静、舞う
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
二人の――二頭の野獣が激突している。
はじめは確かにあった理性はとうに飛び、ただ自分が生き延びるためだけに拳を振るっている。
「うおおおおおおおお!」
「おおおおおおおおお!」
二頭のケモノが吠えた。
右腕に木花咲耶姫。
左腕に石長姫。
静がゆらりと歩く。
「ご覧なさい」
ファンタズマが言った。
「ご決断を、騎士団長。それでもあなたはヌナガワ・シズカを騎士団に迎え入れたいと言うのか」
アンナマリア・ディ・フォンターナは見た。
両腕を切り落とされ、山道から落ちていった少年を。
そしてアンナマリアは震える体で自分の右手首を見た。アンナマリアはウェパル。ソロモンの七二柱のヴァンパイアだ。斬り落とされた手首の血は止まり、すでに再生が始まっている。
「……」
存在しない拳を握り締め、アンナマリアは背筋を伸ばした。
「これは私怨ではない!」
アンナマリアが宣言した。
「私の手首はやがて元に戻る。これは決して私怨ではない。聖騎士団の兄弟よ。私は確信する。ヌナガワ・シズカはここで斃されなければならない。この悪しき者のなかにキングがいるべきではない!」
「さあ」
静の口もとに浮かぶのは薄笑いだ。
「宴だよ」
「やはり、おれがやるしかない」
ファンタズマは前に出た。
「騎士団長の手首を斬り落とし、騎士をひとり両断し、ヌナガワ・シズカの力は皆がわかっている。しかしヌナガワ・シズカは女なのだ。少女なのだ。これは強烈なストレスとなる。騎士団長が命じたからといって、すぐに斬りかかるのは難しい」
そうであるからこそ。
ファンタズマは剣を構えた。
これはおれの仕事だ。おれがヌナガワ・シズカを斬る。
静が近づいてくる。騎士たちも息を呑み二人の対決に手を出さない。しかし、ファンタズマは「あっ」と目を丸めた。ファンタズマはまだファンタズマの状態に入っていない。だから刹那に感じたのは静が背を向けた事実だ。
「闘うとみせて逃げるのか!?」
しかし静はそのまま一回転――四分の三回転して横の騎士の腹を蹴り抜いたのだ。
「――げはあっ、がはっ!」
腹を押さえ、騎士は崩れ落ちた。
なんだこれは!?
ファンタズマだけでなく全員が呆然としている。
さらに静は一回転して別の騎士の今度は側頭部を蹴り抜いた。
「こいつ……!」
二度の奇襲によって、騎士たちは激昂した。
怒号をあげ、静に斬りかかる。
斬!
木花咲耶姫と石長姫が走る。
騎士たちの体を斬り裂く。
アンナマリアはその気配を感じ、ファンタズマを見た。自分に背を向けているファンタズマだが、確かに怒っている。激しく怒っている。
ヌナガワ・シズカ!
おれとの一対一はおまえにとって不足だというのか!!!
おれとの一対一より、おまえは乱戦を選び実行したというのか、おれの目の前で!!!
「いいだろう、ヌナガワ・シズカ」
ガシャッ!
ファンタズマは剣礼を捧げた。
「聖騎士団の双璧、大幹部ファンタズマがおまえにとって不足かどうか、おまえがその体で確かめよ!」
ファンタズマは乱戦の中に突っ込んだ。
もちろん静も見ている。
両刀を持つ両腕をざあっと広げた。
うおっと騎士たちは後退った。
突っ込んでくるファンタズマに木花咲耶姫が振り下ろされた。ファンタズマはそれを避けた。さらに踏み込もうとしたファンタズマは、しかし、それを察知した。避けたはずの剣が跳ね上がってきている。ファンタズマは体を反らし、それを避けた。
なびいたファンタズマの長めの髪の先が、数本斬られて飛んだ。
「これはなんということだ!」
素晴らしいぞ、ヌナガワ・シズカ!
片腕でこんなことができるとは想像の埒外だ。今の技、避けられる者はそういないだろう。おれも今の状態でなければ避けられなかっただろう。たとえ唾棄すべき人物なのだとしても、剣士としてのおまえをおれは尊敬しよう!
