転戦
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
この戦争に参加してすぐに静は負傷した。
殴られたのである。
高田榊原家。
静は偽名とともに奴奈川脱藩を名乗った。そして殴られた。奴奈川家が早くから恭順を決めたせいで高田藩もそうするしかなくなったのだと怒鳴られた。
まわりは止めてくれた。
少年相手に大人げないとも言ってくれた。
そもそも静は脱藩者だといったのだ。その高田藩士もあとで謝ってくれた。
でもどうやら、ここにはいられない。
なにかと面倒をみてくれる人もいた。彼のツテで馬を売った。結構な値段で売れた。もともと旅費は持ってきていたが、これで死ぬまでは大丈夫だなと思った。
あんたはきれいな顔すぎるから気をつけろよと言われた。
顔に土を塗った。
剣術道場に通っていてよかったと思った。男を演じるのは慣れている。
五月。
新政府軍に対して東北諸藩による奥羽越列藩同盟が成立した。
静は長岡にいる。
何人を斬ったか、もう覚えていない。もちろん偽名の方であるが、静の名は敵味方に知られるようになっていた。
――奴奈川脱藩にとんでもない少年剣士がいる。
おかげで情報も集まってくる。
高田脱藩の数名が江戸に向かって彰義隊というものに加わった。その中に奴奈川藩の少年たちがいたらしい。
あんたの知り合いかと聞かれた。
そのようだと答えておいた。
ああ、そうか。江戸か。そういう道もあったなと静は思った。
まだ死ぬなよ、とも思った。
困ったのは、新政府軍の先鋒に奴奈川藩の兵がいることだった。
薫は鉄砲隊を組織したはずだが、銃は新政府軍に接収されてしまったらしい。彼らは抜刀で飛び込んでくる。戦場でそこまでの余裕はないとは思うが、奴奈川の人間ならまず静の顔を知っている。それに、とうに人を斬るのになんの感情ももてなくなっているとはいえ、やはり奴奈川の兵を斬るのは嫌だった。
そして、この月。
長岡城落城。
自分一人が勝ってもなににもならないのだと静は知った。
長岡藩は栃尾に撤退し抗戦を続け七月には城を奪還することになるが、静はひとり新潟に向かった。長岡藩をはじめとする北越諸藩が戦えるのは兵站基地としての新潟港の存在が大きい。もちろんそれがいちばんの理由だったが、新潟港なら奴奈川藩の兵士と遭遇することはないだろうとも思った。
時にはひどい傷を負った。
それは遙がすぐに治してくれた。むしろ人前でそれを見せるわけにはいかないのでごまかす方が大変だった。包帯ですでに治っている傷を巻き、さて、どの包帯が先に結んだものだったか、どれから外せば不自然じゃないかと困った。痕がまったく残らないのも困った。
長雨が降る空を見上げ、そういえばと思った。
そうだなあ、そういえば、なぜ私は戦っているんだっけ。こんど奴奈川の兵に逢ったなら、高子の神楽舞はきれいだったかと聞いてみようか。
現在の暦でいえば八月が近い。
梅雨は明けない。
「おい、俊輔」
彼が俊輔を呼んだ。
黒姫俊輔、今は単身会津にいる。
髷を切り洋装にしているのは、彼の影響だろうか。
「おまえ、いっしょに脱藩した仲間を探していたな」
「はい。江戸ではぐれてしまいまして」
「越後長岡にいるらしいぜ。奴奈川脱藩のとんでもない少年剣士が」
彼の情報は少し遅れている。
それでも時代を考えると極めて迅速で正確だともいえる。
会津藩は奥羽越列藩同盟の盟主であるだけでなく、越後にも飛び地を多く持っている。会津藩はこの会津の地で新政府軍を迎え討つだけではなく、すでに文字通り戊辰北越戦争を戦っているのだ。
「両腰に剣」
その言葉を聞いて、俊輔はあっと目を見張った。
「ご丁寧に朱鞘に黒鞘。すげえらしい。いつも先頭切って斬り込み、ケガ一つなく戻ってくるそうだ。こいつか?」
「おれが探している仲間とは違いますが、知っています。藩の剣術道場で一緒でした」
静さまは生きていた。
ほっと安心するとともに、胸の奥の痛みを感じてしまう。
「名を内藤隼人」
「変名ですね。奴奈川ではよく知られた人なので、本名を名乗るわけにはいかなかったのでしょう」
「ふざけた名前をつけやがる」
くっと彼は笑った。
もと新選組副長、土方歳三。今は会津城下に入り、軍事教練を行っている。
「ああ、そうだ。俊輔」
「はい」
「それで奴奈川家な。若殿が死んだそうだ。戦場ではなく布団の上でな」
戦争の中で、俊輔も静のように不感症になっている。
