アンナマリア
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
「あれはだれ、遥」
静が言った。
「ウェパルのアンナマリア。黒のシズカが所属していた聖騎士団の団長。黒のシズカが黒の魔女と呼ばれたように、彼女は白の魔女と呼ばれている」
遥が言った。
「私は修道女だ。そのように呼ばれるのは好まない」
聖騎士団騎士団長アンナマリア・ディ・フォンターナが言った。
この神秘、この奇妙。
夏見格之進から聞かされてはいた。
しかし現実にそれを見ると驚愕せざるを得ない。喋る毎にこの少女は姿を変えるのだ。人からヴァンパイアへ。ヴァンパイアから人へ。気配は感じない。しかし確かにキングはこの少女の中にいるのだろう。
「しかし今日は私が引き下がるべきだ。わが騎士団はあなたを迎えに来たのだから」
アンナマリアは跪いた。
がしゃっ!
がしゃっ!
騎士たちが剣を抜き一斉に剣礼を捧げた。
「キングよ。あなたを迎えにあがりました」
まずい、と遥は思った。
静は今、機嫌が悪い。それは自分を戦場から遠ざけようとする遥の嘘への怒りなのだけれど、とにかく悪い。そして今、静の体の中で主導権を獲っているのは静の意識なのだ。
「遥」
と静が言った。
「これはいったい、なんの芝居なんだ?」
しかもご丁寧に、日本語ではなくアンナマリアが使った英語で静は言っている。
見ると、剣礼をしたままの騎士たちの顔が微妙に歪んでいるのがわかる。静の言い草に怒っているのではない。彼らはアンナマリアの激しやすさと次に起きることを怖れているのだ。
白の魔女が、くいっと顔を上げた。
案の定、その額には青筋がぴくぴくと浮かんでいる。
「ヌナガワ・シズカ。私はおまえに頭を下げているのではない。おまえの中のヌナガワ・ハルカ、更にはその中にいるというキングに頭を下げているのだ」
「どうでもいい」
静が言った。
「どけ、じゃまだ。私は行かなければならない」
アンナマリアが立ち上がった。
ああ、このギスギスしたやりとり。
黒のシズカの記憶のままだなと遥は思った。
頼むからキングを迎えるって目的を忘れないでくれよと騎士たちは思った。
「キングよ!」
アンナマリアが言った。
「聞いておられるか、キングよ! 私は使徒座聖騎士団騎士団長のアンナマリア・ディ・フォンターナ!」
「声がでかい」
いちいち煽るあたり、静は性格まで黒のシズカに似ているのかもしれない。
遥はそう思ったが、その遥もレオンハルトから黒のシズカよりさらに冷たくさらに性格が悪いと評価されている。
「私は憂いているのだ。我々聖騎士団はヴァンパイアを斃すために作られたヴァンパイアの騎士団。しかしすべてのヴァンパイアを斃し根絶やしにするつもりはない。不可能であるし自己矛盾でもある。我々は悪しきヴァンパイアを、社会に仇なすヴァンパイアを斃すだけだ。しかし、いま人類は銃器の発達によりヴァンパイアを斃す力を得た」
だが、とアンナマリアは言う。
「それでは違う種族による殺戮だ。ヴァンパイアはヴァンパイアによって秩序を保たねばならない。キングよ。あなたという存在を得て、聖騎士団は栄光と威厳を取り戻さねばならない。私は喜んであなたに騎士団長をお譲りしよう!」
「話が長い」
静が言った。
「遥。キングってのはあなたの中にいるヴァンパイアのことだろう。遥が話を聞いてやれ。ただし、私が死んでからだ」
静は腰の木花咲耶姫を抜いた。
はっと騎士たちが息を呑んだ。
「どけ。そう言っている。私は戦場に戻らなければならない。まだ止めるなら斬り捨てる」
「この人数とソロモンの七二柱の私を、おまえ一人で?」
「どこで死のうが同じだ。ただ」
と、静は言った。
「私は戦場で死ぬと誓ったんだ。戦場じゃなきゃ気分が悪い」
ぱあン!
凄まじい音が鳴った。
ムチの破裂音はムチそのものが立てる音ではなく、音速を超えたことによる衝撃波の音なのだという。そのムチがアンナマリアの手にある。
「失礼、キング。その体を多少傷つけてしまうかもしれません。あなたに激痛を与えてしまうことになるかもしれません。あなたの娘アンナマリア・ディ・フォンターナ、お叱りはあとでうけましょう」
ビシィッ!
