表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
63/77

ふたり

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 年が明けて明治二年。

 出会ってはいけないふたりが出会ってしまった。


 火花散らせて。


 そこは街道から外れていた。

 ふたりは街道を避けて旅をしていたから。

 そこは東北で、このとき春はまだ遠かった。

 ひとりは二メートルを超える巨体。横にも大きい。どこからどう見てもひときわ屈強なゴリラだ。そしてもうひとりは一六五センチの華奢な少年。長い前髪をたらし、涼しい目元を隠している。

「キングをどこにやった」

 ゴリラが言った。

「おまえはだれだ」

 少年が言った。

「今のおまえにはキングの気配がない。どこにやったのだ」

 残念ながら少年はゴリラの存在を知らなかった。

 だから、「いったいこれはなんという生物なのだろう。人の言葉を使うようだが」と考えている。




 奴奈川(ぬながわ)藩藩主奴奈川日向守(ひゅうがのかみ)の嫡男、(かおる)が死んだ。

 慶応四年、のちの明治元年初夏のことである。

 実際には何者かに胸を斬られ養生していたはずが、その床から姿を消したのだ。「おれは(しずか)を追う。死んだものと思ってくれ」そう書き残して。

 すでに奴奈川藩の屋台骨ともいえる奴奈川大社の生き神さま奴奈川斎姫(さいき)である静が出奔している。秋の例大祭に向け、斎姫(だい)黒姫高子(たかこ)を中心に急ぎ体制を整えている最中だ。

 そこに、若殿出奔である。

 しかしこの混乱の家中で奥方さまは言ったのだという。

「あの子たちは神さまからの授かり子ですから」

 家臣たちは愕然とした。

「わかっておりました。(かおる)(しずか)(はるか)。あの子たちは不思議な子たち。私のもとに留めてはおけない子たち。ただ、この母のもとから離れても、三きょうだいどうかいつまでも健やかにお過ごしください。母はそれだけを願っています」

 家臣たちは恐怖した。

 そんなちょっと素敵なこと言ってみましたで世継ぎである薫の出奔を、奴奈川斎姫である静の出奔を捉えているのか。この不思議ちゃんに差配させたら奴奈川家は崩壊してしまう。あれもこれも殿が上洛して留守のせいでござる。

 殿に早馬を!

 急ぎ殿の決裁を!

「あの子たちは神さまからの授かり子だから」

 しかし、京から返ってきた日向守の言葉がそれであった。

 奴奈川家、やばいんじゃね。

 そういえば連枝(れんし)筆頭黒姫(くろひめ)家の一人息子も出奔している。

 マジやばいんじゃね。

 家人のだれもが慄然とし悶々とするなか、もうひとつの連枝姫神(ひめかみ)家からの養子縁組みが決まり、なんとか形はついたようである。

 薫の薄い胸を斬ったのは誰なのだという問題が残されているが、そちらは有耶無耶になった。薫が頑として語ろうとしないこと。そして現場となりある程度は目撃していた普済寺(ふさいじ)の住職の証言が「銃で撃たれたら人が消えた」とか「若殿が二人に分裂して戦った」とか、おとぎ話にしか思えない内容であったことによる。住職は見たままのことを口にしているわけなのだが。そういうことで、「相沢と警備活動をしていたところ軍資金集めと称し暴れ回っていた野盗に出くわし、退散させはしたが相沢は死亡。若殿も傷を負った」という話におさまっている。

 ところで。

 あの夜、奴奈川斎姫静もチラチラ姿を出していたような気もするのだけれど。「あばよ」とか、住職の言う「若殿が分裂した」あたりなんかにも。

 まあ、ややこしくなるだけなのでそれは忘れてしまいましょう。

 そうしましょう。

 すっとぼけ事なかれ家臣団は健在である。




「そもそも新潟港でのおまえは女だった」

 吹きすさぶまだ冷たい風の中でゴリラが言った。

「今のおまえは男のようだ。これはどういうことなのだ」

 さすがにピンとくる。

「静のことを言っているのか」

 薫が言った。

「シズカ」

「おれは奴奈川薫。そして奴奈川静はおれの双子の妹だ」

「ヌナガワ・シズカ――それは黒のシズカのことではないか」

「静の前の奴奈川斎姫も静と言った。三〇〇年前、彼女は姿を消した。鬼――が奴奈川斎姫の正体だと俊輔(しゅんすけ)も言った」

「登場人物を無闇に増やすな。会話はシンプルにしろ。あのキングの気配をさせていた人の少女はヌナガワ・シズカであり、おまえはその双子の兄なのだな」

「双子だがもうひとりいる。そして遙は人ではない。鬼なのだと自分で言った」

「だからシンプルにするのだ。オッカムを知らないか」

「知らない。シンプルも知らない。ただ、どうやらおまえも鬼だ。そうだな?」

 ドオン!

