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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
64/77

五稜郭

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 (はるか)が「ヴァンパイアなら体の一部を失っても大丈夫だ。心配するな、またもと通りになるから」と言いだしたときには、本当にどうしようかと(しずか)は思った。

 もちろん、その対象はのん気な二人だ。

 自信満々に静を海に誘い出し、あっさりと遭難してしまった二人だ。

 遥のどすグロい視線の中に置かれた二人は、しかしここで火事場の馬鹿力を発揮したのだった。やったことはむしろ細々としていたのだが。

 自分の頭髪をハゲができるほど抜き、縛り、まずは糸を作った。

 そして餌。

 遥が「だから、体の一部失っても元に戻るから」とにっこりと笑って脅すなかで「そうだ、フジツボだ!」と海に飛び込み、そして回収してきたのだ。船底からフジツボを。「ちっ」と遥が舌を鳴らしたのはなんだったのだろう。

 そしてのん気な二人は釣りを成功させたのだった。

 あとは水だが、これは雨を待つしかなかった。

 水を貯められるのは、それぞれがひとつずつ持っていた竹の水筒だけだ。あとは雨が降ったときに口を開けて飲めるだけ飲んでおくしかなかった。春の前でよかった。夏でなくて初夏だったとしても三人の干物ができあがっていただろう。

 海を彷徨ってひと月。

 男たちの頭から頭髪が消えた頃、三人は外国の蒸気船に拾われた。




「あんた、なにしてるのよ」

 箱館の外国人向けホテルでシャルロッテ・ゾフィーに詰問されているのは笹本(ささもと)助三郎(すけさぶろう)だ。

「おまえはなにをしているのだ」

 元町(もとまち)の教会で聖騎士団大幹部ファンタズマに詰問されているのは夏見(なつみ)格之進(かくのしん)である。

「急に報告が届かなくなって慌てて箱館まで来てみたら……」

「監視対象者と一緒に遭難しているとはどういうことなんだ」

「面目次第もございません」

「面目次第もございません」

 頭を丸めようにも、もとより髪がない。



 長身痩躯の欧州人が通りを歩いている。ホテルの横を抜け、教会の前を歩き、そして山を見上げた。桜が咲き始めている。

「あの二人、どこにいったんだろう」

 澄んだ声が聞こえてきた。

「蒸気船に救われたときには三人とも半死半生だったし自粛したが、もう大丈夫だ。今度姿を見たら斬ってやる」

 見れば、フランス風の軍服を着た少年だ。いや、少女か。

 そこで長身痩躯の男は少女から視線を切った。だから少女がヴァンパイアの姿になっているのに気づかない。

「静、桜だ」

 少女が言ったのが聞こえた。

「私たちが旅に出て一年が経ったんだな」

 私たち?

 振り返ったときには、少女は人の姿に戻っている。

「一年、経ったんだね、遥」

 少女が言った。

 長身痩躯の男は小首をかしげながらも視線を戻し、箱館の町を歩いて行った。




「わああああ!」

 黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)は剣を手に先頭を切って走った。

 銃の時代にはなったが、それでも抜刀隊の威力は凄まじい。

 旧幕府軍――箱館政府の頼みの綱は榎本(えのもと)武揚(たけあき)が率いる当時日本最強の艦隊だった。しかし旗艦開陽(かいよう)がすでに座礁沈没。ひと冬のうちに壊滅状態にある。