静の右腕を狙ったムチを、静は体を開いて避けた。
軍服の側腹部のあたりが引き裂かれている。
「遥」
と静が言った。
「簡単に倒せる相手じゃない。邪魔をするなよ」
ヌナガワ・シズカは「ファンタズマ」の状態になるつもりのようだ。ファンタズマはそれを感じた。
おれもファンタズマになるべきか。
いや、あれは視覚を人の何倍もの速さにするが他の感覚を犠牲にする。特に音が聞こえなくなるのは痛い。
ヌナガワ・シズカ。
たとえムチの動きが見えても、それで倒せるほどおれたちの騎士団長は甘くないぞ。
アンナマリアのムチがうなりを上げて走る。
静は顔を覆うように左腕を前に出した。
「馬鹿か!」
ファンタズマは思った。
「相手の武器への著しい無知だ! 腕にムチを絡ませて動きを止めるつもりだろうが、ムチが皮膚を裂き肉を断つ痛みに耐えられる人間などいない! ヴァンパイアであってもだ! ヌナガワ・シズカは激痛でパニックに陥ってしまうぞ!」
しかしファンタズマは目を見張った。
静の左腕は木花咲耶姫の鞘を握っていたのだ。それにムチを絡ませ地面に突き立て、静は鞘を踏み台にして飛んだ。
身動きがとれなくなったのはアンナマリアだ。
ムチを手放せばいいのだが本能的にそれができない。そうと気づいた時にはすでに木花咲耶姫が振り下ろされている。
斬!
アンナマリアの手首が飛んだ。
静はそのまま追撃にはいった。しかしファンタズマが立ち塞がった。静の剣が正確に弾かれた。
「神よ! おれがファンタズマの状態を選んだことに感謝します!」
ファンタズマは祈った。自身では否定的だったファンタズマ状態への移行を済ませていたことに天啓を感じている。
静もファンタズマが自分と同じ技を使えることを知っている。
後へとステップし、ファンタズマとの距離をとった。
ただの人間でありながら。
騎士たちは息を呑んでいる。
その中にヌナガワ・ハルカとキングを秘めているとはいえ、ただの人がソロモンの七二柱と戦えるのか。手首を斬り落とすことができるのか。
「どけ」
静が言った。
「私の意思は伝えた。命を獲らなかったのは温情だ。理解できたならもう私の邪魔をするな」
遥も震えている。
静は強い。でもバエルの時にそうだったように、半分以上は自分のおかげだと思っていた。違う、静は強い。私がいなくても静は強い。
その遥は、あっと意識を空に向けた。
ファンタズマもちらりと視線を動かした。騎士たちも、そして手首を押さえているアンナマリアも。
強力なヴァンパイアが散った。
遥だけはそれが誰かわかる。
黒姫俊輔が散った。
「なにが起きた、遥」
静もヴァンパイアたちの異変に気づいている。
「静。もう無駄だ。戦場に戻る必要はない。黒姫俊輔が死んだ。散ったんだ。黒姫俊輔はそれなりに強力なヴァンパイアだった。だから皆がそれを感じている」
「……」
「俊輔はおまえを死なせたくなかった。だからバエルがいると嘘をついておまえを戦場から遠ざけようとした。下手くそな嘘だった。でも――」
「俊輔が死んだのか……」
「そうだ」
静は空を見上げた。
真っ青な空だ。雲ひとつない。ただ、散り時を知った桜が風に舞っている。
「よかったな、俊輔!」
静の眼から涙があふれている。
「よくやったな、俊輔! 鉄太郎、勇一郎、静馬、勝之進! 私も行くぞ。すぐにそこへ行くぞ……!」
静が歩きはじめた。
涙を流しながら。なのに笑いながら。まるで幽鬼のようだ。騎士たちは避けるようにして静が歩くのを見送っている。
「なにをしている、騎士たちよ!」
アンナマリアが声をあげた。
手首の血はまだ止まっていない。
「止めろ、キングを止めるのだッ!」
騎士団長の声に騎士がひとり静の前に立った。
「どけと――言ったんだ!」
静が吠えた。
彼らは静がソロモンの七二柱を相手に戦ったのを見ている。手首を斬り落としたのを見ている。しかし騎士たちはさらに戦慄する事になる。
両手に持ち替えられた木花咲耶姫が振り下ろされた。それは騎士の体の頭から腰まで両断した。血を噴き出す刹那もなく騎士は霧となって散った。
そして、その雄叫びが聞こえてきた。
ごおおお!
うおおお!
嵐のような、雷鳴のような。
小山のような大きな影が木々の間を縫って走ってくる。
「う、うわ……!」
その方向にいた騎士が対応しようとした。しかし、それは虚しい。岩のような拳が騎士に叩きこまれ、その体はあり得ない形に歪み、そのまま散っていった。
ソロモンの七二柱序列一位バエル。
吠える。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
笹本助三郎
夏見格之進
シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。




