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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
40/77

波の音

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 斎姫(さいき)さま、玄関はそこではありませんよ。


 黒姫(くろひめ)高子(たかこ)は斎姫の間にひとり座り、ぼんやり思った。

 開け放たれた障子。いま飛び出していったのはどっちの斎姫さまだったか。もう日常になってしまった。




「軽い、軽い、軽い!!」

 剣術道場に声が響き渡る。

 何人かは米山(よねやま)鉄太郎(てつたろう)を見るが、この声は鉄太郎の声ではない。そもそも声変わりも前、いやそれどころか明らかに少女の声なのだ。

「鉄太郎、おまえの役回り、すっかり取られてしまったな」

 黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)が鉄太郎に声をかけた。

「だれかがやればいい。おれである必要はない」

「ふうん?」

「おかげでおれはおれの鍛錬に集中できる。それにしても、気まぐれな姫の一度きりのお遊びだと思ったが、続くな」

「そうだな」

 俊輔は笑った。

「おれも勝ち逃げされずに済んだ」

 髪まで切り、若殿(かおる)を装って藩の道場にやってきた奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)(しずか)

 江戸帰りの五人の麒麟児のうちの二人を破り、それどころか俊輔に至っては昏倒させてしまうという衝撃の道場デビューを飾った。しかも斎姫は、それで満足するどころか翌日もしれっとやってきて稽古に参加したのだ。それも素直に「自分は素人だから」と年少組に混じって初歩の初歩から。

 いや、それだけで「若殿は稽古が進んだ達人ですよ」と突っ込めるのだが、天然なのか、もしかしたら残念な頭なのか静は気づいていないようだ。もちろんそれ指摘する勇者はいない。

 もとより太刀筋は誰よりも鋭い。

 素人だった身体捌きもすぐに上達した。神楽舞で身体の使い方や体幹が鍛えられているのもあるだろう。あっというまに年少組を抜け、今では俊輔たちと混じって稽古している。

「やるか、俊輔!」

 斎姫が言った。

「はい、若殿。今日こそ、一本いただきます」

 にやり、と俊輔は笑った。




「キングさん。お食事です」

 草庵に(はるか)がやってきた。

 そろそろお茶を淹れるのにも慣れてきた。お湯の量もお茶の量もちょうどいいのがわかるようになった。あとはお湯の温度だけど、これは薬缶(やかん)に触るわけにも指を突っ込んでみるわけにもいかない。そのうち、最適解も見つかるだろう。

 そして遥は短い髪のままだ。

 とうに出来合いの()()()が用意され、静自身の髪による()()()ももうすぐ届く。でも()()()をつけないほうがキングが喜ぶから。

「君も今まで感じたことがあるだろう」

 キングが言った。

「我々は、仲間が散るとそれを感じることができる。もっとも我々はめったに散ることはない。聖騎士団やヴァンパイア殺しのレオンハルトくんだって、そんな日常的に活動しているわけじゃない。そしてスードエピグラファクラスのヴァンパイアが散っても、悲しいことだがそれほどの衝撃は届かない」

 キングの講座は進んでいる。

 遥の知識も増えた。ヴァンパイアのことをなにひとつ知らなかった頃の遥ではない。

 ただ、と思う。

 なぜ自分の中のヴァンパイアは私になにも教えてくれなかったのか。

「散る。これは謎だ。なぜ漂う存在であるときには不老不死なのに、人と結びつくと散るのか。そして身につけているものまで一緒に散るのか。関わるものがすべて散るなら極端な話、私がいま散ったならば、この縁側の板、足をつけている地面、もしその瞬間にハルカの手を掴んでいればあなたまで散ってしまう事になる」

「そうはならないのですね」

「ならない。それに――」

 七二体ものアポクリファをもつカノン。

 強大なソロモン王のヴァンパイアでも自分たちのことをすべて知るわけじゃない。いや、そもそも人間だって自分の事をすべて知るわけじゃない。

 そして。

「そういえば、ヨコハマにダンタリオンくんがいる。シュンスケくんたちは彼のスードエピグラファだ。ダンタリオンくんはセーレくんを連れていたな。まだ人と結びついていない、例の不老不死のヴァンパイアのままのセーレくんだ。私が彼を産んでからもう一〇〇年も経つのになかなか身体を決められないでいる」

「どうしてでしょう」

「えり好みしているのだろう。一度人と結びつくと散るまでそのままだからね。人の身体は複雑に神経が絡み合う。それが我々を捕らえる檻になってしまうのだ。ところでハルカ」

