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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
6/77

チェロ

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 リン!

 リン!


 山腹からせり出した舞台の上で、巫女たちが例大祭の舞を奉納している。


 リン!

 リン! リン!


 先頭に立つのは例年の奴奈川斎姫(だい)ではない。

 三〇〇年振りという奴奈川神の生まれ変わり、奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)。その人だ。


 潮の香り。

 舞う桜の花びら。

 海と山に囲まれた小さな町なのに、舞台を見守る数万もの人々。


 高子、俊輔、元気か。

 父上、母上、お達者か。勝之進、勇一郎、鉄太郎、静馬。(かおる)


 レオンハルト・フォン・アウエルシュタット。


 おおい、みんな! どこにいる! 私はここにいるぞ!


 (はるか)

 遙、会いたいよ――私の遙!


 リン! ……。


 (しずか)は眼を開けた。

 見慣れた斜めの天井。アパートの屋根裏部屋だ。窓の外は世界一の大都市ロンドンの街並みだ。潮の香りもここまでは届かない。



 静は少しだけ泣いた。



 リージェンツパークを見下ろすビルの一角。

 そこに小さな貿易会社、ユニバーサル海運のオフィスがある。

 小さいと言っても、二〇人をくだらない男たちが入れ替わり立ち替わり詰めているようだ。それでいて業務実態がよくわからない。ギターケースやヴァイオリンケースを手にした男たち。時にはチェロケースを担いだ異国のドレス姿の少女の姿が見られるようだから、楽器関連の会社だろうか。

 ユニバーサル海運。

 軍特務機関六課掃除屋――英国政府の対ヴァンパイア特務班が偽装した姿だ。

「日本って、どんなところなんです?」

 ヘンリー・ローレンスが言った。

 社長秘書。

 少年のような風貌だが階級は海尉補。中尉に相当する。事務処理など後方支援に異能を発揮する有能な副官だ。

「また、ざっくりとした質問だな」

 そして社長。

 ロジャー・アルフォード海軍少佐である。

「ぼくもここに配属されなければ、王立海軍(ロイヤルネイビー)なんですから、日本にも行ったかもしれないんですよね。少佐は日本に行ったことがあるんでしょう、シズカさんの国に」

 ()()()現るの情報を得てな。

 とは、これはさすがにヘンリーにも言えない。軍のトップシークレットだ。

「駐在武官としてな。ボシン戦争の観戦武官も担当した」

「そこでシズカさんを見つけたのですね」

「そうだ」


 酷く荒んだ瞳をした少女剣士。


「さて、そろそろ行くか」

 少佐が言った。

「はい、準備整いました」

 ヘンリーが言った。

「うおっ!?」

 オフィスに入ってきたエージェントが声をあげている。オフィスにいたエージェントたちは必死に顔を伏せて書類仕事をしている。百戦錬磨のエージェントたちを動揺させてしまう姿で少佐とヘンリーはオフィスをあとにした。



「ヌナガワ・シズカ」

 校舎の管理人のミス・オコナーに呼び止められ、静は振り返った。

「はい、ミス・オコナー」

「あなたに客人です。マンスフィールド家からの」

 ミス・オコナーはいつもの無表情だった。

 相変わらず能面のような顔だった。

 静は直後にミス・オコナー侮りがたしと驚愕することになる。応接室に入った静は、たちまち悲鳴を上げてしまったのだ。

「シズカお嬢さま」

「シズカお嬢さま」

 老メイドふたり。

 アルフォード少佐とヘンリーだ。

「なにをしているんだ!」

 静は慌てて応接室の扉を閉じた。

 ミス・オコナーが無表情のまま中をうかがっているのがチラリと見えた。

 なんてこと! 私としたことが悲鳴を上げしまうなんて! 素人のミス・オコナーより動揺してしまうなんて!

「なんだってそんな格好をしているんだ、ふたりとも!」

「怪しまれないように」

「怪しまれないように」

「よけいに怪しいだろう! 特にロジャー、こんな巨大なおばあさんがいるか!」

「エージェントに変装はつきものだからな。久々だがなかなかいい」

「私を丸腰だと思うなよ……」

 静が言った。

「チェロケースには仕込み刀があるし、帯にも小刀を数本仕込んである……。たとえ丸腰だったとしても、奴奈川流剣術は無手での戦いも想定しているんだぞ……」

「なんでおまえ、おれたちを退治する前提なんだ」

「退治してやろうか……」

「まあまあ」

 ヘンリーがニコニコと二人の間に割って入った。

「レディ・マンスフィールドからプレゼントですよ、シズカさん」

「プレゼントなら、アパートに送ってくれ。ここは学校だ。そういうのは困る」

「お昼ご飯ですよ」

「昼ご飯なら、ハウスマザーからバスケットを受け取っている」

「そちらはぼくがいただいて、あとでハウスマザーさんに返しておきますよ。さあさあ、受け取って。超一流ホテルのコック謹製のお昼ご飯ですよ」

「だから、困るんだ。レディ・マンスフィールドのご厚意はありがたい。でも、私だけみんなと違うものを食べるわけにはいかないんだ。みんなハウスマザーから同じバスケットを受け取っているんだ」

