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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
7/77

殺気

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 ヴァイオレット・アンダーソン嬢は、まだ若く、素敵な美人さんだ。

 お金持ちの叔母がいて、なに不自由なく暮らしているのだという。男友達も多く、あけすけな話題と表情。保守的な淑女方には距離を置かれているが、そんなことはどうでもいい。毎日がとても楽しいのだから。

 そのヴァイオレット嬢が貸本屋で今夜を過ごす本を見繕っていたとき、ちらりとその姿が見えた気がした。

 あざやかな色彩。

 ()()()だ。

 パリの万国博覧会に展示され、その華やかな異国情緒が評判を呼んだ異国のドレスだ。店を見渡したが、もう見ることができない。

 気のせい?

 ヴァイオレット嬢は首をひねった。

 私の視力と認知力は人とはモノが違うのだけど。

 しかし、貸本屋を出てヴァイオレット嬢は気づいた。少し後を、キモノ姿の黒髪の少女が歩いている。この霧と伝統の街で、あんなものを着て街を歩く子がいるのか。はねっかえり。まるで私のような。

 くすりと笑ってヴァイオレット嬢はもう一度振り返った。

 キモノの少女はどこにもいなかった。

「……」

 さすがに気持ちが悪くなってきた。



「あれが、()()()()()()というやつですか?」

 箱馬車の窓から覗いていたヘンリーが言った。

「おれに聞くなよ。まあ、シズカがマルタイにプレッシャーをかけはじめたらしいのはわかるな」

 ロジャー・アルフォード海軍少佐が言った。



 この日、掃除屋から(しずか)にもちこまれたのは、女性ヴァンパイアの判別だ。

「上から、はやく処理しろとお達しがあるのだが、困っている」

 渋面の少佐が言った。

「金持ちの叔母がいるというが、調べても出てこない。若く頭の軽い金持ちの男に近づき、やがてその男たちは消えてしまう。飽きたか金が切れたか扱いが面倒になったりしたら殺しているのだろう。だが、証拠がない。せめて殺人事件だと確定できればそれを理由に排除できるんだが、それすらもまだできていない」

「でも、その男たちは、誰も帰ってこないのだろう?」

「そうだ。良家のボンボンばかりなので密かに問題になっている」

「なぜ私に、その話をする?」

「おまえは、対峙すれば吸血鬼だとわかると言った」

 静は軽く首を傾けた。

「勘のようなものだとも言ったぞ。英国人は、少し話せば相手が社会のどの階級に属する人物かわかるときく。それと同じ程度のものだ。それで相手を斬れというのか?」

 少佐はしばらく考え込んだ。

 静もなにも言わなかった。

「おまえの言う通りだ」

 少佐が言った。

「証拠を揃えよう。上から急かされてもMがなんとかしてくれるだろう」

「ロジャー」

 と、静が言った。

「なんとかなるかもしれないよ」



「目立つだろう。あそこの真っ黄色の派手なドレスの女だ」

 通りに停めた箱馬車の中で少佐が言った。

「で、わかるのか。その――()()とやらで」

「これだって、確実な方法じゃない」

 静が言った。

 静によると、「殺気」とは恐怖のことであるらしい。

 恐怖を感じれば猫のように過敏になる。うまくコントロールできれば、相手のほんの些細な変化を察知して次の行動や狙いを予測することができる。それが「殺気を感じる」ということだ。だけどコントロールできなければ、ただ恐怖が肥大して理性を飲み込んでしまう。

「私はその女を追い込んで、本性をさらけ出すように仕向ける。結果として、ヴァンパイアの目を確認できるかもしれない。彼女が鈍感で、私の腕が未熟だったらそれまでだ。努力はする」

「おや」

 と、少佐が言った。

「やっこさん、おあつらえ向きに近づいてきてくれたぜ。よーく顔を見ておけよ、シズカ。相変わらず年をわきまえないド派手な帽子に、侍女(レディスメイド)でもなく従僕(ヴァレット)を連れて……あれ?」

「……あれ?」

「……あれ?」

 その年をわきまえないド派手な帽子の女性は、迷いなくまっすぐに静たちの箱馬車へとずんずんと歩いてくる。やがて馬車の脇に立ったのは、長身痩躯、幼い頃から彼女に仕えている老従僕ハワードを連れたレディ・マンスフィールドだ。

「あんた、なんでシズカに私を退治させようとしてるの!?」

「M!?」

「M!?」

「待て、その毒婦ってレディ・マンスフィールドのことだったのか!? 私にレディ・マンスフィールドを斬れというのか、ロジャー!?」

「いやちがう! マルタイはもっと若い! あれ、なんでおれは素で間違えてしまったんだ!? このおれが、こんなミスをするだと!?」

 少佐は激しく動揺している。

(ためらいもなく間違えましたよね、少佐……)

