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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
61/77

土方歳三(前編)

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 明治元年、九月。

「ヴァンパイアになってよかったな!」

「ヴァンパイアになってよかったな!」

 真夜中に興奮しているのはあののん気な二人だ。ふたりとも目が黄金色になっている。

 新潟港からずっとそのあとを追ってきた女の子。

 闇の中をどこに行くのかと思えば、服を脱いで川に入ったのだ。お風呂代わりらしい。やっほう。

「ばっちり見えたな!」

「見えたな!」

「ほんとに凹凸ないな!」

「ていうか冷たくないのか、あの子……」

 くしゅん。

 そりゃ、グレゴリオ暦では十月も半ばを過ぎている。つめたい。

「冬になり、北に向かい、もうこんなことできなくなる」

 静が言った。

「とはいっても、男に混じって風呂に入るわけにはいかないだろう」

「あのね。あなたに見られるのもすごく嫌なんだけど」


 ――でもおまえ、(しずか)の胸を触ったこともないだろう!

 ――静の裸も見た事がないだろう!


 春に聞かされた(はるか)の告白の衝撃を忘れられない静だ。

「なにを言うんだ。夜道を安全に歩けて周囲を探れるのは私のおかげだろう。はあはあ」

 しかし、のん気コンビがのぞいているのに気づかない。

 どうやら興奮してのぼせ上がり、無能に成り果てている遥なのだ。

「まあ、茶碗一杯のお湯で体を拭くこともできる。教えてあげる」

「あなた、どこでそんな知識を仕入れてくるの」

「黒のシズカの記憶。手ぬぐいでね、手ぬぐいでね、あなたの体をね。丹念にね。はあはあ」

「断る」

 空は降るような星空だ。




 翌十月、箱館。

 明治期に函館と表記を変えるこの北の町は、日米修好通商条約で開かれた五港のひとつだ。幕府直轄地だったのだが現在は新政府が箱館府を置いている。そこに現れたのが榎本(えのもと)武揚(たけあき)率いる日本最強旧幕府艦隊である。

 戊辰(ぼしん)戦争は日本最大の内戦という。

 異論もあるだろうが、そういうことになっている。そしてこの日本最大の内戦は緒戦で帰趨が決している。鳥羽(とば)伏見(ふしみ)の戦いで大敗したのはともかく、体勢を立て直す前に盟主が敵前逃亡してしまったからだ。以後は盟主がひたすら自粛し恭順の意志を示す中で進む(いびつ)なかたちの戦争になっている。その中、江戸湾を脱走した旧幕府艦隊が箱館を目指したのは戦争の継続ではなく、十分の一に禄を減らされた徳川宗家の家臣たちの生活を北海道開拓によって守るためであったという。

 北海道に上陸した旧幕府軍は、箱館府を目指し野営している。

 そこに。

「夜襲だーーッ!」

 とつぜんにまだ若い声が響き渡った。

 兵たちは飛び起きた。

 すでに戦いが始まっている。木々の向こうから次々と悲鳴が聞こえてくる。むしろ仕掛けてきた敵の方が混乱している。

「俊輔か」

「そのようです」

 土方の声に応えたのは新選組の島田(しまだ)(かい)だ。

 会津で静とすれ違った土方(ひじかた)歳三(としぞう)黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)。仙台で榎本艦隊と合流し、この戦いに参加している。

「箱館府め、奇襲のつもりだったのだろうが俊輔に見つかってしまえばダメです。一方的な虐殺が始まるだけだ」

 黒姫俊輔。

 この奴奈川(ぬながわ)脱藩の少年は猫のように夜を苦にしない。

「見えますか?」

「なんだい?」

「俊輔の目は夜に光るといいます。あいつは闇の中でもこっちが見えるが、おれたちもあいつを見つけることができる。どこにいるかくらいはね」

 知っている。

 しかし土方は、

「知らねえ」

 と答えた。そして声を張り上げた。

「おれは土方歳三である!」

 新選組だ!

 新選組がいる!

