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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
56/77

バエル

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


「キング!」

 ゴリラが吠えた。

「見つけたぞ、キング!」


 ――キングだと!?


 レオンハルトにシャルロッテ・ゾフィー、そしてファンタズマたち聖騎士団に衝撃が走る。数年前、彼らはキングが散ったと感じた。しかしバエルはそれを否定した。そして「見つけた」のだという。

 バエルの先にあるのは、茶屋。

 床几(しょうぎ)に座るのは日本人の二人組。

 片方はヴァンパイア。

 そしてもう一方は人だけれど、黒のシズカによく似た少女。

 レオンハルトが歩きはじめた。片手で器用に紙巻きタバコを取り出してくわえ、くしゃりと中折れ帽を深く被りなおし、夏だというのに着ている長いコートをひるがえす。

 シャルロッテ・ゾフィーの楽団が勇ましく演奏をはじめた。

「やかましい」

 レオンハルトの声にもひるまない。



「あれはだれ、(はるか)

 (しずか)が言った。

「あれはソロモンの七二柱序列一位、バエル」

 遥が言った。

「もし単純に力の強さが強さであるのなら、たぶん最強のヴァンパイア」

 すっと立ち上がり、腰の剣を掴んだのは勝之進(かつのしん)だ。

「逃げてください、斎姫(さいき)さま」

「勝之進」

「この男はヴァンパイアだ。そしてなぜかおれたちを狙っている。おれが戦っている間に逃げてください」

 勝之進が剣を抜いた。

 あっと勝之進は両眼を見開いた。すでに目の前にバエルがいる。そして腕を振り回し軽々と勝之進を吹き飛ばした。

「おい、バエル」

 レオンハルトの声がした。

 バエルは見もせずに後に腕を振った。

 ちょん、と地を蹴りレオンハルトは後へと飛んだ。

「おまえさ、こんな派手に日本人に迷惑かけてどうするつもり?」

「邪魔をするな、グラキア・ラボラス。キングを見つけたのだ。おれならキングにも勝てる。おまえには無理だ。見物していろ」

「キングってのは、そこでぶっ倒れている少年か?」

「ここまで近づいてわからないか。そういうことだ、おまえにはこの件に関わる資格がない」

 バエルは静を指差した。

「キングはそこにいる!」



「ねえ、遥、どうしよう」

 静が言った。

「代わろうか?」

 遥が言った。

「この状況じゃ、私は表に出たくないのだけど。特にあの死んだような目の男の前では――」

「この二人が話していることが私にはわかるのよ。異国の言葉なのに。どうして?」

「ああ、あなたが眠っている間に脳だけ叩き起こして教え込んでおいた」

「なにしてくれてんの、あんた」

「いいじゃない、通事がいらなくて便利でしょ」



「ただの人間じゃないか、バエル」

 静へとちらりと視線を落とし、レオンハルトが言った。

 バエルは答えない。振り返りもしない。

「黒のシズカによく似ただけの――あれ、もう相手をしてくれないの、バエル?」

 すとん、とレオンハルトのコートの中から長いものが落ちた。

 シャルロッテ・ゾフィーが歓声を上げた。

「私があげたカタナ! やっぱりコートの中に隠していたんだ!」

 レオンハルトは掲げるようにカタナを持ち、からからと音を立てながらゆっくりと抜いていく。

「知っているか、バエル。こいつはな、よく斬れるんだぜ――」

 パキッ!

 刀身が全部抜かれる前にバエルの拳が飛んできてカタナを折った。

「ええーーっ!?」

「高かったのにーーっ!?」

 レオンハルトとシャルロッテ・ゾフィーが同時に悲鳴のような声をあげた。

 プロイセン人の商人は空を見上げて口笛を吹いている。

 そしてレオンハルトはバエルが振り回した腕に吹き飛ばされた。あのヴァンパイアの少年と同じように。というよりもでっかいボロ雑巾のように。

「あら」

 シャルロッテ・ゾフィーが口を押さえた。

 カタナを抜いたところまでは威勢がよかった楽団の演奏もさみしくなる。

「聖騎士団大幹部ファンタズマ!」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「傍観しているつもり。日本人の少女がバエルに襲われそうになっているのよ!」