 ヘンリーは思った。

(「年をわきまえない」って言っちゃったよね、ロジャー……)

 静も思った。

(毒婦とかいうと誰かさんだと思っているから、無意識にやっちゃったんだね……)

 静とヘンリーの二人は、顔を合わせてうなずきあった。

「さっさと入れなさいよ、無礼ものっ!」

 仁王立ちのレディ・マンスフィールドが言った。



「いやああああんんーー、シズカ、かわいーーいーー、かわいーーいーー!」

 馬車にはいるなり、レディは静を抱きしめて放さない。

「ああん、シズカの頬、ぷにぷにで柔らかいーー!」

「あの、レディ・マンスフィールド。シズカはこれから掃除なのですが……」

 この惨状に、顔を片手で覆った少佐が言った。

「だから、私がきたのよおおーー! シズカを元気づけてあげるのおおーー! 終わったら力いっぱいねぎらってあげるのおおーー! がんばれーがんばれーシズカああーー!」

 慣れっこなのか静は目を半眼にさせて黙っているが、すごく嫌がっているのはわかる。

 憐れだ。

 かわいそうだ。

 少佐とヘンリーは思った。

「ねえ、シズカ……。あなたは知らないかもしれないけど、おっぱいって大きいものなのよ……」

「! さ、触らないでください、レディ!」

「うふふ。あなた、きっと、日本におっぱいを置いてきちゃったのね。私のは触っていいのよ、シズカ……」

「や、やめてくださいッ!」

「うふふ……」

 ああ、もう今日の掃除は無理だな。

 少佐とヘンリーは思った。



 しかし、静はプロフェッショナルなのだった。

 我慢強い大和撫子なのだった。

 脳みそがとろけて出てきそうなレディ・マンスフィールドのおっぱい攻撃から、雄々しく立ち上がったのだった。



 キモノの少女が現れては消える。

 見ないようにしても、あざやかな色彩が眼に刺さる。誰。なんのため。

 恐怖。

 人でなくなってから久しく感じたことがないどす黒い存在が、じわじわとヴァイオレット・アンダーソン嬢を縛り付けていく。そして、その声が聞こえてきた。

「おまえの正体はわかっている」

 ヴァイオレット嬢は悲鳴をあげた。

 道行く人々が振り返った。

 ヴァイオレット嬢は駆け出した。路地裏へ、人のいないところへ。

「だめよ!」

 ヴァイオレット嬢は片眼を押さえた。

「人前で変わらないで。誰もいないところまで待って!」

 だが、自分で選んだつもりの道も、そこに誘い込まれているのだと気づくことはない。



「急ぐわよ!」

 レディ・マンスフィールドが馬車から飛び出した。

 スカートを掴み、走っていく。速い。従僕のハワード、そして少佐とヘンリーも後を追う。

 シズカに何かが起きたのか!?

 Mのシズカアンテナは無駄にあなどれないのだ!

「今日のシズカはハカマをつけていない!」

 レディが言った。

「それが!?」

「つまり!?」

 少佐はコートの中の巨大拳銃”悪い冗談”の銃把を握り、ヘンリーはカービン銃を納めた楽器ケースの感触を確かめた。

「つまり! 今日は、裾からのぞくシズカの生足が拝めちゃうのよおおーー!」

 このおばさん、事故にみせかけて背後から撃ち殺してやろうか。

 少佐だけではなく、温厚なヘンリーまでもがそう思ったのだった。

 老従僕のハワードだけは「それはお嬢さま、急がねばなりますまい」とゆったりと何度もうなずいた。追いかけながら。



 ヴァイオレット嬢は足を止めた。

 陽光も届かない薄暗い路地裏の向こうに、あのキモノの少女が立っている。

「はあ、はあ」

 なぜだろう、視野が極端に狭い。

「はあ、はあ、はあ」

 わずかしか走っていないのに、ヴァイオレット嬢は肩で息をしている。うまく呼吸ができない。体が自分のものではないようだ。

 静が刀の鯉口を切った。

 ヴァイオレット嬢には、その音が意味することなどわからない。しかし、その鍔鳴りはヴァイオレット嬢の緊張の最後の糸を切った。その両眼が黄金に輝いた。ヴァイオレット嬢は狂乱し、静に襲いかかった。

「嬲っているようで、この方法はもう使いたくないな」

 キモノの少女がなにかを言っている。

「名乗りたい名前があるなら言ってくれ。伝えるよ」

 うるさい、死ね。

「わかった」

 静は深く踏み込んだ。

 一閃。

 ヴァイオレット・アンダーソン嬢は塵となって散った。



「ほう」

 物陰からのぞいている青年がいる。

「珍しいものを見ることができた」

 トップハットに仕立ての良さそうなコート。ただ、靴音がしない。ゴム底なのだ。青年はステッキを小脇に挟み、密かにその場を離れていった。


 追いついてきたレディに、静はもみくちゃにされている。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


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