カガノカミ号
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
蒸気船カガノカミ号。
のちに陽春と名前を変え、秋田藩の所有となる。さらに新政府に徴用され箱館戦争に参加することになる。現在はプロイセン人の商人にチャーターされ、横浜港から新潟港へと荷物を運ぶ航海の中だ。
真夏の陽射しの中、甲板の上をのっしのっしとゴリラが歩いている。
「ありゃあ、なんだ」
「人間か?」
「カラクリ人形か?」
「こええ、夷狄、こええ」
日本人水夫たちはその巨大さに震え上がるしかない。
さらに。
「ここっ!」
大きな声が響いた。
「汚れているぞ、兄弟!」
「イエッサー! アイ・アイ・サー!」
「日本人水夫の怠け者どもに、おれたち聖騎士団のモップさばきを見せつけてやるのだ!」
「イエッサー! アイ・アイ・サー!」
横浜港で「乗せろ。金がないけど働くから乗せろ。嫌でも乗せろ。神が見ている。和解せよ」と無理矢理乗り込んできたヒラヒラした白い服の男たちだ。やたらと口うるさいし、細かいし、隙あらば宗教の勧誘をしてくるしでうざい。
「怠け者くらいわかるよ、ばかやろー」
「てゆーか、あいつらほとんど日本語で喋ってるんだけど」
でも、ゴリラほどではないがこいつらもでかい。
顔もやたらと怖い。
「こええ、夷狄、こええ」
「こええ」
「こええ」
「えっ、まじ。これ、くれるの!」
そして艦長室に響くのは脳天気な声だ。
艦の応接室として機能する艦長室は、今はティータイムである。
「カタナかあ。黒のシズカの愛剣がそうだった。太郎丸に次郎丸。かっこいいんだよな。よく斬れるしさ。いつか欲しいって思ってたんだよ。ありがとうな、アムドゥスキアス!」
「シャルロッテ・ゾフィーさま」
「シャルロッテ・ゾフィー」
「さま」
「ねえ、抜いてみてもいい?」
「よろしくて、艦長?」
「私の留学先はオランダでして、残念ながら私はオランダ語とドイツで語しかわかりません、レディ」
日本人艦長がにこにこと笑顔で言った。
「ドイツ語です」
小コントには構わず、レオンハルトは剣を抜いた。
「うーん、名刀の輝きを感じるぞ。ねえ、これ、なんて名前なの。カタナには鍛冶屋の名前がついているもんなんだ。ねえねえ」
「買ったのは私だけど、用意してくれたのはこちらよ。彼から聞いてちょうだい」
シャルロッテ・ゾフィーがてのひらで指し示したのはカガノカミ号をチャーターしたプロイセン人だ。
「こう見えて、凄腕の死の商人さんよ」
「あのう、レディ……」
「ねえ、凄腕の死の商人さん! これ、なんて名前の刀!?」
「あのう……、人を死の商人呼ばわりするのやめてもらっていいですか?」
渋面でプロイセン人が言った。
結局のところ、そのカタナは名のあるものではなかった。
「……」
テンションをだだ下がりにさせ、おとなしくなってしまったレオンハルトである。
「あら、その割に高かったわよ?」
「今は戦時下ですからね」
プロイセン人は苦笑いを浮かべた。
「特に銘刀であれば、倍どころか十倍の値に跳ね上がっているのですよ。ついてませんでしたね」
実際、明治に入って帯刀禁止令の影響もあり刀の値段は暴落した。刀の値段より金を使った拵えのほうが高かったという話もあるらしい。それでも値段がつくのは骨董品としての古刀であり、新刀には値段もつかなかった。明治期に刀の値段が持ち直したのは、西南戦争での抜刀隊の活躍によるものだという。ちなみに土方歳三で有名な二代和泉守兼定が(ギリ)古刀であり、近藤勇の虎徹は新刀、静たちの栗原筑前守信秀は新新刀である。
「ねえ、レオンハルト。ぶーぶー言うなら返してちょうだい。喜んでくれない人にあげたくないわ」
あれ。
とシャルロッテ・ゾフィーはキョロキョロとした。
椅子にふんぞり返るように浅く座って手を頭の後ろで組み、無表情で死んだ目をしているレオンハルトはどこにも刀を持っていない。
「どこにやったの、刀」
「仕舞った」
「どこに」
そういえば。
真夏に。しかもドイツとは暑さの質が違うこの国の夏に。このおっさんは長いコートを着込んでいる。
「ねえ、レオンハルト」
「なんだ」
「そのコート。考えてみるとずうっと着たきりのような気がするのだけど」
「特別製だ」
「……」
眉をひそめているシャルロッテ・ゾフィーに、プロイセン人が声をかけた。
