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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
62/77

土方歳三(後編)

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


「たしかに力はおれとたいして変わらんようだ」

 引き摺り倒され、俊輔(しゅんすけ)は橋板の上に尻餅をついて呆然と土方を見上げている。

「おまえはもう前には出さん」

 土方が言った。

 俊輔は体を起こし、前のめりになった。

「なぜです!」

「死にたがりは迷惑だ。おまえが突っ走ったら、おまえを救うために兵を消耗させることになる。後詰めにまわれ」

「ほっといてくれればいい!」

「できるか」

「おれは強い! 誰よりも足が速いし、力だってある! おれを突っ込ませて血路を開けばいい! 使い捨ててくれても、見捨ててくれたっていい! おれは――」

 どん!と、俊輔は両手で橋板を叩いた。

「おれは死にたいんだ!」

 ガッ!

 土方が俊輔の顔を蹴った。俊輔は吹っ飛んだ。

「去れ!」

 土方が吠えた。

「おまえは要らねえ!」

「おれが魔物だからか! おれの目が光るからか!」

「口を閉じろ」

 土方が言った。

「本隊が見えてきた。耳がいいのもいる。橋を守ったのは手柄だ。よくやった。後詰めにまわれ。いやだったら去れ」

 先頭を駆けてくるのは巨漢の島田(しまだ)(かい)だ。土方が少年を蹴ったのを見ている。しかし追いついてもそれには触れず、土方と次の行動の確認をはじめた。土方ももう俊輔を見ない。