それでもこの報せは衝撃だった。
そうだ。そもそも静が生きているのだから薫は死んだのだろう。自分だって彼を斬るつもりで対峙したことがある。それでも。
「そうですか」
俊輔はそれだけを言った。
この地でも雨が長い。
梅雨が明けた。
明けたらいきなりの猛暑だ。やりきれない。
「やれやれだ」
目の前の光景にもうんざりしてしまう。
新潟港は日米修好通商条約で開かれた五港のひとつだ。しかしこの年に至っても実はまだ開港されていない。奥羽越列藩同盟の兵站基地であり、今は米沢藩の預かりとなっている。
治安は悪い。
「軍資金がいる」
と、数人で店に居座っている。
「出せ。さもなければ、こんな小さな店、仲間を呼んでたたき壊してやる」
新潟警護の名のもとに佐幕派を名乗るゴロツキの集団が乱暴狼藉を働いている。米沢藩が駐在するようになったのも、新政府軍への備えはもちろん治安を回復するためでもある。一時は千人ちかくいたゴロツキの集団の多くは新潟を去ったが、まだ残っている者たちもいる。
「本末転倒じゃないか?」
静は思う。
「こんな連中の味方を私はしているのか?」
虚しくもなる。
店にたむろしているゴロツキたちの中で、いちばん大きな尻を静は蹴飛ばした。
「なんだてめえ」
「なんでえ、まだガキじゃねえか」
静はこの当時の日本人男性の平均より一〇センチほど背が高い。しかしその華奢なからだとあごの細さのため、やはり少年にしか見えない。
その華奢な静が大喝した。
「乱暴狼藉はその場で斬り捨てるッ! これは新潟総督色部長門守さまの命であるッ!」
あっとひるむゴロツキたちだが、しかし数を頼む。
「おれたちをだれだと思ってやがる」
男たちは一斉に腰の刀に手をかけた。
「待て」
ゴロツキの一人が仲間を止めた。
「その両腰の剣。そこもと、奴奈川脱藩内藤隼人か」
「そうだ」
ゴロツキたちがざわめいた。
――とんでもない少年剣士。
長岡戦ではひとりで一〇人を斃したという。二〇人ともいう。
「それはほんとうか」
「試せ。仲間を全員呼んでこい」
静が言った。
「おまえたちゴロツキを一掃できるなら助かる。おまえたちのために町を巡回する手間に腹が立つ。おれはこんなことをするために脱藩したんじゃない」
「わかった――おれたちは去る」
男が言った。
「内藤隼人。おれたちもこんなことをするために戦いに身を投じたわけじゃないんだ。それはわかってくれ」
その男はこの男たちのリーダー格らしい。そしてかなり使うようだ。体つきと視線、所作でわかる。男は先立って歩きだし、静の横を抜けて店の外に出た。
その瞬間、男は身を沈め抜刀した。
しかしその白刃はなにも捉えることができなかった。
男の”殺気”をずっと捉えていた静が、男が抜刀の動作に入ったところで彼の顔を鷲掴みにし、そのまま後頭部から地面に激しく叩きつけたのだ。
「おい、おれを怒らせるなよ」
両眼を見開いている男に顔を寄せ静が言った。
「おれの剣には女神の名前がついているんだ。おまえたちのような下衆の血を吸わせるのは気がひける」
男は静の言葉を聞いていなかった。
もう死んでいたのだから。
静はゴロツキたちをにらんだ。腰が引け、すでに逃げる態勢だ。
「待て」
「ひいィっ」
「忘れもんだぜ」
静は死んだ男の腕を掴んでいる。なにを言われているのか理解したゴロツキたちは恐る恐る近づき、男の体を数人で持ち上げて走っていった。
「迷惑をかけた」
店の者に声をかけ、静もその場を去った。
信濃川の向こうに蒸気船が停泊している。
あれもまた、西洋の武器を積んでいるのだろうか。
それでも新政府軍に勝つのは難しい。静もそう考えざるを得ない。問題は、どう戦いを終わらせるかなのだ。
静は苦笑した。
たった数ヶ月で、自分はなにかを知った気になっている。
そして静はその男の姿を見た。
長身の欧州人の男。
鍔の長い中折れ帽に無精ヒゲ。
その男は、静を見つめたまま動かない。静はこの頃無口な妹に聞いてみた。
「あれはだれ、遙」
「私と同じ鬼。ヴァンパイア」
遙が言った。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット。
目前の奇跡に涙が落ちる。
※内藤隼人:土方歳三が使った変名のひとつ。
※色部長門守:色部久長。米沢藩家老。新潟総督。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。




