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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
70/77

俊輔散る

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


「見ろ、土方先生は馬から下りない」

 同じ抜刀隊の男が言った。

「あの人がおれたちの大将だ。だからおれたちにも鉄砲は当たらないんだ」

 俊輔(しゅんすけ)は馬上の土方を見上げた。

 何度も降りたほうがいいと忠告され諫言されたらしいが、土方は前線でも馬から下りない。

「銃隊、撃てッ!」

 土方は剣を振った。

 轟音が鳴り響き、硝煙が噴き出す。

「抜刀隊、いけ――ッ!」

 俊輔は飛び出した。

 さきほどの男も負けじと走る。

 銃の時代になって槍も刀も使えなくなった。土方までそう言ったというが、抜刀隊は脅威だ。硝煙の中から真剣を手にした男たちが飛び出してくる。面制圧できるだけの弾丸をばらまける時代ならともかく、この恐怖は圧倒的だ。

 彼らは自分に銃弾が当たるとは思っていない。

 強がりとともに、常に目立つ馬上で指揮を執る土方歳三への信仰に近い信頼として。

「わあああッ!」

 俊輔は畳で作られたバリケードを飛び越え、逃げる兵を斬った。俊輔の突進に敵陣は混乱し、さらに次々と抜刀隊が突っ込んでくる。興奮状態の抜刀隊の侵入を許せば、始まるのは殺戮だ。


「どうだ!」

 と、返り血を浴びて俊輔は思う。

「おれは鬼の土方の抜刀隊だ! 弾なんかおれを避けて通るんだッ!」

 吠える。

 死にたがりと言われる姿は、この時、この今、どこにもない。


 馬を駆り、土方も飛び込んできた。

「勝つぜ!」

 おおっ!と皆が応じる。今日、このちっぽけな通りで勝っても、おれたちにはなにもないのに。

 だからなんだ。

 それがどうした。負けてたまるか。




(しずか)を見失った!」

 (かおる)がパニックに陥っている。

「あれが静か! 違う、あんなのが静のわけあるか!」

「静はもっと輝いて、なんというのかそれでいて眩しいんじゃないんだ。暖かくて優しくて、この世のつらさをすべて包み込んでくれるような……」

「静、ぼくの静。ああ……」

 あぶなそうな兄貴だが、使えそうではある。

 レオンハルトは少し前にそう思ってしまった自分を恥じている。あぶなそうな兄貴じゃない。あぶないだけの兄貴だ。望遠鏡で箱館の町を探しながらポエムまでつぶやきはじめてるじゃねえか。

「ヌナガワ・シズカがまだ五稜郭にいる可能性は」

「ある。しかし上官である土方歳三と同藩出身である黒姫(くろひめ)俊輔が出陣していて静だけが残される可能性は低い。そもそも土方は銃の斉射の後で抜刀隊を突撃させる戦法で敵陣に侵入している。静を、少年剣士として名を馳せる内藤隼人を使わない理由がない。実力的にも、相手への威嚇としても」

「君がやろうとしたように、すでにそのクロヒメ・シュンスケがヌナガワ・シズカの正体を上官にばらしている可能性は」

 薫は望遠鏡から目を離し、レオンハルトを見上げた。

 そして望遠鏡に目を戻し、

「ある」

 と言った。



「静は大名の娘だ。そして奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)だ。大大名の当主に匹敵する正四位下(しょうしいげ)の位階を持つ。そんな静が戦いとその中での死を望んだとして、まわりはどう見るだろうか」

「姫さまの気まぐれ、だろうな」

 レオンハルトが言った。

 薫はそれにはこたえず、望遠鏡を覗き続けている。

「静は甘やかされて育った」

 薫が言った。

「本人は否定するだろう。いつも孤独だったと怒るだろう。確かに赤子の頃から引き離され、父母の愛を知らないのは悲しいものだったろう。さみしいものだったろう。だが静ほど恵まれた娘がほかにどれだけいるというのだ」

 人間の欲望に果てはない。

「無い物ねだりには底がない。静は大社(たいしゃ)以外の世界を知りたがり、仲間を欲しがり、そしてその仲間が語ることを自分の考えであるように錯覚してしまった。与えられた斎姫としての役目より、そちらが自分で探し当てた役目であるはずだと思い込み願った。そして幼い熱情のままで家を飛び出してしまった」

「幼いというが」

 黙って聞いていたレオンハルトが口を挟んだ。

「君と同い年なのだろう、君は双子の兄なのだから」

「本人に聞いたわけでもない静の心情を語れるのは、おれが同じような渇望を感じたことがあるからだ。おれには幼い頃から五人の学友がいた。将来はおれの幕僚になる頭も良く家柄もいいやつらだ。おれはあいつらがうらやましかった。おれよりはるかに自由に見えた。だがおれは何を望めばいいんだ。おれがあいつらと同じ立場になる事か。あいつらの誰かと立場を入れ替えることか。それを望んでなにが叶うと言うんだ」

