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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
52/77

旅立ち

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 ばかだ。

 (かおる)は思った。

 助かったとも思った。(はるか)――あの驚異的な速さと足癖の悪さを持つ鬼娘は静の後ろにさがったらしい。仕組みはわからないが。

 曹洞宗(そうとうしゅう)普済寺(ふさいじ)山門(さんもん)前。

 (しずか)木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を構えた。

 噂によると静もそこそこ強いらしい。藩の剣術道場では勝てるものがいないほどだという。

 とんでもないばかだ。

 薫は思った。

 お姫さま相手に男が本気で打ち込めるとでも思うのか。ちやほやされていい気になって、それがほんとうの自分の実力だと勘違いしたか。

 そして、静。

 おまえは真剣を振るったことがあるのか?

 おまえは人を斬ったことがあるのか?

 おれが木花知流姫(コノハナチルヒメ)を抜いたとき、近づこうとしていた遙が足を止めた。あの鬼娘であっても真剣は怖いのだ。狙い通り打ち、有効とみなされなければ一本にならない竹刀の仕合とは違う。触れただけで切れるのだ。

 わかっているか、静。




「見なさい、静。薫のいやらしい顔」

「さがれ、遙」

「あの薄笑い、あれはぜったい静の裸を想像している!」

「それはおまえだ!」

「なにをいうんだ。私には想像する必要がない。見たいときに好きなだけ見ることができるんだ!」

「だからさがれっ! 集中できないだろうっ!」

 ()()()は、簡単に出せるわけじゃないんだから!

「静」

 と、遙は言う。

「あなたは人を斬ったことがあるの?」

「あなただって斬ったことはないでしょう、遥」

「私のヴァンパイアは奴奈川姫(ぬながわひめ)。そして私の前の体は黒のシズカ。私の半分は人を斬り慣れている。あなたとは違う」

 ヴァンパイア?

 黒のシズカ?

 二年近く消えていた間に、遥になにがあったのだろう。

「そして静。薫も人を斬ったことがある」

「この夕方にね」

「ちがう」

 遥が言った。

「大社の接待殿ではじめて顔を合わせたとき、すでに薫は血の匂いをさせていた。あいつはたぶん江戸で人を斬っている。それも身に染みついてしまうまで」




 はじめは誰かに喧嘩を売りたがっていた中間(ちゅうげん)

 身体が大きく、喧嘩慣れしているのが目つきからもわかった。さすがに、はじめはもっと楽な相手にすべきだと思った。しかし、それではいつまでたっても一人前になれない。そもそもその男もすでにおれに目をつけていた。

 懸念していたより簡単だった。

 刀を持つ腕を斬り落として、それで決まった。逃げ出した後ろ姿のどこを斬れば効率的かまで見えた。その夜から何人か斬った。飽きた。

 女も抱いた。

 他の女に欲情できるのか。

 それもなんとかなった。

 何度試しても、終わった後に吐いてしまうのが止まらなかったが。

 参勤交代が緩和され、「故郷」である奴奈川の地に戻ることになった。夢想の中にだけいた静に会えるのだ。もしその時、おれが中途半端であるなら、それは許されない。堂々と一人前の男として静に会い、そして堂々と静に惚れるのだ。総領息子として嫁くらい娶ってやる。子も残してやる。

 幸いにして再会した静は想像していたより美しく、そして気高かった。

 すちゃらかすぎないか思うこともあるが、まあいい。


 この奴奈川薫の一生の女は静だ。


 そのためにも、静、おまえを倒す。

 どこにも行かせない。

 旧幕府側について戦場に行くだと。ふざけるな。

 おまえはおれの近くにいろ。ただおれのことを祈れ。

 奴奈川斎姫(さいき)としての()()()があっても、足の腱を斬ればもう普通に歩くこともできなくなるだろう。斎姫としての務めも斎姫(だい)に任せ、大社の奥で一生を過ごすしかなくなるだろう。(そもそもおれは、静が見世物になっているのすらいやだった!)それなのに、こうして静は両足で立ち、しかも同じ体を共有しているという遥は強烈な足技を使ってみせた。

 どうする。

 ならば、片足を切断しても大丈夫か?

 しかし、鬼娘がそれを直せなければどうする。

 なるべく損傷は最小限に納め、さらに鬼娘が戻ってくるまでに静を制圧する。やれるか?