「うむ……」

 モップを手に腕を組み、ファンタズマは動かない。



「これはこのバエルとキングの問題だ」

 バエルが吠えた。

 とりまいて見ている日本人には、彼がなにを言っているのかわからない。ただバエルの巨体に目を丸めていた彼らは、今度は雷鳴のような声にビリビリと震える。

「群がるだけのハエはただ見ていろ!」



「遥、キングってなんの話」

 静は腰の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を握り締めている。

「待って、今は聞いている暇はない。あとで聞く。ひとつだけ。キングというのは私のこと?」

「正確には私のこと。だけど、つまりあなたのことでもある。代わろうか、はじめてのヴァンパイア戦が彼では少し荷が重い」

「代わりたくないんでしょ」

 あっと静は目を見張った。

 勝之進が飛び込んでくる。

 一度弾き飛ばされ、地面に叩きつけられ、袴には穴が開き全身は擦り傷だらけだ。しかし剣を手にバエルの背へと襲いかかる。バエルは拳を放った。

「!」

 勝之進の剣が弾き飛ばされた。

「逃げて! 斎姫さま、逃げてください!」

 勝之進は脇差しを抜こうとした。そしてそれに気づいた。

 右腕がだらりと垂れ下がっている。

 今の一撃で折られてしまったのだ。

「うわああああ!」

「ダンタリオンのスードエピグラファであるなら」

 バエルが言った。

「おれの言葉がわかるだろう。ハエはただ見ていろ。このバエルがそう言ったのだ。スードエピグラファごときがバエルの言葉に逆らうな」

 歯を食いしばり、勝之進は左腕だけで脇差しを抜いた。

「やめろ、勝之進!」

 静が叫んだ。

「私が戦う! おまえは逃げろ、その腕では――」

「この状況でッ!」

 勝之進が叫んだ。

「好きな女を見捨てて逃げるようなみっともないことをしたらッ! 誰がおれの死を悲しんでくれるってんだッ!」

「死に急ぐな、ばか!」

 静は木花咲耶姫を抜いた。

 勝之進がバエルへと飛び込んだ。

 木花咲耶姫は確かにバエルの背を斬った。そのはずだ。しかし肉の手応えがない。何事もなかったようにバエルは突っ込んでくる勝之進へと拳を振るった。

 勝之進の口が動いている。

 目は静を見ていない。バエルを見ている。

 でも口はたしかに「し」「ず」「か」と動いた。

 バエルの岩のような拳が勝之進に叩きこまれた。振り抜いたとき、すでに勝之進は散っている。




 ダンタリアンのトリスタン・グリフィスが蒸気船の甲板の上で振り返った。




 黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)も振り返った。

「どうした、俊輔」

 会津若松。

 騎乗の土方歳三が振り返って眼を細めた。俊輔は慌てて小走りで土方に追いついた。

「申し訳ございません。なんでもありません」


 散った。勝之進だ。


 勇一郎(ゆういちろう)鉄太郎(てつたろう)静馬(しずま)、そして勝之進。おれたちは五人いたのに。もう、おれひとりだ。おれだけが残った。

 おれは。

 俊輔は両眼をぎゅっと固く閉じた。

 おれはいつ死ぬんだ。




 港の人々がざわついている。

「今、あの少年の姿が消えなかったか」

「まるで煙のように消えなかったか」

「あの大男がなにもかも粉砕してしまったというのか?」

 静はバエルへと飛び込んだ。

 しかし機械のように正確で鋭い静の剣でも、バエルを斬れない。


 斎姫さま。

 おれだってあなたが好きです。ずっと好きでした。

 ありがとうございます。これでおれは死ねます。


 本当に。

 本当に死んでしまうことはないじゃないか、勝之進。


 静の斬撃はバエルに届いている。着衣は斬り裂かれ、血も滲んでいる。しかし手応えがない。バエルも苦にしていない。

「ハエだと。私の剣は、ただの蚊か」

「静、彼に勝ちたい?」

 静はギリッと歯を噛みしめた。

「今日は暑いですか?と聞くようなマネはやめろ、遥!」

「私に手足はない。体がない。でも私が表に出ればあなたの力は何倍にもなる。それがいつも不思議だった。黒のシズカやキングによると、カノンだけは人の体を自由に出入りできる。それはどうして?」

「いったいなにを――」

「ヴァンパイアの生気を体中に張り巡らしたとき、人の体からも絡め取られる。でもカノンならそれが起きないらしい。試してみた。あなたがあなたの時に私の生気を少し流してみた。時々、今日は体が良く動くって感じたことはなかった?」

「あんた、本当に私の体になにしてくれてんの!?」

「ほら、バエルの拳が来るぞ」

 それくらい、静も見えている。

 静は横っ飛びに飛んだ。バエルの拳は茶屋の柱を粉砕し、吹き飛ばした。

 ゆらり、とバエルが体を起こした。

 その背後で茶屋が崩れ落ちていく。


「静」

 と、遥が言った。

「あなたの剣捌きと私の速さと力。私たちふたりなら黒のシズカより強い」


 舞い上がる土埃の中、静に向けられたバエルの両眼は黄金の光を帯びている。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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