「こりゃあ、だめだな」

 箱館政府陸軍奉行(なみ)土方歳三もそう考えざるを得ない。

 制海権を奪われ、あとは青森に集結した新政府軍の総攻撃がいつあるかと言う状態だ。今までは転戦すればよかった。北に向かえばよかった。しかし、もう後がない。

「何日かは稼いでみせる。しかしそれだけだ」

 土方の隊が守る二股口(ふたまたぐち)は新政府軍をよく防いだ。しかし退路を断たれる危険におよび、五稜郭(ごりょうかく)に撤退せざるを得なかった。



 土方は小姓として京都から土方に従っていた市村(いちむら)鉄之助(てつのすけ)少年を自室に呼んだ。

 愛刀和泉守(いずみのかみ)兼定(かねさだ)。そして自らの髪。

 写真まである。土方を写したあの有名な写真だ。

「こいつを届けてくれ。日野にいるおれの義兄、佐藤彦五郎は知っているな。そこに――」

 あっと、市村鉄之助は顔を上げた。

「なぜ俊輔にやらせないのですか!」

「なんだって」

「おれはずっと先生についてきたんだ! おれのほうが長いんだ! なのになぜおれで、俊輔じゃないんですか!」

 この時、土方は怒声をあげたという。

 しかし市村鉄之助も引き下がらなかった。腹を斬るとまで言った。

「きっと届けろ、鉄之助!」

 土方が言った。

 市村鉄之助は大声で泣き、やがて託されたものを手に部屋を出て行った。

「俊輔」

 と、土方が言った。

「いるんだろ、入ってこい」

 戸の陰から目を伏せた俊輔が現れた。

「本当ならおれの役目だ。市村さんには悪いことをした。恨まれますね」

「余計な心配してんじゃねえよ。おまえを呼んだのは別の話があるからだ。なあ、俊輔」

「はい」

「おまえ、とりすたん・ぐりふぃすってのを知っているな?」

 それは俊輔にとって激しい衝撃だった。

 土方の口からその名前が出てきたのだ。

「おまえの話を聞きたい」

 いや、と土方は頭を振った。

「聞くまでもないな。おまえは後悔している。そうだな」

「先生――」

 迫る俊輔を土方は片手を上げて止めた。

「ばかなことを聞いた。行っていい」

 土方が言った。



 トリスタン・グリフィス。

 あの男がまだ日本にいた。そしてここまで追いかけてきた。自分たちを鬼にしたヴァンパイア。強力なソロモンの七二柱のひとり、ダンタリオン。

 やめてくれ。

 おねがいだ。

 先生を連れて行くな。

 先生をおれたちのような魔物にするな、トリスタン・グリフィス。

 まだ咲き始めだというのに桜の花びらが舞っている。夜の闇の中でもそれが見える。それは自分が鬼だからか。それともただ当たり前の風景だっただろうか。もう覚えていない。

「!」

 闇の中をトリスタンが歩いている。

「トリスタン・グリフィス!」

「やあ、黒姫俊輔」

 振り返り、トリスタンが笑った。

 俊輔は走った。

 感覚がおかしい。

 まるでふわふわと、幻の中にいるように感じるのは桜のせいだろうか。

「先生を連れて行くな!」

「君に意見されることではない」

「先生を汚すな! 先生を人として死なせてくれ!」

「彼の人生だ。私のでも君のでもない」

 俊輔は剣を抜いた。

 しかしそれはトリスタンのステッキの仕込み刀に防がれている。

「わきまえろ。君は私のスードエピグラファだぞ。それともここで死にたいか。戦争で死ぬんじゃなかったのか」

 俊輔の両眼から涙が流れ落ちた。

「お願いだ……」

「君のお願いはすでに聞いた。ふたつも求めるのは欲が深いぞ。私にはセーレという友人がいてね。彼は百年を旅して自分の体を求めている。私と世界を巡りながらね。そろそろ彼も体を得ていいだろう」

「お願いです……」

「さようなら、黒姫俊輔」

 トリスタンは歩いていった。

 桜が舞う。

 俊輔は泣いた。

 自分が死にたいのに、自分たちが負けるのはいやだと思った。自分は死を望んでいるのに、人の人生が心配だ。おれはむちゃくちゃだ。

「なぜ泣いているんだ、黒姫俊輔」

 その澄んだ声は桜の木から聞こえてきた。

 五稜郭の大きな桜。

 俊輔はまだ幻の中にいるのだと思った。桜が見せてくれる夢の中に。

 おれは鬼じゃなく、ただの少年として育ち。そしてあなたは斎姫ではなく、おれの許嫁として育ち。そしてあなたはおれの胸に飛び込んできて言うのだ。

「お嫁に来たよ!」

「こんどこそ、お嫁に来たよ!」

「もう置いてけぼりにしないで!」

「もう逃げないで。もう私から逃げないで!」

 そういえばあの小屋に置いてけぼりにしたんだっけ。

 あれ、どうだったかな。

 逃げるって、おれは逃げたわけじゃない。ただ転戦していただけですよ、斎姫さま。



 奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)、静。

 目の前に広がる幽玄な桜の前に立っている。



 なんて幻だ。

 なんて甘美な夢だ。

「黒姫俊輔、おまえも髷を切ったんだな」

 幻が言った。

 俊輔は目を見張った。

 ちがう、幻じゃない――!?

「斎姫さま……?」

「そうだ」

「ここまで、こんなところまで……?」

「そうだ、私は来たぞ」

 静が目の前にいる。俊輔の涙は止まらない。

「遥が言ったんだ。生きていれば、いつかどこかの戦場で会えるだろうさ――さあ、会えたぞ、俊輔」

 俊輔は駆け寄った。

 前にも一度、まだ奴奈川藩の少年だった頃、静を抱きしめたことがある。いや、そうだ。あれはたった一年前だ。一年前の今ごろだ。まるでずうっと昔のことのようだ。

 その時には「ご無礼」と言った。

 しかし今度はなにも言わずに俊輔は静を抱きしめた。

「ああ、おまえの匂いだ、俊輔」

 静が言った。

 俊輔は泣いている。

 まるで子供のように、あけすけに声をあげて俊輔は泣いている。



 明治二年、春。彼らの旅は終わりに近い。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


笹本助三郎

夏見格之進

シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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