 がたがたと体が震えた。

 怒りなのか、恐怖なのか、絶望なのか、俊輔にもわからなかった。



 土方の隊の転戦は続く。

 二度にわたる宇都宮城攻防戦。そして会津へ。

「見てごらんなさい」

 島田魁が言った。

 この頃、土方は足の甲に銃弾を受けて歩けない。ずっと馬の上だ。

「俊輔のやつ、食らいついてきてます。めげない」

 土方は馬上で頭を巡らした。

 土煙の向こう、あの長身の少年の姿が遠く見える。

「おれのところでなくてもいいだろうに」

「あんた、要らねえっていったんでしょう。あいつにも意地がある」

 なんだよ、やっぱり聞いていたやつがいる。

 目だとか魔物だとかってあたりは聞き逃しておいてほしいもんだ。

「めんどくせえな」

 視線を元に戻し、土方がつぶやいた。



 意地、たしかにそれだけかもしれない。

 人見勝太郎という人もいるらしい。そもそも旧幕府軍の陸軍を現在総督しているのは大鳥圭介という人だとも聞く。()()()の下でなければ戦えないわけじゃない。

「要らねえ」

 あの言葉がおれを刺す。

 もとより死にたがりのおれなのに。



 土方の隊が泊まっている宿の外で俊輔は膝を抱えた。この頃は初夏だ。夏が近い。夜でも凍えなくて済む。

 それにしても腹が減ったと思った。

 ここ数日、木の実くらいしか口にしていない。

 飯を食わなければおれも死ぬのだろうか。でも、そんな修行中のお坊さんのような死に方はいやだな。

 俊輔は腰の刀に手をかけた。

 闇の中を人影が近づいてくる。

「ぼうず」

 と、その人影が言った。いい匂いがする。俊輔はごくりとつばを飲み込んだ。

「食いな」

 差し出されたのはおにぎりだ。

「あれ」

「なんだおまえもか」

 次々と土方の隊の者が宿から出てくる。

 ひときわ大きな影もやって来た。

「島田さん」

「島田さん、あんたもか」

「おや」

 と、竹皮の包みを手にした巨漢は頭をかいた。

「土方さんには内緒にしておいてくれ」

 男たちはそっと帰っていく。

「あっ、あのっ!」

「しー」

「しー」

「ありがとうございます……!」

 俊輔は頭を地面にこすりつけた。



 土方は寝床で両手を頭の後ろで組み、両眼を開け、外の気配を感じながら天井をじっと見上げている。おにぎりを食べる俊輔の目から涙が落ちた。



 翌日には余ったおにぎりを懐に入れ、ときどきそれを食いながら隊を追ってくる俊輔の姿がある。

「隠しもしやがらねえ」

 土方は笑ってしまう。

 島田魁はにがり顔だが、振り返って俊輔を見る者たちはにやにやとしている。俊輔はまっすぐに見ている。馬上の背中を。

「ぼうず、来い」

 今夜は野営のようだ。

 隊から離れたところに座っていると、隊の一番後側の男たちが俊輔を手招いている。

「いえ、おれは」

「いいから、来い」

 こわごわと近寄ると雑炊を差し出された。

「すいません……」

「酒も呑むか?」

「えっ」

「いいんだろ、呑めるんだろ?」

「ただし」

 と、声が聞こえてきた。

 ぎくりと皆が固まっている。俊輔も酒が入れられた茶碗を手にしたまま凍り付いた。

「一杯だけだ。酔って軍規を乱されたら困る」

 土方だ。

 馬に乗り、俊輔たちを見下ろしている。

 にやりと笑い、土方は馬首を巡らして歩いていった。

 許されたらしい。男たちはほっと胸をなで下ろして笑った。俊輔の背中をバンバン叩く者もいる。俊輔は酒をすすった。

 うまいと思った。



 俊輔が隊を追っていると、「こっちゃこい」と手招きされるようになった。

 しかし俊輔は頭は下げるが合流しようとはしない。

 要らないといわれたまま、おれは隊に戻るわけにはいかない。

黒姫(くろひめ)俊輔」

 そんな俊輔にいつの間にか近づいてきたのは島田魁だ。

 巨漢なのに隙がない。

「今夜は宿にあがれ。土方さんがおまえを呼んでいる」



「黒姫俊輔です」

「入れ」

 足を怪我している土方は片足を伸ばしたままだ。

 俊輔は土方の正面に座り、頭を下げた。

「単刀直入に聞く。まだ死にたいか」

「死にたいです」

「頑固だな」

 土方は笑った。

「なぜそんなに死にたい」

「おれの目を見たでしょう。おれは――」

 シッと土方は口に人差し指を当てた。

「――死ぬしかないんだ」

「おれもやっかいなのを抱えてしまった。そこら辺の詳しいことはあとで聞く」

「……」

「なあ、黒姫俊輔。おまえ、自分が死ねばそれでいいのか?」

「……」

「負けていいのか?」

 あっ――と、俊輔の顔色が変わった。

「この隊が負けていいのか。この戦争に負けていいのか。そんな甲斐のない死に様でいいのか」

 また、体が震えた。

 熱い。

 燃えるように熱い。

「奴奈川脱藩、黒姫俊輔」

 土方が言った。

「おれのために死んでくれるか」

 俊輔の目から涙があふれた。




 五稜郭にちらちらと降っていた雪は、本格的な雪に変わったようだ。

「おれは、おれが死ぬことだけ考えていたんです」

 俊輔が言った。

「もちろん、自殺のように死にたいわけじゃない。せいいっぱい戦って、それで死にたい。この戦争のためにおれは――」

 土方は、ここでもシッと口に人差し指を当てた。

「――鬼になったのだから。そのためだけにヴァンパイアになったのだから。そのあとを生きても意味がない。もう人を捨てたのだから、おれは」

 死んだような目をしてたのにずいぶん面構えが変わった。

 土方は苦笑した。

 なのに露悪的なところは変わんねえ。

「でも、負けていいのかと言われて、おれはおにぎりを呉れた人の顔を思い出しました。背中を叩いてくれた人、茶碗に酒を注いでくれた人。おれはおれ以外のことをなにも見ていなかったんだ」

 そして「自分のために死んでくれるか」だ。

「おれ、女の子にだってそんなこと言われたことないですよ」

「ふうん、けっこう色男なのにな」

「先生はモテそうですね」

「ああ、何度か言われた。おれの場合は、死んでもいい、だけどな」

 しゃあしゃあと言う。

 俊輔はふわりと笑った。




 女の子と口にして、チリッと胸が焼けた。

 あのお姫さまは今なにをしているのかな。




「とれびあ~んでした」

「びゅーてほーでした」

 あののん気なふたり、今度はなにを報告してきたのだろう。

 ファンタズマとシャルロッテ・ゾフィーにはわからない。

 そして聖騎士団大幹部ファンタズマはさらに驚愕することになる。

 電信で送った「キングニハ後継者ガ イルモヨウ」。その後、船便で詳細な報告書を送ったのだが、それが届いたかどうかという頃に電信の返事が行き違いで横浜に届いた。

「久しいな、ファンタズマ」

「騎士団長……!」

 白いコートに身を包み、髪も眉も白く、峻烈な瞳だけがただ青く、酷薄な薄い唇だけがただ赤い。

 ウェパルのアンナマリア。

 聖騎士団騎士団長アンナマリア・ディ・フォンターナが、カステル・サントカヴァリエーレより十二名の精鋭を引き連れ日本にやって来たのだ。

「さあ、私をキングのところに連れて行け!」

 なんだかんだ楽しかった横浜暮らしは終わりだと現地組が気落ちしている中、ひとりだけとろけそうな顔をしている騎士がいる。そういえば「踏まれたい」と言ってたな、あいつとファンタズマは思った。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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