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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
49/77

散華

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 陣屋が賑やかだ。

 一万石の大名に築城は許されない。もとより江戸定府(えどじょうふ)奴奈川(ぬながわ)家が持つのは、主がおらず他の藩主が参勤交代のときに泊まる本陣として機能していた屋敷と、そしてそれとほぼ変わらない規模の陣屋だけだ。

「若殿がいない!」

「抜け出したのか!」

「まさか、すでに普済寺(ふさいじ)に!?」

 その陣屋で家臣たちが大騒ぎをしている。


 ふうん。

 (かおる)はいないのか。


「おい」

 と、その人影は家臣のひとりの襟首をつかんだ。

「薫はどこだ」

「なにをする! ――ええええっ!!!」

 その家臣は人影へと振り返って仰天している。

「若殿だ! 若殿はここにおわす!」

「なんだと!」

「ああっ、若殿!」

「ばか」

 と、その人影が言った。

「今、私とあいつを取り違えるな。不機嫌になってやるぞ、この上なくな」

「お、おのおの方!」

 と、声をあげたのは剣術道場に通うまだ若い家来だ。

「奴奈川斎姫(さいき)さまでござる! 説明は長くなるうえになんともいわく言い難く省略申すが、このお方は確かに正四位下(しょうしいげ)奴奈川斎姫さまでござる!」

 そう言われても鬼太郎カットに女性にしては長身、さらに若殿が制定した西洋軍服を着込み、そこにはびっくりするほど胸がない。剣術道場でのことを知らなければただの若殿薫なのだ。更に。

「斎姫さまは足の腱を斬られたのではなかったか!」

「なあ、おまえたち。高子(たかこ)もそうだったが」

 人影が言った。

「私を斎姫だともてはやしておいて、誰も彼も信じていなかったのか。私には神の力がある。傷を癒やすことができる。そうだろう?」

 家臣たちはうろたえている。

 斎姫さまなのか。

 ほんとうに斎姫さまなのか。

「それより薫はどこだ」

「若殿は――」

「あいつに話がある。私の腱を斬ったのを知っているなら、なぜあいつは自由なんだ。あんな危ないやつ、座敷牢にでも放り込んでおけよ」

「なにせ、若殿でございますし、今は殿も上洛なされご不在でございまして、これがなかなか……」

「なかなか……」

「はあ、なかなか……」

「なんなら私が斬る」

「えっ」

「えっ」

「えっ、斬るの!?」

 斎姫は体をひねりながら剣を抜き、背後の襖へと白刃を走らせた。

 やがて音も立てず襖がずれはじめ、カタンと上半分が落ちた。

(しずか)木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)ほどじゃないが、私と石長姫(イワナガヒメ)にもこれくらいできる。さあ」

 剣を納め、斎姫が言った。

「言え。薫はどこだ」



「あばよ」



 陣屋を飛び出し、斎姫が走っていく。

 風のように。

「斎姫さまはなぜ灯りも持たずに夜のなかを走れるのだ」

「斎姫さま――だからであろう」

 すっとぼけ事なかれ集団にも、ようやく畏敬の念と今ごろになって責任感が沸き上がってきたようだ。慌てて普済寺に、黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)たち少年たちの集合場所であるという普済寺へと向かうための部隊を組織しはじめた。

「脱藩とは遺憾ながら、しかし少年たちを守らねばならぬ」

「だが、相手は若殿」

「しかも剣の達人という。銃で撃つわけにもいかぬし、どうすれば」

「それがし、江戸で刺股(さすまた)なるものを見た。あれは使える」

「よし、そこもとは急ぎ江戸に飛び、それなるを発注して参れ」

 すっとぼけ事なかれ集団の夜は長い。



 奴奈川大社には松明(たいまつ)が焚かれ、人々はまだ境内を行き来している。

 若殿薫が出した禁足の令は解かれ、配置された家臣たちは今はむしろ大社の警護にまわっている。

 静が寝かされていた部屋に一人正座して佇むのは黒姫高子だ。

 行ってしまった。

 高子は思った。

 斎姫さまは行ってしまった。

 両足の腱を斬り裂かれながら、その半日後には立ち上がった奴奈川斎姫。

「話をややこしくしたくはないが」

 と、斎姫は言った。

「私は(はるか)だ。静は衝撃が大きくて今は隠れている。おまえたちは言っていたな。静はお転婆で脳天気で、遥は不機嫌でおとなしい。今夜、すちゃらか姫は脱藩して将軍家側に参加するつもりだったんだ」

 「だけど」と遙が言った。

「私が止めるつもりだった。どれだけ静に嫌われることになっても、もう呼んでもらえなくなっても、私がこの体を支配して渡さず、静を止めるつもりだったんだ。なのに薫のばかがすべてを台無しにしてくれた」


