表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
59/77

神楽舞

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


「やっぱり君は黒のシズカじゃない!」

 呆然としている(しずか)の前でレオンハルトは高笑いを上げた。

「黒のシズカなら、どんなに油断していてもおれがキスできるわけがない!」

 静は真っ赤だ。

 あわあわとパニックに陥っている。そして突然我に返ると腰の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を抜こうとした。しかしそれはかなわない。レオンハルトが静の手首を掴んでいる。

「やめとけ。手首を折るぜ。ここからなら数種類の折り方がある」

「く……!」

 やれやれと、(はるか)の声が頭の中に響く。

「私ならキスなどさせない。阻止されるまえに斬っている。まだまだだよ、静は」

 レオンハルトが不思議そうな顔をしている。

「なにか言ったか、今」

 どうやら脳内で直接交わしている会話は、ほかのヴァンパイアにも聞こえてしまうらしい。

「まあいいじゃないか。おれはプロだ。依頼がなければ働かない」

 ちょん、と、レオンハルトは指で自分の唇を叩いた。

「こいつは報酬だ」

「ふざけるな!」

「ところで、ヴァンパイアの妹はどこにいる。聞きたいことがある」

「なんだ」

「今のでかいの、君をキングと呼んでいただろう。おれたちはそのキングを探している。情報がほしい」

「知らない」

「君に聞いているんじゃない。なぜバエルは君をキングと呼んだんだ。ただの()である君を」

「あのデカブツの意図など私にわかるものか。それより、いい加減に放せ!」

「ん、ああ……」

 レオンハルトは静の手首を掴んだままなのだ。

「でもおまえ、まだ力こめてるんだもん。放せるかよ」

「斬らない」

「そう?」

「今のは私の不覚だ。修行不足だ。諦める」

「ほんとうに?」

 レオンハルトは慎重に手首を放した。

 その瞬間、静はレオンハルトのアゴを蹴り上げた。一瞬だけレオンハルトの意識が飛んだ。

「――なっ!?」

 そしてくるりと一回転して、今度は強烈な後ろ回し蹴りだ。

 レオンハルトは吹っ飛んだ。

「どうだ、斬らなかったぞ!」

「諦めるとも言ったよね!?」

 レオンハルトは尻餅をついている。

「なるほど。わざと左腰にアウエルシュタットの騎士の注意を引きつけて、右足の蹴りか。対角に散らす。私が教えた事をすぐに実践できているな、静」

「今のなに!? またなにか聞こえたぞ!」

「エロじじいには幻聴が聞こえているのだろうさ!」



「強いわね、あの子」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「強いな」

 ファンタズマが言った。



「なあ、君はこの戦争に参加しているのか」

 尻餅をついたままレオンハルトが言った。

 静はむんむんと殺気を――この場合はぶっ殺すオーラを振りまいている。迂闊に動けない。

「なんだいきなり。そうだ、私は兵士だ」

「この港でずっと?」

「さあ。私は正規軍じゃない。戦場を渡り歩くフリーの義勇兵だ。こんな騒動を起こしたし、もうここにはいられないだろう」

「ねえ」

 と声をかけてきたのはシャルロッテ・ゾフィーだ。

「あなたの()はここから近いの? ヌナガワサイキの舞を見ることはできるかしら」

 その言葉を外国人、いや、ヴァンパイアから聞くことになるとは。

「ない」

 静が言った。

 おや、絶対ぶっ殺すオーラが消えたなと、レオンハルトは思った。それでも注意を払いながらよっこいせと立ち上がる。

「大社の例大祭は春と秋だ。数ヶ月も先だ」

「そう、じゃあ今から行っても無駄ね」

奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)の舞は有名なのか、そっちでも。おばさん」

「首締めてあげようか、小娘」

「黒のシズカのおかげで?」

「いいえ、このレオンハルトが教えてくれたの」

 静は眼を細め、レオンハルトに視線を移した。

「……ふうん」

 あっと、レオンハルトはシャルロッテ・ゾフィーを庇った。静に剣を抜く気配があったからだ。この頃まだ自動拳銃ヴァルキューレは完成していない。コートの中で掴むのは静の拳銃と同じスミス&ウェッソンモデル2の銃把だ。

 静は両腰の剣の鯉口(こいくち)を緩めた。

 そして木花咲耶姫と石長姫(イワナガヒメ)を同時に抜いた。しかし、そこに殺意のオーラはない。


 しゃん。


 静は剣を神楽鈴(かぐらすず)に見立てて舞い始めた。


 しゃん。しゃん。

 しゃん。しゃん。


 飾りはない。化粧もない。装束は薄汚れた軍服だ。

 それなのに美しい。

「あっ」

 と声をあげる者がいるのは、そこに咲き誇る桜、深まる紅葉の幻を見たからだろうか。


 しゃん!


