桜花繚乱
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
静が舞っている。
両手に大刀の二刀流は、その卓越した太刀さばきとバランス感覚でこなしていたのだが、今では遥のちからを得て破壊力まで増している。その間合いの広さに聖騎士団は近寄れない。うかつに近寄ると静の波状攻撃が来る。
直線的にではない。
一の太刀、二の太刀、体を回転させて自在に打ち込んでくる。
「どうした?」
静が言った。
「奴奈川静は斃されなければならないんじゃなかったの。この悪しき者のなかにキングがいるべきではないのではなかったの?」
斬!
木花咲耶姫と石長姫が振り下ろされた。
騎士の両腕が斬り落とされた。
「うぐうっ!」
静に傷のひとつつけることもできず、次々と騎士が戦闘不能になっていく。
静の戦いをじっと見ているのはファンタズマだ。
まばたきを忘れたかのように苛烈に静を見ている。
どうせ――と、遥は思った。
私は静の中にだけいられるだけの存在。
それならば、静の思い通りにしてあげましょう。死にたいのなら死にましょう。静の望みのままに、もろともに、さあ、私も散りましょう。
「くっ!」
アンナマリアがムチを手に前に出た。
その肩をファンタズマが掴んだ。
「その体でどうしようというのです」
「放せ、ファンタズマ。おまえだって負傷しているではないか。このままでは騎士を失うばかりだ。ただの人に、私の騎士団が――」
「そうです。あなたの騎士団だ。キングに頼る必要はなかったのだ」
「今ごろ意見か、説教か!」
「ヌナガワ・シズカはおれが斃す。あなたは生きよ」
ずいっとファンタズマが前に出た。
「これからあなたにとって不愉快なことが起こるだろう。しかし堪えていただきたい。正直に言わせてください。あなたのその青臭いまでのまっすぐさを疎ましいと思う時もあった。しかし、あなたがまっすぐだからこそ、おれたちはヴァンパイアでも下を向かずにすんだ。ヴァンパイアでも騎士として胸を張れた。どうかあなたはそのままでいてください」
ファンタズマはニッと笑ってみせた。
「われらの騎士団とわれらの騎士団長に栄光あれ」
「おまえはなにを――」
ファンタズマは答えず、アンナマリアから視線を切った。そして声をあげた。
「さあ、ヌナガワ・シズカ!」
その声の武威にざっと騎士たちが道を開けた。
「おれはここにいるぞ! おれを斃してみろ、ヌナガワ・シズカ!」
とん、と静が地を蹴った。
神よ、おお神よ!
ファンタズマは喜びの中で祈った。
それこそが、おれが望んだ最高の形! 感謝します!
静は両刀を振り上げている。ファンタズマは剣を捨て静へと踏み込んだ。それによって両刀の勢いは消されたが、しかしファンタズマの肩深く木花咲耶姫と石長姫が食い込んでいる。ファンタズマは静の両手首を力強く掴んだ。
「アレサンドロ!」
ファンタズマが叫んだ。
静は動けない。
「ロベルト! フランチェスコ! チェーザレ! アンドレア! 撃て! おれに当たるのを怖れるな!」
銃声が鳴り響いた。
静はのけぞった。
静の体を何発もの銃弾が貫通していった。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
「――」
あっと遥は眼を見開いた。
目に飛び込んできたのは青い空。
そして舞う桜花。
青空の片隅から銀髪の男が覗き込んできた。ファンタズマだ。そうだ、静はライフルの銃弾を受けて倒れたのだ。
「ヌナガワ・シズカか? ヌナガワ・ハルカか? どちらでもいい。首を落とす」
ファンタズマは「うっ!」と声をあげた。
肩を深く斬られている。剣を持つのもやっとだ。
「一撃で落とすことはできないかもしれない。それだけは許せ」
静の意識がない。
なのに遥は体を動かせない。なぜ!
「静!」
「静!」
目は動く!?
口は動く!?