「このような辱めを受け、私と静はもうここに残れない」


「高子」

 と遥は微笑んだ。

「ごめん。おまえたちにすべてを押しつけて私は行く。ごめんね、高子。いつも静によくしてくれてありがとう。斎姫(だい)を頼む。おまえならきっと私よりきれいだ」

 そして遥は高子を抱きしめた。

 あの感触がまだ残る。

 奴奈川大社斎姫殿。目を瞑っても歩ける。毎日のように静に振り回された。でも彼女はもういない。この屋敷も主を失った。

 黒姫高子の頬を涙が落ちていく。

 斎姫さまは行ってしまった。


 もう戻らない。




「もとよりおまえたちは戦力じゃない」

 若殿薫はまだ白馬天狼(てんろう)号の上にいる。

「だから行きたいのなら行かせてやるつもりだった。青臭いのが青臭い思想をおれの兵に吹き込んでまわっても困るからな」

「おれじゃない」

 小林静馬(しずま)が言った。

 話の腰を折られた薫は冴え冴えとした目を静馬に落とした。

「おれたちは尊皇攘夷だった。そのおれたちが官軍に弓を引くっていうのか。間違っているのはおれじゃない。おまえたちだ」

 若殿薫。

 黒姫俊輔。

 鷹沢(たかさわ)勇一郎(ゆういちろう)

 米山(よねやま)鉄太郎(てつたろう)

 三浦(みうら)勝之進(かつのしん)

 小林(こばやし)静馬(しずま)

 五人、子供の頃からいつも一緒だった。

 薫の学友として選ばれ、薫を含めて六人。ずっと一緒だった。

「静馬……!」

 鉄太郎などは、すでに泣いている。

「なぜだ、静馬……!」

「若殿!」

 二本差しを腰から抜いて右脇に置き土下座したのは相沢青年だ。

 薫の冴え冴えとした視線は、今度は相沢青年に向けられた。

「お願い奉る! どうか、この者たちを行かせてやってくだされ! 腹を斬れというのであればそれがしが斬りまする! どうか!」

「腹?」

 薫が言った。

「馬鹿か? それでおれが納まるとでも思ってんのか? なあ?」

 おまえたちは!と薫が声をあげた。

「おれの静をおれから奪おうとしたのだ!」

 おれがこの奴奈川藩を守ろうと必死になっている中!

 おまえたちが考えていたことは、静を連れて逃げることだった!

「俊輔!」

 薫が吠える。

「おれの静をどうするつもりだったッ!」


 おまえたちの飯盛り女にでもするつもりだったかッ!

 静に、おまえたちはどんな薄汚い想像をしていたッ!

 おれのッ!

 おれの静に、なにをするつもりだったッ!!


「若殿……!」

 若殿は……!

 この少年は狂っている……!

 がば!と刀を手に相沢青年が立ち上がった。

「御免、若殿! 俊輔、おまえたちは行け! おのれの信じる――」

 しかし相沢青年の言葉は銃声にかき消された。

 相沢青年はその場に崩れ落ちた。

「こいつは全弾叩きこんでも人ひとり殺せなかった拳銃とはわけが違う」

 馬上で薫はライフルを手にしている。

 硝煙が銃口から上る。

 名馬天狼号は少しも動かない。

「アメリカのスペンサーライフルだ。威力だけじゃない。連射できる。再装填も簡単だ。おれが育てた銃士隊はおまえたちを撃つのはいやだとおれを裏切ったが、こいつがあればあいつらも要らない。なあ、おまえら」

 薫の顔に、黒姫高子をぞっとさせた薄笑いが浮かんでいる。

「全員、なぶり殺してやるぞ」

「若殿!」

 静馬が薫に迫った。

「話が違う! 謹慎だけで済ましてくれるのではありませんでしたか!」

 静馬には顔も向けず、ただその額に銃口が当てられた。

「おれはそんな約束をしていない。おまえがそう言ったんだ」

「いやだ!」

 きかん気の強い鉄太郎が剣を抜いて走り出した。

 薫に迫る。

「おれは戦場で死ぬんだ! 犬死にでもいい、それでいい! だがこんな甲斐のない死に方は嫌だ!」

 銃声が鳴った。

 鉄太郎が弾き飛ばされた。

「おっ?」

 薫が眉をひそめた。

 鉄太郎の体が「散った」のだ。あるべき死体が消えた。夜の闇の中とはいえ、確かにそう見えた。

「なんだ今のは。おれの見間違いか?」

 隙あり。

 静馬は腰の剣に手をかけた。

 スペンサー銃が更に火を噴いた。

 今度は薫もしっかりと観察している。額に穴を開け、静馬が倒れていく。そして静馬も散った。

「これはなんだ」

 死んだときには散る。

 はじめにそう聞かされていた。だから俊輔たちにとってそれは新鮮な驚きではない。しかし衝撃だ。

「鉄太郎……」

「静馬……」

 俊輔たちは戦慄している。

「おまえたち、いったいなんなんだ?」

 次の銃弾を薬室に送り込み、薫が言った。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


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