表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
44/77

藩論

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 慶応三年十一月十四日。

 十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が政権を朝廷に返上した。江戸幕府は二六〇年の歴史を閉じ、将軍家は一大名に降った。

 大政奉還である。

 しかし朝廷にまだ力はなく、将軍家には七〇〇万石|(徳川宗家の所領は四二〇万石)に八万騎。そして二六〇年にわたり政権を担ってきた経験がある。




 江戸(えど)定府(じょうふ)だった奴奈川(ぬながわ)藩藩主奴奈川日向守(ひゅうがのかみ)は奴奈川の地にいる。

 その日向守のもとに朝廷より上洛の命令が届いた。

 実は十万石以上の大名に招集をかけたのだがほとんど集まらず、一万石以上にひろげて再招集されたものだ。

 旗幟(きし)をあきらかにせよ。

 そういうことだ。

 奴奈川一万石でも陣屋で会議が開かれた。

「従うしかございますまい」

 そう主張するのは若殿(かおる)だ。

「しかも可及的速やかに。様子見がいちばんいけない。こたびの戦で将軍家が破れるかどうかはわかりません。しかしもう流れは出来ている。だからこそ英邁で知られる慶喜公は膝を屈したのだ」

「しかし」

 と、反論もある。

 ――忌憚なく。

 そのように殿からの命もある。

 また、薫の正論に同意しながらも心情的には認めがたい。そう思っているものが多い。

「徳川への恩顧忘れがたし」

「恩顧などござらん」

 もちろん、そう言うものもいる。

「なにを」

「そこもとは、関ヶ原で中立を保ったわがお家を取り潰しも転封もせずこの地に残したことを言うのであろう。だがそれは、我らが奴奈川大社をお護りする一族であるからこそ」

「それが恩顧でなくてなんであろう」

「その前は上杉家に仕え、そのあとは前田家に仕え、そして徳川宗家だ。それで武士は二君に仕えずとは片腹痛い」

 頭がまわる者はアクロバティックな主張もする。

「こたびの招集は、王臣となることを示せと申すもの。もとより陪臣なればそれを貫き通すまで。わが藩は領地を朝廷に返上し、徳川宗家の一家臣になれば招集に応じる必要なし」

 たしかに、奴奈川藩は一万石ながら豊かだ。

 それはそもそもが奴奈川大社の門前町だからだ。奴奈川大社の社領と財力があれば、藩としての領地を返上してもそれなりにやりくりできるかも知れない。今は正四位(しょうしい)奴奈川斎姫(さいき)までもがいる。しかもまだ若い。

 甘い。

 薫は思う。

 藩士の多くは、この地が奴奈川大社のお膝元であることを当たり前のように頼みにしている。それならば朝廷からこの大社を取り上げられたらどうするのだ。奴奈川家の代わりだと親王が送り込まれてきたら。(しずか)が奴奈川斎姫であり正四位であり朝廷にも認められているというのは、ただの慣習にすぎないのだ。

 あっという間に、おれたちはすべてを取り上げられてしまうんだぞ。

 やる。

 今の時代なら、やる。

 甘えた考えは捨てろ。現実を見ろ。大樹たる江戸幕府すら倒れるのだ。

「殿」

 と、薫が言った。

「殿のお考えは」

 じっと瞑目して議論を聞いていた日向守は、今しばらく目を閉じ、やがて目を開くと言った。

「上洛する」

 藩論は決した。




「御免!」

 奴奈川大社へと向かう参道。

 竹林の中で薫は襲われた。

 ここは危ない、あまりに人の眼がない。そう予感していた薫はポケットの中で握っていたスミス&ウエッソンを抜いた。

 ダン、ダン!

 ダン、ダン!

 小口径拳銃にマンストップパワーはない。

 「髷を切り、洋装ですごし、西洋かぶれで士道のなんたるかもわからぬ蒙昧なる若殿」を誅殺せんと激昂している相手であればなおさらだ。

 ダン!

 全弾を撃ち尽くし、薫は拳銃をその男に投げつけた。男は手でそれを避けたが、さすがに鉄の塊だ。衝撃に片目を瞑ったが、その時には薫が懐の中に飛び込んでいる。薫は剣を握る男の右手首を掴み、迫りながら拾った石つぶてを男の側頭部に叩きこんだ。男は崩れ落ちた。

「若!」

 銃声を聞きつけ、何人かの藩士たちが走って来る。

「若、ご無事で!」

「おれは大丈夫だ」

「こやつ、西村(にしむら)格之介(かくのすけ)!」

「息がある」

 全弾叩きこんだのに人間の生命力ってのはすごいもんだなと、薫は思った。拳銃なんか役に立たないじゃないか。これなら木花知流姫(コノハナチルヒメ)()いておくんだった。