「……」

「君の身体は実に興味深い。居心地はどうかな」

 このキングはときどきこんな事を言い出すのだ。

 怖いくらい無邪気な笑顔で。




「ダンタリオンくん、その体良さそうだね――そう言われたことはある」

 ソロモンの七二柱、ダンタリオンのトリスタン・グリフィスが言った。

「なんの話?」

「君たちが聞いているんだぜ、キングのことを」

 横浜。

 ホテルのレストランでテーブルを囲んでいるのは、旅行記作家のトリスタン・グリフィス。同じく旅好きで旅行記を書く事もあるドイツ貴族のシャルロッテ・ゾフィー・フォンシュタウフェンベルク。そしてヴァンパイア殺しのレオンハルト・フォン・アウエルシュタット。

「そういえば、さっきから鼻がムズムズするんだ。くしゃみしてしまってもごめんよ」

「ああ、そういえば、おれもなんだか。噂されてるのかもな」

 レオンハルトが言った。

 シャルロッテ・ゾフィーはアムドゥスキアスのヴァンパイア。

 レオンハルトはグラキア・ラボラスのヴァンパイア。

 さらにはテーブルの近くをセーレが漂っている。ソロモンの七二柱がこれだけ揃うことはあまりないことだ。

「キングに会ったことがあるヴァンパイアはほとんどいない」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「あなたはその一人なのよ。しっかりしなさい、トリスタン・グリフィス」

「そう言われてもな。確かに強大だ。それでいてその気配を消すこともできる。いつの間にかヨコハマを去って行ったよ。あれでは会ったことがあるヴァンパイアが極端に少ないのはわからないでもないね」

「彼はなにしに来たの」

「わからない」

「どこに行ったの」

「わからない」

「役立たず」

「お好きにどうぞ。こうヴァンパイアが集まってくるとぼくも居心地が悪い。そろそろ他の国に行くかな」

 シャルロッテ・ゾフィーはちらりと背後に視線を送った。

 そこにゴリラがいる。

 いや、ちゃんとフロックコートを着ているし、椅子に座っているし、フォークとナイフを器用に扱って食事を摂っているのだが、その巨大さといいその筋肉量といい、明らかにゴリラだ。ゴリラとしか言い様がない。

 ソロモンの七二柱序列一位。バエルである。

 レオンハルトも背後を見遣った。

 はっと視線を逸らしたのは、真っ白な服を着た男たち。使徒座の聖騎士団の制服である。一人は見覚えがある。聖騎士団の双璧、ファンタズマだ。ファンタズマはソロモンではないがアポクリファであるらしい。円卓の騎士、カノンであるルキフェルのアポクリファだったのが、盟友であるラプラスの魔とともに聖騎士団に参加したのだという。そういえば、このファンタズマもなぜかくしゃみを堪えているような顔をしている。

「でも、この状況を作ったのはあなたよ」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「そうだ。面白そうだし、だれかがキングからぼくらのことを聞き出してくれるかもしれないだろう。なにせ、数少ないカノンの中の、最古のカノンであるとも噂されるキングなんだぜ」

「あなたは聞き出せなかったの?」

「びびってしまったんだよ。最初の気配がとんでもなくてね。あとな……」

「あと?」

「だからさ、あの人、会う度に言うんだよ……」

「?」

「『やあ、ダンタリオンくん。いい体だね、私に試させてくれないか』」




「その体、試させてくれないか。ねえ、ハルカ」

 愛刀石長姫(イワナガヒメ)と言わないまでも、なにか護身用の武器を用意しておいたほうがいいだろうか。ときどき遥は思ってしまう。




 都から情報が届いた。

 旅籠で多数の尊皇攘夷派が斬られたらしい。

 大名行列にちょっかいをかけた英国人が斬られる事件もあった。

「……」

 若殿、奴奈川(ぬながわ)(かおる)は床の間を見た。

 刀置きにかけられているのは、木花知流姫。


 静はきれいだから木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)

 私は醜いから石長姫(いわながひめ)

 薫はどうでもいいから木花知流姫(コノハナチルヒメ)


 ただ、安寧を。

 この小藩を守り、領民を守り、ばかで小生意気な妹たちを守ることができるならそれでよかった。でも今この日本では、それすら難しいらしい。


 薫は木花知流姫を手に取った。

 愚かだと思う。合理的ではないと思う。剣を捨て銃士隊を作ろうとしているのに虫がいいとも思う。だけど。

 薫は剣を抜いた。

 行灯の淡い光に女神の刀身彫りが浮かび上がった。


 守りたまえ。

 奴奈川を。

 静を、遥を。おれたち三きょうだいを守りたまえ。


 遠く、波の音が高い。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


バエル

人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。

ゴリラ。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。


ファンタズマ

聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。




※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。


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