている反物とは比べものにならない豪華なものだとわかる。呉服屋もこのフリソデの静を見たとたんがらりと態度が変わったものだ。横浜に来て数日後にふらりと消えた静が戻ってきたときに手にしていたものだが、どのようにして手に入れたのか言わないし深く聞く気にもなれない。
いつまでにできる? 静が日本語で聞いた。
半月をみていただければ。番頭が言った。
呉服屋を出ると静は口を閉じた。布地を選んでいるときにはそれなりにはしゃいでいたようだったのに、またいつもの不機嫌な少女に戻った。
しかたがない。
この少女は戦争を戦い抜いてきたのだ。若い兵士や新兵にはよくあることだ。
「ロンドンにはいつ?」
そんな状態の彼女には珍しく、自分から話しかけてきた。
「心配しなくても、君のドレスを置いていくことはない」
「そこにあるのだろう、私の存在理由が」
静の言葉に、ロジャー・アルフォードは胸がチリッと痛むのを感じた。
いいのだろうか。
ほんとうにこの少女をロンドンに連れて行っていいのだろうか。
おれは。――。
半年前。旧幕軍が五稜郭に籠城し、正式にはまだ戦争が終わっていない箱館の沖。
静は英国海軍戦列艦の士官用の個室のベッドの上に寝かされていた。
少女であるし、客人であるし、そしてライフル弾を受けた重症患者であるのだし。しかし軍医によると容体は安定している。
というより快癒している。
「どういうことなのかな」
軍医が言った。
「君が彼女を連れてきたとき、確かに銃創があった。しかしライフル弾によるものとは思えないものだったし、もう治り始めていた。そして今は跡形もない。どこに傷があったのか、彼女の軍服で確認するくらいさ」
彼女は奇妙なのです。
人であってヴァンパイアでもあるのです。
軍医は特務機関の人間ではない。そこまで説明するわけにはいかない。ただ、他言は無用だと念を押すだけだ。
「わかっているよ」
軍医は苦笑した。
「やれやれ、怖いな。そもそもぼくらにだって守秘義務があるのだからね。ペラペラ喋ることなんてありませんよ。ただなあ、困るのだよねえ」
「なんです?」
「いや、彼女のことなんだけどね。彼女にはどうやら生きようとする意志がない」
「……」
ベッドの上で静は起きていた。ただ天井を見上げている。ずっとこの状態だ。部屋に入ってきた海軍少佐を見ることもない。
しかし、あの山道で海軍少佐はバエルから聞いた。
ヌナガワ・シズカには一瞬で傷を治す能力がある。
彼女の中のヌナガワ・ハルカがキングのヴァンパイアなのだと。だとすれば、むしろ治るのが遅くはないか。バエルもその点を気にしていた。
「ヌナガワ・シズカ」
声をかけても反応はない。
「おれは君を勧誘する」
アルフォード海軍少佐が言った。
「君の力をおれたちに預けてくれないか。ヴァンパイアと対等に戦える君の力をおれたちの国で使ってくれないか。ヌナガワ・シズカ、この東の果ての国から、西の果てのおれたちの国に来る気はないか」
反応はない。
「おれは君に、君のレゾンデートルを提供しよう」
まだアルフォード海軍少佐を見ない。
しかし静は反応した。
「それはなんだ」
「君が生きていく意味だ」
静の瞳が動いた。
その瞳はロジャー・アルフォード海軍少佐を捉えた。
仏に会えば仏を殺せという。
祖に会えば祖を殺せという。
まだ見たことのない西の果ての国で、私はなにと出会うのだろう。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
笹本助三郎
夏見格之進
シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。
※タキサイキア現象:身に危険が迫ったときに周囲の時間が止まったように見える現象。静とファンタズマが任意に使うことができる。ただしこの状態になった時の二人は視覚以外の五感を失なってしまう。