「だが!」
ファンタズマは静に迫る。
「おれは幻。おれは幽霊。人におれは斬れない!」
タキサイキア現象を起こしている二人が激突している。騎士たちは手が出せない。
ファンタズマはそれに気づいた。
静がなにかを言っている。
クスクスと笑いながらなにかを口にしている。
タキサイキア現象を起こしている状態では色覚がなくなり聴覚もなくなる。ファンタズマは間合いを取り、タキサイキア現象――彼にとってはファンタズマを解いた。
「無駄な動きが多すぎる」
静はそう言っていたのだ。
「新潟港で見かけて期待してたんだけどな。その程度か。がっかりだ」
ファンタズマは目を剥いた。
静が突っ込んできた。
ファンタズマの表情の変化に、タキサイキア現象が解けたのを確認したのだ。罠だと気づいても遅い。タキサイキア現象に戻るより回避を選択するしかない。ファンタズマは後ろに飛んだ。
「稽古不足」
静が言った。
木花咲耶姫と石長姫がファンタズマの腹部を斬り裂いた。
追撃しようとした静の前に二人の騎士が立った。静は間合いを取った。先ほどまでは混乱と戸惑いの中にあった騎士たちも、もはや静を斃すことだけを明確に考えている。
楽しいな。
静は思った。
あのころのままで、ずっといられればよかったのにな。
勇一郎、鉄太郎、静馬、勝之進――俊輔。おまえたちとずっと剣を競いたかったな。
高子や巫女たちと馬鹿話して、いつまでも大笑いしていたかったな。
唐突に振り袖を着てみたかったなとも思った。
ずっと巫女装束だったから。
みんなはどう思うかな。似合ってるって言ってくれるかな……。
ファンタズマは自分の傷口を手で触り、べっとりとついた血を眺めた。
なんたる失態!
なんたる恥!
「大丈夫ですか、ファンタズマ」
じろりとファンタズマはその騎士を見た。
横浜以来の部下だ。背にスナイドル銃を背負っている。
「アレサンドロ」
と、ファンタズマは言った。
近くにアンナマリアもいる。小さな声になった。
「――」
「えっ」
ファンタズマの言葉を聞いた騎士アレサンドロは声をあげた。しかしアレサンドロの声も小さくなる。
「それは――いけません、ファンタズマ」
「なにがいけない」
「われわれは――騎士です、ファンタズマ」
「見ろ、おれを見ろ、アレサンドロ。おれはもう同じようには戦えないぞ。この傷が癒えるのに数時間はかかるだろう。だがおれたちにはまだバエルとの戦いが残っている。これ以上消耗して、おれたちは騎士団長を守れるのか」
「……」
「頼む。こらえてくれ。叱責はすべておれが負う」
そしてファンタズマはにやりと笑った。
「その時におれが生き延びていたらだがな」
「……」
騎士アレサンドロは同じく銃を背負った騎士に近づき話し込んだ。ちらとファンタズマを見て、二人とも目を閉じた。
すまん。
ファンタズマは思った。
銃を持っているのはアレサンドロと同じ横浜以来の部下だ。その全員が静を囲む騎士たちから離れていく。
おれは傷を癒やすことに集中する。
わずかな時間であっても。
少しでも癒やす。そして一瞬のチャンスをおれが作り出す。
「静!」
遥の声が聞こえてきた。
「もうやめて。こんな自分を痛めつけるようなことはやめて!」
「痛めつけているんだよ。私を八つ裂きにしなければ気が済まないってほどに彼らを怒らせているのさ」
「おねがい、やめて……!」
「もう遅い。私がやめても彼らが止まらない」
圧倒する人数。
ヴァンパイアとしての身体能力。
そして聖騎士団の精鋭でありながら、しかし彼らの剣は静に届かない。
リン!
リン!
静が舞っている。
両手に剣を持ち、奴奈川斎姫が華麗に舞っている。
リン!
リン! リン!
ああ、と遥は思った。
ああ、そうだった。私はいつも死にたかった。私こそいつだって死にたかった。
静のようにきれいでもなく。
静のように自分の体を持たず。
いつも鏡に映る醜い自分を呪っていた。それは誤解だとキングに教えられたけど、それで癒やせる傷じゃない。
なんだそうじゃない。
静の邪魔をする事なんてないじゃない。いっしょに死ねばいいじゃない。
ただそれだけのことじゃない。
静の体を生気が走る。遥のちからを得て、もう静に敵はない。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
笹本助三郎
夏見格之進
シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。
※タキサイキア現象:身に危険が迫ったときに周囲の時間が止まったように見える現象。静とファンタズマが任意に使うことができる。ただしこの状態になった時の二人は視覚以外の五感を失なってしまう。