 驚くべき速さで薫が背中のスペンサー銃を構え、躊躇なく撃った。

 バエルもまたその巨体からは想像もできない反応で体を開いたが、避けきれずに銃弾は左肩に当たった。しかしそれも苦にせず左拳を繰り出してくる。薫はすでに後に飛んでいる。バエルの拳は地面をえぐった。気のせいか地響きまで起きたようだ。

「速いな! おれは心臓を狙ったんだ。それに銃弾を受けた肩でこれほどの拳を繰り出してくるとは!」

「銃でおれは倒せん。いやな記憶はあるがな」

「やめるか?」

「いいや」

 抑えていた左肩から手を放し、バエルは凄みのある笑いを浮かべた。

「なにを使っても構わないぞ。おれはソロモンの七二柱序列一位バエルだ。ただの人に負けることはない」

 バエルの右拳が飛んできた。薫は体を開いてそれを避けた。すごい圧だ。

 長めの前髪がそよぐ。

 町行く少女を視線で殺せるという目をバエルに投げる。

 薫は身を沈め、銃床をバエルの脛に叩きこんだ。しかし手応えが鈍い。薫は転がって逃げた。薫がいたところを丸太のような太い足が踏み潰した。

「なんて頑丈なんだ」

「痛かったがな」

 薫は立ち上がった。

「おまえは強い」

「ただの人にしては、おまえも強い。おまえの妹も強かった」

「おれは遥に手も足も出せずに負けた。静にも斬られた。だがおまえを倒すことができたなら、おれはもうだれにも負けないだろう」

「それがシンプルだ」

 バエルが言った。

「よし、シンプルにいこう」

 薫が言った。


 馬鹿二人が激突した。




 青森は新政府軍の前線基地だ。

 そして、海峡を挟み箱館がある。そこに土方歳三がいる。彼の近くには長身の少年剣士がいるという。黒姫俊輔がこの海峡の向こうにいる。

 ここまで来たんだなと、静は思う。

 そして、ここまで来てしまったんだなとも思う。あそこにいるのは、最後の旧幕府軍だ。

「渡れないか」

 漁師に声をかけてみるが、みな首を振る。

「潮が速い。せめて春を待たないとな」

 少なくとも帆船がいる。宮古まで下がって、そこで蒸気船に乗せてもらおうか。ジリジリと考えていると、肩を叩かれた。

 のほほんとした呑気そうな若い侍がふたり。

「静、こいつらヴァンパイアだぞ」

 遥が言った。

「なんの用だ」

 剣に手をかけ、静が鋭く言った。

 のん気なふたりは漁船を指差し、そして力こぶをつくってみせた。

「まかせなさい」

「渡りたいのだろう、おれたちにまかせなさい」

「できるのか?」

「気づいているのだろう、おれたちはヴァンパイアだ」

「それが二人もいるんだ。おれたちが漕げばどこにでもいける」

「なぜそんなことをしてくれる」

「困っている女の子を見て素通りはできないだろう」

「なぜおれを女だと思う」

「知ってるし。見てるし」

「お礼も兼ねて」

「見てるってなんだ! お礼ってなんだ!」

「ささ、乗って」

「乗って」




 一方、青森の町の居酒屋でなぜかお酒を酌み交わしている馬鹿二人だ。

「なるほど、あのとき林に誘い込んだのはおれの動きを封じ込めるためか!」

「おまえは強い。だがそれに頼る分、振り回しすぎる。結局、木花知流姫(コノハナチルヒメ)でもその体は斬れなかったがな。おれの負けだ。これはなんだ、うまい」

「おれはおまえの無駄のない動きを教えてもらいたいと思った。そういう意味ではおれの負けでもある。そいつはいぶりがっこだ。ツルばあさんお手製だ。魚の干物もある。こっちはおれが作った」

「お客さーん、持ち込みは困るんだがなー」

「あいつらは!」

 と、いぶりがっこを手に薫が激昂している。

「おれが自分を殺し藩のため静のため必死になっていたのに、自分たちは勝手にやりやがって! 好きにやりやがって! おれを変態扱いしやがって!」

「ひどいもんだ! キングもそんなもんだ!」

「もうやめだ。おれだっておれの好きにさせてもらう」

「おれはそうはいかん。おれが好き勝手やったらヴァンパイア界はどうなる」

「おまえは強い、おれは恥ずかしい」

「泣くな、おまえの気持ちはよくわかっている。つらかったな」

「兄弟」

「おう、兄弟」

 なぜか馬鹿同士、意気投合したようである。




 この頃、静を乗せた漁船が海に出ている。

 しかしあっさりと潮に流されてしまい、()まで失い、三人|(遥を入れると四人)ともども死にかけてしまったのだった。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


笹本助三郎

夏見格之進

シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