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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
51/77

きょうだい

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 奴奈川(ぬながわ)家江戸上屋敷(かみやしき)

 藩主奴奈川日向守(ひゅうがのかみ)にはじめての子が産まれた。

 しかし報せを聞いた日向守は、その端正で知られた顔をしかめさせたという。双子、それも男と女だったのだ。この当時、それは心中者の生まれ変わりだと忌み嫌われていた。

「ほんとうは三つ子だったのです」

 しかし奥方は、あっけらかんと言ったらしい。

「そんな賑やかな心中者はおりませんでしょう」

「しかし、それでは三人目はどうしたのかね」

 日向守は当惑するしかない。

「きっと恥ずかしがり屋さんなのでしょう。私たちは生まれてこなかったもうひとりにも名前をあげなければなりません」

 奥方は奴奈川斎姫(さいき)(だい)を何年にもわたって務めていた。

 そのためなのかもとよりなのか、ときどき浮世離れしたことを口にする。日向守も無骨者と言うより風流者であり、奥方のそういうところを大変好んでいた。そうかもしれないねと、あっさり賛同したのだという。


 そして名付けられたのが、女の子が(しずか)。男の子が(かおる)

 生まれてこなかった子が(はるか)


「なぜ遙なのだね」

「この子は永遠を生きる子ですから」

「よくわからない」

「私も」

 屈託なく笑う。

「でもそう感じるのです。どうしてでしょう」

「あなたはいつも不思議なことをいう」

 そう言いながらも、日向守の顔には苦笑いではない笑顔が浮かんでいたという。



 一月後。

 祠しか設置されていない上屋敷から奴奈川神社本殿および拝殿のある下屋敷(しもやしき)に移り、宮参りを兼ねた儀式が行われた。

 神職によって祓われ、よく清められた短刀で赤ん坊の左手に傷をつける。

 古式にのっとり行われた儀式の中で、ざわめきが起きた。

 泣き叫ぶ女の子の手の傷からの血が止まったのだ。

 傷が塞がっていく。癒えていく。居合わせたものはみな息を呑んだ。笑顔で目を輝かせる奥方以外は。



「予感はありました」

 奥方が言った。

「斎姫代を務めさせていただいたとき、すでに私の中に静がいたのですね」

「それでは私の子ではないことになる」

「まあいやだ。殿、私、そんなふしだらな娘ではありませんよ」

「そういう意味ではなく」

「それにしてもおかしいこと。予感はありました。でも私、奴奈川斎姫さまになるとしたら遙のほうだと思っていました」

「遙はいないのだから」

「いますよ、殿」

 永遠を生きる子、遥。

「いるのです」



 そんな親の影響を受けたのか、薫は「自分には妹がふたりいる」「静と遙だ」と答える少年だった。それは、奴奈川斎姫として国元の奴奈川大社に送られて育った静もそうだ。「私には遥という妹がいる」。それどころかときどき二人が会話している声も聞こえてくるという。


「遙はいる」


 家族がみなそういうものだから、日向守としてもそのように対応せざるを得ない。

「七五三のお祝いに、薫どのはなにを所望なさるか」

 日向守に問われた若殿はしばらく考えたいと言い、そして半月後に返答した。

「三つ子の刀を所望したく存じます。ひとつは木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)。これは静に。ひとつは石長姫(イワナガヒメ)。これは遥に。私には木花知流姫(コノハナチルヒメ)でございます」