「新潟港ですが」
旧幕府によって締結された日米修好通商条約で開港を約束した五港のひとつである新潟港だが、実はこの時代においてまだ開港されていない。政治的な意図がまったくないわけでもないだろうが、事実として蒸気船が横付けする港としては水深が足りず、浚渫工事が必要だったためである。しかしこうしてすでに活発に船の出入りがある。
奥羽越列藩同盟の兵站基地、なのだ。
このカガノカミ号も、プロイセン人も、そのために新潟港に向かう。
「着いても外出はお勧めしません。観光地として整備されておりませんし、治安も悪い」
「船旅を楽しむために来たわけではございません」
シャルロッテ・ゾフィーが言った。
「私たちの始祖のヴァンパイア、キング。実はキングが消失しましてね」
さすがにこれは口にできない。
「ゴリラが生意気に情報を集め、キング消失の時に光芒が見えた方角に奴奈川藩があることをつきとめたのです。ほら、あのおっかないお姉さん、黒のシズカ。そういえばさっき、この死んだ目のおっさんも口にしてましたわね。その黒のシズカの名が、ヌナガワ・シズカ。怪しいですわよね。そういうわけで、うまく役人に鼻薬を効かせるなりして船をチャーターしてその奴奈川藩まで行ってみたいなあと悪巧みしております。死んだ目のおっさんが前に言ってた奴奈川斎姫の舞も見たいですしね」
ざっくり言えばそういうことになる。
「ほんとはゴリラがひとり出し抜いて行くつもりだったようですが、このシャルロッテ・ゾフィーさまが見逃すものですか。まあ、なぜか聖騎士団もくっついてきてるようですけどね。そういえばトリスタン・グリフィスはこの旅に加わっておりませんが、あの詩人気取りは戦争の情報を追いながら船で北に向かったようでございます」
というわけである。
目の前の美女、「船旅を楽しむために来たわけではございません」の一言しか口にしていないのに、なんだかものすごく長ったらしい説明台詞を聞かされた気がする。そんな不思議な感覚にクラクラしているプロシア人だが、とりあえず。
「とにかく。なにがあっても自己責任でお願いしますよ」
と言った。
艦長さんはにこにこと紅茶を楽しんでいる。
「新潟港です」
「新潟港が見えました」
「艦長に報告」
カガノカミ号は新潟沖に投錨し、港には連絡艇を出すことになる。
甲板では楽隊が賑やかにマーチを演奏しはじめた。
「この船でも楽隊が編成されたのですな。何度も利用しているが、はじめて聴きました」
プロイセン人が言った。
「楽隊を揃える余裕などありません。戦時下ですし」
艦長が言った。
「そういえば、横浜を出航するときも――え?」
「さあ、行くわよ!」
シャルロッテ・ゾフィーが身軽に縄ばしごを降りて連絡艇に乗り込んだ。その後を器用に楽隊も降りていく。
「あのレディの個人的な楽隊のようですな」
「はあ」
テンションが下がったままのレオンハルトも連絡艇に降りた。ぬうっと現れたのはゴリラだ。更に「上陸許可を願います、艦長」「ありがとうございます、艦長」と勝手に宣言し、なぜかモップを手に聖騎士団も続く。カガノカミ号の到着に、港を管理する米沢藩や物資の注文主である奥羽越列藩同盟の侍たちが集まってきているが、普段ならプロシア人と荷物とそれを運ぶ水夫しかいないのに、賑やかに「客」が上陸してくるのに驚いているようだ。しかもそれは楽隊も含めて全員ヴァンパイアなのだが、さすがにそれに気づく者はいない。
いや。
一人だけいる。
ぽかんと口を開けている少年。
「ふうん?」
レオンハルトがその少年に気づいた。
「どうしたの、レオンハルト」
「サムライの中にひとりヴァンパイアがいるぜ。まだ子供だがな」
その言葉にゴリラや聖騎士団も少年に顔を向けた。
あっと、少年は慌ててキョロキョロと周囲を見渡し、そしてまた視線を止めた。レオンハルトはその視線の先を見た。
両腰に剣。少年のように短い髪。黒い男装。
黒のシズカがそこにいる。
レオンハルトがはじめて黒のシズカに会ったとき、彼はまだ人だった。だからその姿とは本当に二五〇年振りの再会なのだ。
レオンハルトの眼から涙が落ちた。
※光芸出版編(1981)『刀の値段史』光芸出版
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。