「戻ってきて、静!」
『震えているの、静』
『初めての舞台だから』
『私がいる』
『遥』
『私が静と一緒にいる』
『ありがとう、うれしい』
『遥!』
『あなたは遥よ! 私の遥だよ!』
『ねえ、遥。ジャンケンしよう』
『前から思っていたけど、あんた本格的に馬鹿なんじゃないの、静』
『私が右手。遥が左手』
『ああ、なるほど。でもジャンケンの勝ち負けだけ?』
『勝った方は負けた方にデコピン!』
『やっぱりあんた馬鹿の才能あるわ、静』
『やろうよ、ほら! だってつまんないもん! いつもこの部屋ひとりでつまんないもん! 遥がいるのにひとりなんておかしいもん! 寝れって、そんないっぱい眠れないもん!』
『はい、はい。わかったよ、やりましょう。じゃーんけーん……』
『ほぐっ!』
『はぐっ!』
『なんで遥ばかり勝つのーー! そんでもって遥のデコピンなんか強いよ、ものすごく痛いよ、涙でちゃうよ!』
『あんたがなに出そうとしてるのか、なんとなくわかるんだもの』
『ずるい!』
『じゃあ、一回だけ負けてあげる』
『ずるい! でもほんと!? ようし、デコピン……あれ?』
『やっと気付いたの。ほら、デコピンしなさいよ』
『やーーだーー! 遥、ずるい、いじわるーー!』
『あんたがやろうといって、あんたが決めたんじゃない』
『やーーだーー!』
遥の目から涙があふれた。
でも本当に自分は泣いている?
「静が、静が死んじゃう……!」
遥が叫んだ。
発声されているのか自分ではわからない。
「助けて、誰か助けて!」
「今ごろ命乞いか、見苦しいぞ!」
ファンタズマが怒声をあげた。
それは発声されたのを聞いたのか、それとも脳で直接聞いたのか。
「もっと静と一緒にいたいよ! だれか助けて! 私の静を助けて!」
私の静を守って!
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット!!!
銃声が鳴り響いた。
ファンタズマが弾き飛ばされた。
一陣の風が吹いた。最後の桜が絢爛に舞った。
その男が歩いてきた。
足を引きずっている。顔は血で真っ赤だ。片眼も開かないようだ。しかし、その男は桜花が舞う中を確かに歩いてくる。
「待たせた」
レオンハルト・フォン・アウエルシュタットが言った。
林の中にバエルの巨体が横たわっている。
そのアザだらけの顔にも桜花が舞い降りている。
ドン! ドン!
両手のウィンチェスターM1866イエローボーイが火を噴いた。撃ち終わるとくるりと一回転させスピンコックリロード。さらに撃つ。
ドン! ドン!
ドン! ドン!
聖騎士団の騎士たちは次々と倒れていく。
そのまま散っていく騎士もいる。
スナイドル銃を手にした騎士がレオンハルトに銃口を向けた。その騎士も弾き飛ばされた。さらに二人、そしてもう一人、さらにもう一人、スナイドル銃を持つ騎士が散っていく。
ようやく弾が切れたらしい。
レオンハルトは両手のM1866を捨てた。
騎士たちが一斉にレオンハルトへと走った。深く被った中折れ帽の鍔からのぞく口がニイっと笑った。ざあっとレオンハルトはコートを広げた。そこには何挺ものM1866がずらりと並んでいる。騎士たちは慌ててタタラを踏んだ。
ドン!
ドン! ドン!
ふたたび銃の連射が始まった。
ぼんやりと目を開けているのは静だ。
うるさいと思った。
変だと思った。
遥の気配がない。これはいったい……?
「おまえはどっちだ!?」
ざっと、横にレオンハルトが立った。
「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット……。私は生きているのか……」
「そうだ」
「私は死ねなかったのか……」
「そうだ」
青い空に、舞う桜花。さっきまでは遥が見ていた。今は静が見ている。
「どうして……」
静の眼から涙があふれた。
「俊輔……。勇一郎、鉄太郎、静馬、勝之進……。ごめん、ごめん……」
「おまえがもしヌナガワ・シズカなら、おまえはヌナガワ・ハルカに感謝するんだ。あいつがおれを呼んだんだ。おまえを守れとおれの名を叫んだんだ」
「うるさい……。おまえなんか、いつか殺してやる……」
「助けに来てそんなことを言われたのではおれも立場がない。だがいいぜ」
ドン!
ドン!
もう何組目だろう、M1866の連射は続いている。
「おまえがおれを殺しに来るまで、おれは死なずにいてやろう」
静の涙は止まらない。
桜花が舞っている。
この日、明治二年五月十一日。
新政府軍の総攻撃の前に、箱館政府は箱館の町を放棄した。出陣した陸軍奉行並土方歳三は還らなかった。五稜郭が開城し正式に降服したのは一週間ののち、五月十八日のことである。
一年半にわたった日本最大の内戦。
戊辰戦争が終わった。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
笹本助三郎
夏見格之進
シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。
※タキサイキア現象:身に危険が迫ったときに周囲の時間が止まったように見える現象。静とファンタズマが任意に使うことができる。ただしこの状態になった時の二人は視覚以外の五感を失なってしまう。