 聞いていた奥方は首をひねった。

「奴奈川姫さま(斎姫である静)に木花咲耶姫さまの名の刀を? それはそれで差し障りがあるのではありませんか」

「遙の提案でございます」

 薫が言った。

 この半月、国元のきょうだいと手紙のやりとりをしていたらしい。

「静は美しいので木花咲耶姫。遙――自分は永遠の命を持つけれど醜いので石長姫。私――薫なんかどうでもいいから木花知流姫」

 奥方は声を上げて笑った。

「なおさら差し障りがある。その申しよう、女神さまたちが怒りましょう」

「ですから私ではありません。遥の言葉でございます」

 まだ幼い薫が言った。




「あの頃から」

 今は洋装の薫が言った。

 あれから一〇年。今は真夜中の林の中で薫と奴奈川斎姫――遥が向き合っている。

「おまえはおれのことを嫌っていたよな、遙。会ったこともないおれを」

「おまえの(ふみ)はキモいんだよ」

 遙が言った。

「静への文なんか、まるで恋文のようだった。見た事もない、それも実の妹にだぞ」

「見なくても、おれにそっくりだというんだ。そりゃ美人だろう」

「気持ち悪い!」

 さっと、薫は背中のスペンサー銃を構えた。

 速い。

 しかし、薫がためらいもなく引き金を引いたときには、すでに剣を納め銃をかいくぐり、薫の足元に遙がいる。遙は薫を見上げてにやりと笑った。

 むなしく銃声が響いた。

 その轟音と光の中、薫は腹部を強烈に蹴り抜かれた。

「――!……」

 なんだ、今のは。

 速い。いくらなんでも速い。

 薫は崩れ落ち、背中を丸めてうずくまった。霞む目を上げると、遥が見下ろしている。

「立て。簡単には殺さない」

 がくりと首を落とし、しかし次の瞬間には素早く立ち上がりスペンサー銃を構える。

 しかし今度は引き金を引くこともできなかった。

 遥の蹴りが横から飛んできてスペンサー銃を手から吹き飛ばし、そして間を置かず今度は軸足が蹴り足となり薫の側頭部を打った。

「こいつはいい。おまえが買ってきたこの服。動きやすいぞ」

 まずい。

 がくがくと崩れそうになる足に力を込め、遠くなりそうになる意識をつなぎ止め、薫は遙の姿を探した。

「鬼か」

「そうだ」

 遥は薫のまわりをぐるぐると歩いているようだ。

「夜目が利く」

「そうだ」

「強く、速い」

「おまえの動きなど止まって見える」

「しかし、俊輔(しゅんすけ)の目は光っていた。おまえの目は違う」

「この目も体も静のものだからな。だが気にするな。おまえの姿は充分見えている」

「静なのか?」

「遥だ」

「腱を斬られたのは――」

「言葉は正しく使え。おまえが斬ったんだ。腱を斬られたのは静で、私が癒やした。私の足でもあるからな」

 なんてこった!

 そういえば俊輔も言っていたじゃないか。同じ体の中に静と遥がいる。

「おまえを傷つければ静も傷つくということか」

「そうだ。だが安心しろ。おまえに私に傷つける力なんてない」

「でも、両足の腱を斬ったぞ」

 怒らせたらしい。ぐるぐるとまわっていた遥が薫へと足を向けた気配がある。薫は鯉口を切った。遥の足が止まった。薫は木花知流姫を抜いた。

「俊輔は()()()()()だのいう外国人に鬼にしてもらったという。おまえもか」

「違う。私は生まれつきだ」

 遙が言った。

「私のヴァンパイアは奴奈川姫」


「奴奈川一族の始祖神、奴奈川姫が私のヴァンパイアだ」


「奴奈川斎姫は奴奈川姫の生まれ変わり。それは正解だったのさ」

 遥は納めていた石長姫を再度抜いた。

 そして、ふんと鼻を鳴らした。

「薫、おまえさ。静に執心で、『私は正妻を置かない。静がその代わりをしてくれ』とか頭おかしいんじゃないかって文を寄こしてさ」

「具体的な内容を暴露するな。誰も聞いていなくても恥ずかしいだろう。無垢で純粋な少年の頃の話だぜ」

「でもおまえ、静の胸を触ったこともないだろう」

「……」

 聞き間違いかと思った。

 どうやらおれに勝ち目はない。遥はおれより速く強い。それどころか遥を傷つければ静も傷つくのだという。圧倒的に不利だ。不利なんてもんじゃない。

 考えろ。

 挑発しろ、動揺させろ、隙を作れ。

 そう頭を巡らしていた。だから遥の言葉に集中しておらず聞き間違いなのだと思った。

「静の裸も見た事がないだろう」

 どうやら。

 おれの聞き間違いではないらしい。

「ないんだ。静は悲しいくらい胸がないんだ。触っても少しも気持ちよくないんだ。それでも私は静の胸を触ったことがある。静は風呂好きだから、毎日裸も見ている。どうだ、うらやましいだろう!」


 ――すちゃらか姫は静だけではなかった!


「いや待て。おまえの話の通りなら、それは自分の体じゃないか」

「はっはー、残念でしたーー! ばーか!ばーか! これはあくまで静の体なんだよーー!」

 高笑いまで始めた。

 まずい。

 脳がとろけそうだ。とろけた脳が穴という穴から噴き出してしまいそうだ。動揺させるつもりがおれが動揺しているじゃないか!


 ぱああん!


 そこにその音が響いた。

 抜いたばかりの石長姫を鞘に納め、そして遥は自分の両頬を思いっきり、この上なくとてつもなく、勢いよく叩いたのだ。

 今度はなんなんだ!

 頬を真っ赤に染め、涙目になり、そして遥は無言のまま今度は木花咲耶姫を抜いた。

「ああ」

 薫は人だ。

 遥と静が入れ替わっても視覚では区別つかない。しかし、刀を入れ替えたことで()()を理解したようだ。

「おまえ、静か」

 薫が言った。

「そうだ」

 静が言った。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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