 もっとも。

「大名といっても、おれの家は吹けば飛ぶような弱小だ。揺るぎない大藩とは違う。おれはそれを幼い頃から思い知らされていた。静は違う。臣の女として事実上静を超える地位の女はいない。そして大社は豊かだ。静の幼さだけを責めるのは酷というものだ」

「とにかく、ヌナガワ・シズカはまだ五稜郭に残っている可能性があるのか」

「……」

「どうした、ヌナガワ・カオル」

「おれが嫉妬した男がいる」

 望遠鏡を覗きながら薫が言った。

「五人の学友のひとり。黒姫俊輔があそこで走っている」




 当時の日本人としては長身。

 土方歳三の影響もあって髷を切り、フランス陸軍風の軍服に身を包み、手には日本刀。

「わあああ!」

 黒姫俊輔が走る。

 返り血で、もう顔は真っ赤だ。

「押せ押せ!」

 土方が声をあげる。

「弁天台場はすぐそこだ!」




「レオンハルト殿!」

 レオンハルトと薫がいる丘を坊主頭の男が登ってくる。笹本(ささもと)助三郎(すけさぶろう)、なにやら派手な軍服を着ているのはシャルロッテ・ゾフィーの楽団に入れられたからだ。なにを演奏するのだろう。

「奴奈川静をお捜しですよね。ところでこの奴奈川静さんそっくりな人はどなたです」

「兄貴だとよ。それでヌナガワ・シズカを見つけたのか、助平」

「助三郎です。凹凸がないところまでそっくりですねえ、うふふ。ああいえ、私じゃなくて格之進(かくのしん)の方なんですがね。あいつ、今は聖騎士団の下働きをしてて、今も元町(もとまち)の教会で留守番してましてね。聖騎士団は二四時間奴奈川静を監視してるんですよ。レオンハルト殿とこっそり逢い引きしていたのも聞きましたよ。うふふ」

「余計なことを言うな。あれはただの会見だ。で?」

「奴奈川静は官軍総攻撃の報があってまもなく、単身五稜郭を出たそうです」

「!」

「!」

 助三郎は箱館の町とは反対方向へと指を向けた。

 桜が咲く山へと。

「あそこに聖騎士団と奴奈川静がいるようです。楽団の仲間も確認しました」

 へえ。

 レオンハルトは中折れ帽をがしがしと押さえた。

 陣取り合戦にハルカが勝って軍を脱走したのか? 聖騎士団は余計だが……。

「なんだって、あの山には――」

 薫は激しく動揺している。

「あの山にはバエルがいるんだぞ!」




「土方先生ッ!」



 そしてその声が聞こえてきた。

 何度目かの突撃の中で、俊輔は振り返った。

 新政府軍の兵士たちの目の前で俊輔は振り返ってしまった。俊輔の目に映ったのは馬上から落ちていく土方歳三の姿だ。そして俊輔の体を銃弾が突き抜けていった。

「あっ」

 と、俊輔は胸元を見下ろし、新政府軍へと体を向け、しかしまた後ろを振り返った。

「おまえは要らねえ」

 そう言った人が落ちていく。

「おれのために死んでくれるか」

 そう言った人が地面に叩きつけられている。

 ドオン!

 ドン! ドン! ドン!

 さらに俊輔の体を銃弾が貫いていった。




 レオンハルトが振り返った。

 助三郎が振り返った。

 それを見た薫は予感を感じ、望遠鏡を先ほどの通りへと向けた。


 トリスタン・グリフィスが空に顔を向けた。


 桜咲く山中でも、白いコートの聖騎士団が空に顔を向けた。

 白の魔女もファンタズマも顔を上げた。




 黒姫俊輔は笑っていた。


 恋をした。

 仲間と走った。

 鬼の副長に声をかけてもらえた。


 ああ、なんだかんだ、おれのこれは贅沢な人生だったんじゃないか?


 勇一郎(ゆういちろう)

 鉄太郎(てつたろう)

 静馬(しずま)

 勝之進(かつのしん)


 たくさんの土産話がある。

 おれたちにもあの世があるなら、きっとそこで会おう。




 明治二年五月十一日。

 箱館政府陸軍奉行(なみ)、土方歳三死す。


 同時刻、黒姫俊輔が黒い霧となって散る。

 だれもが目を疑った。

 しかし次の瞬間には、だれにとってもそれは忘却の彼方にある。そこでは激しい戦闘が続いていたのだから。土方歳三の体も回収できず、墓すらない。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


笹本助三郎

夏見格之進

シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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