 静は目を開いた。


 まず、音が消える。

 次に色が消える。


 遥のとんでもない告白というか自慢を聞いてしまった衝撃に、この状態になるのにいつもより苦労した。頬と耳の火照りがひかない。

 タキサイキア現象、と言うらしい。

 走馬灯現象のようにも言われる。

 命の危険が迫ったようなとき、脳が猛烈に動き始めるのか、必要のない情報を削ぎ落として処理するのか、その両方か。周囲が止まったように、まるでスローモーションのように見えることがある。アスリートの場合はさらに周囲が暗くなり、やるべき事が光跡のようにはっきり見えることがあるという。トンネル現象と呼ばれることもあるようだ。

 静の場合、常軌を逸した素振りの繰り返しの中でそれを起こしてしまったらしい。宗教家の無我の境地に達したのかもしれない。

 空で止まっている鳥。

 流れを止めた小川。

 一度きりの不思議だと思っていた。

 ただ、それを体験したことで、このようなことが今後も起きるかも知れないとは思っていた。そして確かにそうだった。大社の境内を歩いているとき、巫女たちを眺めているとき、それは呼べばやって来るようになったのだ。

 薫を斬る。

 人を斬ったことがあるのかとスケベ――いや、遙は言う。

 遥に任せるか。いや、それは卑怯だ。愚劣だ。この先、私はいやなことはすべて遥に任せるというのか。私は――。

 あっと静は目を見張った。

 見えた!

 今日はこの状態になっても見えなかった光跡がはっきり見える!

 静は地を蹴った。




 静の体を傷つけたくはない。

 それならば。

 ベルトの腰に差しているスミス&ウェッソン。

 スケベ――いや、遙は当たらないといった。たしかにそうだが練習をしてないからだ。この距離であればおれなら全弾当てられる。そして、おれを襲った男はそれでは死ななかった。

 これだ。

 薫は中段に構えていた木花知流姫から右手を離し、上着の裾を払った。



 薫の正面が開いた。



 静を導く光跡は薫の胸へと伸びている。

 腕を斬り落とすような事になるのいやだった。できるだけ体を毀損させず、しばらく動けなくだけする。木刀でも持ってくればよかった。しかし今、薫が右腕を後ろに回し、薫の正中(せいちゅう)が開いた。

 一歩。二歩。

 静は迫り、下段に構えた木花咲耶姫を跳ね上げた。

 この時の手応え――手の感触を、静は一生忘れることはないだろう。


「うわああああああッ!」


 薫は悲鳴をあげた。

 胸から血が噴き出した。

「わあああっ!」

 なんだ今の剣筋は。速い。見えない。鬼娘と変わらない。

 薫は両膝を落とした。

 胸の傷を必死で押さえ、見上げるのは静の姿だ。静は目を逸らしかけ、そして視線を戻すと薫を見下ろした。

「致命傷ではないだろう」

「静……!」

「そのうちに家臣たちが来る。ご住職もいる。死ぬなよ。最初に斬り殺したのが実の弟だなんて嫌だからな」

 静は白馬天狼(てんろう)号へと歩き、騎乗した。

 薫は地面をのたうち回っている。

「静――アア!」

「騒ぐな。傷が塞がらなくなるぞ」

「静――おれは――おまえを――許さない――おれは――おまえを――!」

 静は天狼号を走らせた。

 振り返りもせず、静が走っていく。

「静アア!」

 薫の声が静の背に、そして闇の中に響き渡る。

「おれは許さないぞ――おまえを許さないぞ――静――ァァアア!」




 奴奈川の町が遠ざかっていく。

 満開の桜に埋もれた小さな町が遠ざかっていく。

 海沿いの街道に出て、静は常歩(なみあし)に戻した。

「うっ!」

 静が口を押さえた。

「変わりなさい、静。私は夜目が利く。あなたはお休みなさい」

 遥が言った。

「だから言ったじゃない。人を斬ったことはあるのかって。結局、薫も殺せなかったじゃない」

「これからは、殺す」

 絞り出すように静が言った。これからは――。

 遥は鼻を鳴らした。

「私にやらせればよかったんだ。これからも私にすべてやらせればいい。あなたは汚れなくていい。私が汚れればいい」

 「静」と、遥が言った。

「私は鬼。私は鬼でいい。すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい」

 遥の影で静は泣いているようだ。

 それにしても、と遥は思った。

 常歩とはいえ、人が歩くより速い。それなのに街道に俊輔(しゅんすけ)たちの姿が見えない。

「まだ走っているのか? それとも――」

 俊輔たちを探すかい、と遥が言った。

 いい、と静が言った。

「遙がいてくれればいい」

 遥は一瞬困ったような表情になり、そして前を向いた。

「行こう、静」

 遥が言った。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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