「腹を斬らせてやれ」

 薫が言った。

「若を襲った男ですぞ!」

「今は大事なときだ。藩がばらばらになるのは避けたい。たのむ。この男に腹を斬らせてやってくれ」

 若殿にそこまでいわれては従うしかない。

 西村にはもう腹を斬る力も気力も残っていなかったが、藩士たちが三人掛かりで体を起こし、脇差しを握らせ腹をついた。

 将軍家を見捨てる。

 これには、武士であればこそ心情として許しがたいものがある。

 藩論は朝廷に恭順することに決したが、納まらないものもいる。その不満と怒りはわかりやすく薫へと向かった。なにより目立つ。薫としてもそれでいいと思っている。ことさら挑発することはないが、憤懣が殿そして藩に向かうより自分に向けられたほうがいい。

「おれもわかっていて、ひとりで行動してしまった。その気がなくても誘っているようなものだ。西村には悪いことをした。切腹の理由もよいものを考えてくれ。藩をまとめ、彼の名誉を守れるようなのを頼む」

 薫が言った。

 藩士たちは感じ入っている。

「若。俊輔(しゅんすけ)たちを常に周囲に置きなされ」

「ばか」

 薫は笑った。

「あいつらこそ幕府側だ。おれを斬りたがっているだろうさ」

 さすがにこれは口には出さない。

 複雑怪奇だ。

 彼らは尊皇攘夷派だったはずだ。それが今は朝命に反発し将軍家を守りたいという。

 薫は向かうつもりだった大社を遠く見上げた。

 今日は無理だな。

 さすがに血の匂いをさせて大社に足を踏み入れるわけにもいかない。今のうちに釘を刺しておきたかったのだが。

 静。

 男たちに混じって剣術遊びくらいなら許す。

 しかし道場で俊輔たちに変なことを吹き込まれていないだろうな。変な思想に染まってはいないだろうな。おまえは奴奈川斎姫であり、奴奈川日向守の娘なんだぞ。


 忘れるな、静。


 まあ、すちゃらかでも、そこまで分別のないばかではあるまい。

「護衛を見繕ってくれ」

 薫が言った。

「おれを襲おうなんて思わなくなるような強い男を頼む。ああ、道場に相沢ってでかいのがいたな。彼はどうだ」

 薫は空を見上げた。

 雪がちらついている。




 十二月。王政復古の大号令。

 しかし、将軍職は辞したものの内大臣である徳川慶喜になにも知らされてなかった。さらにその内大臣の職も辞し徳川宗家の所領四二〇万石を返納せよとの命が下る。

 徳川慶喜は大阪城に引き上げ、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)を引き連れ各国行使を引見。自分が日本国の主催者であることを宣言する。

 まだ、朝廷に力なし。

 なればこそ、将軍家をそのまま残すわけにはいかない。




 雪が降っている。

 静は斎姫の間の障子を開け、それを見ている。

 大社の舞台にも、奴奈川の町にも、そして海にも雪が降っている。

「脱藩」

 その言葉を静も口にしてみた。

 今日の剣術道場。多くの者が仲間と話しながら静の様子を窺っていた。若殿薫|(と、静は頑固に思っている)の前では差し障りがあるのだ。稽古仲間である五人の少年剣士たちも二つ三つ言葉を交わし、静に気づいた俊輔が仲間の発言を止めていた。でも彼らは言ったのだ。米山(よねやま)鉄太郎(てつたろう)がたしかにそれを口にしたのだ。

「脱藩」

 と。

 奴奈川藩は朝廷への恭順を表明した。

 それに不満な藩士はいる。俊輔たちもそうらしい。


 ――脱藩。


 かつて命がけであった脱藩は、この時代に寛容にはなっている。むしろ後に請西(じょうざい)藩主(はやし)忠崇(ただたか)、歴とした大名までもが自ら脱藩し奥羽越(おおうえつ)列藩同盟(れっぱんどうめい)にいち武士として参加している。むしろ脱藩は藩に迷惑をかけないための意味合いが強い。

(はるか)は止めないの」

 静が言った。

 戻ってきてからの遥は、以前の不機嫌な姫の頃のようにあまり顔を出さなくなった。でも呼びかければ出てきてくれる。

「私は反対」

 遥が言った。

「私でなくても、誰でも反対。あなたばかじゃないのって、きっとみんな言う。あなたは奴奈川斎姫で日向守の娘で、そのあなたが軽々しい行動を取れば、どれだけ広範囲に迷惑がかかるか」

「……」

「でも忘れないで、静。私はあなたの味方。あなたのおかげで私は戻って来れた。世界のすべてを敵に回しても、私はあなたの味方」

「ありがとう、遥」

 遥の返事はない。

 雪はますます強い。




 明けて明治元年。

 改元まで十月を待たなければいけないのだが、この年は元日より明治であると後に定められる。明けて明治元年一年。

 一月三日、旧幕府軍と薩摩藩、長州藩との戦端が開かれる。

 数で勝っていた旧幕府軍は潰走する。




 日本最大の内戦――戊辰戦争の始まりである。


※林忠崇:請西藩三代藩主。中村彰彦氏の『脱藩大名の戊辰戦争』に詳しい。名著であり、林忠崇の死の場面では泣いてしまいました。お勧め。



■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。


黒のシズカ

かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。

ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