 静だけ量が多いことはさすがに乙女として言えない。

 そんなことくらい、このふたりはとっくに承知しているのだが。

「いいから、いいから」

 しぶしぶヘンリーからバスケットを受け取り、静は立ち上がった。

 この時、既に静は気づいてはいたのだ。

 英国とは違う匂いがする。

 抗えない魔性の匂いがする。

 しかし、目の前の地獄絵図への衝撃と、そもそもそんなものがここにあるわけがないと無意識に選択肢から外してしまっていたのだ。

「用はこれだけか。私は次の授業がある」

「がんばってね」

「しっかり学べよ。ああ、ところでシズカ」

「なんだ」

「おまえが楽しそうにやってるのを見ることができて、よかったよ」

 静は困ったような顔を見せた。

 静が出ていったあと、やっと二人はそのことに気づいたのだった。


 ああ。

 あれがシズカの、シズカさんの照れ顔なんだ……。


「ぼく、シズカさんのチェロはカタナを隠すためのカムフラージュだと思ってましたよ。本当にチェロ奏者だったんですね」

「カムフラージュだよ」

「え、でも王立音楽院に入るだけでも大変なことでしょう」

「シズカのバックにいるのは誰だ。そして音楽院に莫大な寄付をしているのは誰だ」

「……もしかしてですが」

「なんだ」

「シズカさんのチェロって、へたくそなんですか?」

「おれには音楽はわからんが、Mのおばさんによるとだな」

「はい」

「へたくそじゃない。とんでもなくへたくそだそうだ」



 異国からの留学生と言うのだから。

 よほどの実力者かと思えば、ただの初心者がやってきた。

 担当教授であるミス・チェンバースは、いっこうに上達しない静のチェロにガッカリせざるを得ない。必修第二楽器のピアノもこの調子だという。ここはプロを育成する音楽院のはずなのだけど。

 ただ、勢いがあるのだ。

 性格なのか、からっとしているのだ。

 縮こまっていない。しっとりとはしていないが、不快な音は鳴らない。そしてそれは弾いている本人までもがそうなのだ。弾くのが楽しい、嬉しくてならないというのが伝わってくる。

 嫌いになれない。

 聞けばまるっきりの素人ではなく、民族楽器をマスター並(免許皆伝)に扱えるのだそうだ。そのうち化けるかもしれない。

 ミス・チェンバースは気長に待つ気でもいる。



「きゃあああああ!」

 そしてお昼。

 またしても悲鳴を上げてしまう静なのだ。

「どうしたの、お姫さま」

「なに騒いでいるのよ、シズカ」

 いっしょにハウスマザーのサンドイッチを食べようと公園にやって来た同じアパートの友人たちが、静のバスケットをのぞきこんだ。

「なにその黒い物体」

 眉をひそめたのはレベッカ・セイヤーズだ。

「おにぎりだ! 贅沢にも海苔を全体に巻いたおにぎりだ! ああ、潮の香りだ。なんて素敵な海苔の香りなんだ。具は、具は……」

 バスケットの中に整然と並べられたおにぎりをひとつ手に取り、割ってみる。

「鮭! こっちはおかか! 梅干しまで!」

 静はおにぎりにかぶりついた。

「美味しい! 信じられない!」

「あのー、シズカさんー? なんで泣いてるんですかー?」

「嬉しい、美味しい、日本のとかわらない! 幸せ!」

 静は大泣きしながらおにぎりを頬ばっている。



「これは嘘ではありません」

 歴史的和解より新たに設置された司教区。大聖堂の告解室でその青年は言った。壁の向こうから声が聞こえてくる。

「神はたぶん見ておられる」

 妙に軽い感じがするが、そういうこともあるのだろう。

「ぼくの上司は地球の裏側に飛ばされました。五課は国内担当なのにです。オーストラリアで六課の監視下に置かれるんだ。ぼくもそうなる。どこかの孤島でひとり、なんの役に立つのかわからない観測をして一生を終えるのでしょう」

「それも楽しそうだなあ」

 また軽い声がした。

「その前にどうしても、ぼくはぼくが見たことを告白しなくてはならない。神はすべてを知っておられようと――神よ、この世界を――」

「神は善良なるあなたの魂を、たぶんお救いになる」

「ああ、神よ、神よ!」

 ジョン・アストン陸軍少尉は祈った。

「悪魔からロンドンを護りたまえ!」


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


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― 新着の感想 ―
[一言] 『静は少しだけ泣いた。』 一周目では分からなかった静の涙。 たまりませんなぁ。
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