 静は両剣を鞘に納めた。

「奴奈川斎姫の舞だ。納めろ」

 レオンハルトたちに背を向け、静は歩きはじめた。

 これで最後だ。もう舞うことはない。

 崩れ落ちた茶屋の横を通る時、キョロキョロと視線を泳がせた静に遥が言った。

勝之進(かつのしん)の剣でも探しているの? 散ったよ」

「……」

「ヴァンパイアが散るとき、その体だけじゃなく身につけていたもの、生気を注いでいたものも同時に散る。剣などは最たるものだろうな」

「そう」

 静は茶屋から視線を切り、歩いていく。

 集まっていた人々や侍たちは遠巻きに静を見るだけで、近寄ろうとしない。

「おい、ヌナガワ・シズカ!」

 レオンハルトの声が聞こえてきた。

 あの馬鹿!

 こんな大勢の前で私を女だとバラす気か!!

「おれの名はアウエルシュタットの騎士じゃない。レオンハルト・フォン・アウエルシュタットだ。覚えておけ!」

 静は振り返った。

「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット」

 静が言った。

「今度会ったら、殺してやる」

「楽しみが増えたぜ」

 にやりと、レオンハルトが笑った。

 静は鼻を鳴らし、背を向けた。



「あの子、西洋人となにを話しているんだ?」

「あの子じゃない。奴奈川脱藩、内藤(ないとう)隼人(はやと)殿だ。強いのだ」

 若い侍がコソコソと話している。

「愛してるよ、ぼくもだよ的な事かな」

「だから内藤隼人殿だ。男だ。でも接吻してたよな」

「おまえ、言い方古いな」

「慶應四年で接吻を別の言葉で表現したらまずいだろう」

「ヌナガワシズカとも呼んでたぞ」

「おれは男どうしでも一向に構わんがな」

「なんでドヤ顔なんだよ」

 その若い侍はふたり同時にぎょっと伸び上がり、そして互いの顔を見た。

「おまえ、顔変わったよ」

「おまえもな。なんか変な気分じゃないか」

「あの子と西洋人が男同士でも構わないが、おまえとそうなりたくはないな」

「おれもだよ! いや、変な気分ってそうじゃなくて、なんか体が軽くなったような」

「おれ、あの子を追えって頭の中で命令されてるんだけど」

「おれもだ。おれのは女の声だ」

「いいな。おれのは野太いおっさんの声だ」

「とりあえず追うか」

「追うか」

 若い侍二人は静のあとを追って歩きはじめた。



「あんな頼りなさそうなのでいいのか?」

 レオンハルトが言った。

「他のはみんな強そうだったのよ」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「戦争中だからな。みな胆が据わっている。あのふたりだけが呑気そうで、言う事を聞くスードエピグラファになりそうだった」

 言葉には出さなかったが、ファンタズマもそう思っている。

 バエルにキングと呼ばれた少女。

 新潟港に留まるならなんとかなるが、戦場を移すという。この欧州人の姿であとを追うというわけにはいかない。

「荷揚げが終わって連絡艇が船に戻るみたい。私たちも乗せてもらいましょう、レオンハルト。思いがけずキングのしっぽは掴めたし、ヌナガワサイキの舞も見せてもらえたし、有意義な船旅だったわ」

 レオンハルトは川を覗き込んでいる。

「バエルは散ってないわよね?」

「頑丈なやつだ」

 レオンハルトが言った。

「さあ、兄弟! カガノカミ号で横浜に戻るぞ!」

 モップを手にファンタズマが言った。

「いや、あれは私がチャーターした船なんですが、どうして無賃乗船してるあんたたちがそう偉そうなのです」

 プロイセン人商人が言った。



 静は空を見上げた。夏空は雲ひとつなく群青だ。

 そういえば、と静は思った。そういえば、勝之進は会津に行くつもりだと言っていたな。

 ずっと好きでした。

 その言葉をまた静は思い出した。



「あの後ろ姿、そうだと思えばやっぱり女の子の後ろ姿だよな」

「でかいし、ものすごく凹凸がないけどな」

「しかも強いよな」

「そんでもって美人だよな」

「美人で長身で凹凸がなくて強いなんて最強だよな」

「いや、おまえの性癖はいいから」

「踏まれてみたいな」

「無能!とか罵られてみたいよな」

「おまえも同じ性癖じゃねえか」

「言葉もない」

 のん気な二人が静のあとを追う。




 信濃川の河底に巨大な影が沈んでいる。

 やがてそれは、川の流れに海へと押し出されていった。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