 闇の中で次々と仲間を失い、混乱の中にある敵兵がさらに浮き足だった。

「無用な戦いは避けるつもりだったが、これがおれたちの嘆願書への箱館府の返答か! ならば箱館を落とすまでだ!」

 わあっと敵兵は逃げ出した。

「俊輔、追うな」

 土方の声に、俊輔は足を止めた。

「せいぜい二三人か。そいつらは逃がして、新選組、そしておまえがいることをむこうに広めてもらう」

「はい、先生」

 俊輔が言った。

 返り血で顔を真っ赤に染め、さすがに肩で息をしている。もう目は光っていない。



 寡兵である箱館府は箱館の放棄を決断、青森に撤退する。

 十月二六日、旧幕府軍は五稜郭(ごりょうかく)に無血入城した。

 この箱館が戊辰戦争の最後の地となり、この西洋式星形要塞が旧幕府軍――箱館政府の本拠地となる。

「すげえところまで来ちまったな」

 窓から外を見て、土方が言った。

「はい、先生」

 俊輔の言葉に土方は俊輔に顔を向け、そして鼻を鳴らした。

「似合うぜ、そいつ」

 俊輔は髷を落とし、フランス陸軍の軍服姿だ。

 もちろん、それは土方も同じだ。

「はじめておまえを見た時には、普通の若侍だったのにな」

「はじめからおれの名前を覚えていてくれましたね」

「指揮官ってのは人の名前と顔と特徴を覚えておかなきゃならんのさ」

 「よう、俊輔」と、土方が言った。

「おまえ、まだ死にたがりか」

「はい」

「しれっというなよ」

「おれは死ななければならないんです。それに、忘れないでください。先生が言ったんだ」

「忘れねえよ」

 窓の外は雪だ。

「やっかいなことを背負い込んじまった」

 土方の吐く息は白い。



 あれは半年も前だ。



 慶應四年、五月。

 上野寛永(かんえい)寺で大砲の弾を雨のように浴び、勇一郎(ゆういちろう)が散った。勝之進(かつのしん)ともはぐれ、彰義隊(しょうぎたい)の生き残りと江戸を脱出して合流した先にいたのが彼だった。

 すでに近藤(こんどう)(いさみ)はなく、新選組も存在しない。

 それでも当時の剣客であれば知らないものはいない。新選組鬼の副長土方歳三だ。

 意外と小柄だと思った。

 俊輔より二寸は低い。静や薫と変わらない。

 髷はすでになく洋装。

「もう刀や槍の時代ではない」

 佐倉(さくら)留守居役(るすいやく)依田(よだ)学海(がっかい)を相手に、そうも語ったらしい。

 どうでもいい。

 俊輔は思った。

 雲の上の人だ。話す機会もないだろう。それよりおれは――。



 未明の街道を俊輔が疾走している。

 宇都宮城への橋の向こう側に数人の男たちがいる。橋を落とそうとしているらしい。ヴァンパイアの目でそれが見える。

 俊輔は突っ込んだ。

 ひとり、俊輔に向き直って剣を抜いた。

 彼だけが侍じゃない。橋を落とそうというのに大工のような町人が見当たらない。全員が侍だ。九人、全員が二本差しだ。

「わあああ!」

 はじめに剣を抜いた侍に俊輔は襲いかかった。相手の顔に一瞬当惑が浮かんだのは、抑えきれずに目が黄金色に輝いていたからか。

 俊輔は侍を袈裟に斬った。

 血を噴いて侍は倒れていった。

「むっ」

「まずはこいつからだ!」

 全員が剣を抜いた。

「おぬし、魔物か」

 ひとりそんなことを言ったのは、やはり目が光ってしまっているのだろう。しかしそれだけではない。俊輔の顔に笑いが浮かんでいるのだ。

「九人」

 と、俊輔が言った。

「いや、ひとり斬ったから八人。それだけいれば、おれひとり退治するのに問題はないでしょう」

 侍が斬りかかってきた。

 乱戦になった。


 おれも行く。

 鉄太郎(てつたろう)勇一郎(ゆういちろう)静馬(しずま)。あとは頼むぜ、勝之進(かつのしん)


 馬が駈けてくる。

 騎乗の洋装の男は、駆け抜け際にひとりの頭を斬り飛ばした。

「新選組、土方歳三である!」

 その名乗りは侍たちを震わせる。

 土方は馬から飛び降りた。

 槍や刀の時代じゃないだって――俊輔は目の前で起きている殺戮に戦慄した。


 この男、その中にどっぷりつかった鬼神じゃないか!


 瞬く間に三人が斬られた。

 乱戦の中ですでに俊輔が二人斃している。残った者は逃げはじめた。

「追うな!」

 土方が言った。

「おれとおまえでこの橋を守る!」

 そして、はっと俊輔に目を向けた。

 まずい、まだ目が光っていたらしい。未明の暗さでは目立つ。

「奴奈川脱藩黒姫俊輔だったな。よくやった」

 名前まで知られている。

 俊輔は「追います」と言った。

「しつこいぜ、本隊がもうすぐ来る」

「おれの目を見たでしょう」

「……」

「だから、追います」

「強いからか? 誰が相手でも何人が相手でもおまえなら勝てるってか?」

「おれは生きのびてはいけない存在なんだ。あなたが来なければ、ここで終わっていたはずなんだ」

「ああ?」

 土方は眉をひそめ、そして鼻を鳴らした。

「死にたがりか」

 俊輔は歩きはじめた。その腕を掴み、土方が俊輔を引き摺り倒した。



 おれはヴァンパイアになって。

 人を捨ててまで強い男になりたくて。

 でもおれは、ただの人間に振り回されているじゃないか。おれより二寸も背が低い男に引き摺り倒されているじゃないか。



「たしかに力はおれとたいして変わらんようだ」

 土方が言った。

 俊輔は呆然と土方を見上げている。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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