表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
4/77

レオンハルト

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。

 南ドイツ。

 夜の森の中を二頭立ての箱馬車が走っている。

 座席にひとり座るのはトップハットの紳士だ。

 フォーヘン家の晩餐に招待されたのに、奥が具合が悪いと言いだしひとりで行くことになった。しかもその晩餐はフォーヘンが例によって悪酔いし最悪だった。不愉快な夜だ。

 馬車が止まった。

「御者」

 と、紳士が言った。

「どうした」

 返事がない。

 それどころか、御者が御者台から飛び降り走っていく気配がある。

「……」

 紳士は片眉を上げしばらく考え込んでいたが、ステッキを手に馬車を降りた。

 月がまぶしい。

 その月明かりの中、歩いてくる男がいる。

 月明かりなど必要ない。人より遙かに優れた視力が長いコートに中折れ帽の長身の男をはっきりとらえている。そして、その男は人ではない。自身が人でないからこそ、彼にはそれがわかる。


 なんと不愉快な夜だろう!


「何者だ」

 紳士が言った。

「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット」

 中折れ帽の男が言った。

 その名を聞いた紳士は身をひるがえして走り出した。中折れ帽の男はコートのポケットにつっこんでいた両手を出した。その両手には、(しずか)の「悪い冗談」ほどではないにせよ大きな拳銃が握られている。

 ダアン!

 ダアン!

 遊底がスライドする。

 金属薬莢が飛ぶ。

 どの工廠でもまだ実現できていない自動式拳銃だ。

 かつて彼らを斃す手段は剣しかなかった。弓や銃では彼らには通用しなかった。ヴァンパイアは、人間と完全に一体化したヴァンパイアは頑丈だ。だがこの時代、銃器は急速にその性能を高めた。

 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン!

 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン!

 銀の弾丸など要らない。そもそも祈りほどの意味しかない。四五口径徹甲弾が紳士の体を貫いていく。

 紳士は膝を落とした。

 中折れ帽の男は歩きながら両方の銃の弾倉を落とし、片方を口に咥えてもう片方の銃を再装填するとコートの中のホルスターに納め、咥えていた銃も再装填して同じくホルスターに納めた。そして手にしたのは大剣ツヴァイヘンダーだ。

「黒伯爵……」

 荒い息で紳士が言った。昂ぶりに眼が黄金色に変化している。

「そうだ」

 しかし、鍔の広い中折れ帽から覗くこの男の瞳の色に変化はない。死んだような眼のままだ。

 同じ人ではない身体でありながら!

 たった今、おれを殺すつもりでありながら!

「仲間の面汚し。ヴァンパイア殺しのレオンハルト……!」

「ああ、そうだ」

「なぜ、おれを殺す……!」

「依頼されたからさ」

 紳士は、あっと目を見張った。

「――奥か! 奥におれの正体が……!?」

「安らかに死ぬ為には、知らん方がいいこともある」

 黒伯爵レオンハルト・フォン・アウエルシュタットはツヴァイヘンダーを振り下ろした。紳士は塵となって消えた。



 帰り支度をしていると、馬車が近づいてきた。レオンハルトはコートの中の自動拳銃を掴んだ。馬車はレオンハルトの横に止まり、窓からひらりと紙片が舞った。

 小切手だ。

 レオンハルトは指で小切手を掴み、明かりを必要としない目で額面を確認した。

 馬車が去って行く。

 残された空の馬車はそのうちだれかが発見し、資産家の婿殿が蒸発したと話題になるのだろう。レオンハルトは小切手をコートの内ポケットにしまって苦笑いを浮かべた。そして「おや?」と顔をあげたのは、その気配を彼も感じたからだ。

 へえ、フルカス。

 あのアナクロおやじが散ったのか。



「いよう、からくりペッフェンハウゼル。相変わらず貧相な顔しやがって!」

「やあ、黒伯爵レオンハルト。あんたも相変わらず死んだような目をしているな!」

 ミュンヘン。

 アウエルシュタット工房。

 大柄なレオンハルトと小柄なヨハン・ペッフェンハウゼル工房長は抱き合って背中をたたき合った。

「おお、高そうなワインがあるじゃないか。さすがは今をときめく工房長さんのオフィスだ!」

「やれやれ、あんたが来るとわかってたら隠しておくんだった。もっともあんたはどこに隠しても見つけちまうからな」

 バイエルン王国アウエルシュタット伯爵家。

 その伯爵家の財政を支えるのがこの工房だ。かつては領地の城にあったが、次々と革新的で野心的な兵器の開発に成功し、今では王都ミュンヘンに大規模な近代的工場を構えている。レオンハルトが使った自動拳銃もここで開発されたものだ。

 工房長ヨハン・ペッフェンハウゼル。

 レオンハルトの三百年来の盟友だ。

 つまり、彼もまたヴァンパイアなのだ。ちなみにその自動拳銃に彼がつけた名前が「ヴァルキューレ」。他にも似たような名前をつけたがる。その手の嗜好の持ち主らしい。

「ところでな、黒伯爵」

「うん」

 レオンハルトはグラスを見つけ出し、勝手にワインを飲み始めている。

「消えたよな、フルカスが」

「そのようだ」

「あんたじゃないんだな?」

「おれじゃない」

「だれだ?」

「おれにわかるわけがない」

「ソロモンのヴァンパイアを斃せるヤツなんてそういない。まずはあんただ。あとは使徒座の聖騎士団」

「あいつらは、日本くんだりまで出かけていって壊滅的な打撃を受けた。まだ動けないだろう」

「それ、あんたがやったという話だがね、レオンハルト」

「あとは聖ゲオルギウス十字軍の騎士。あいつらは人間だが、おまえさんが武器を納入しているのだろう。あのばかでかいグングニルでこっそり狙撃されたら、おれだって散ってしまうだろうぜ。情報は上がってきてないのかい。本当は、あんたからなにか聞けるかもと来てみたんだ」

「ないな。武器を納めているお得意さんってだけだ。秘密を知りたがったら消されちまわあ」

「そうか。ま、おれが思いつくのは、あとはひとりだな」

「誰だ? そんなのがいたか? 気まぐれなアスタロトか?」

「黒の魔女」

 レオンハルトが言った。

 ペッフェンハウゼルは眼を細め、レオンハルトの顔を窺うように覗き込んだ。

「なあ、レオンハルト」

「なんだ」

「あんたを怒らせるために言うんじゃない。黒の魔女は死んだ」

「そうだな」

「あいつは散ったんだ。いいかい、レオンハルト――」

「いたんだよ」

 グラスを掲げ、ワインの色を眺め、レオンハルトが言った。

「世界の東の果ての国であいつを見つけたんだ。それでな、あいつは言うんだ」


 おまえを殺しに行く。

 レオンハルト・フォン・アウエルシュタット。


「なあ、やっかいなことだよ、ペッフェンハウゼル。だからおれは、まだ死ぬわけにはいかないんだ」

 ペッフェンハウゼルにはわからない。

 それでも、どうやらこの話の邪魔をしてはいけないようだ。それでペッフェンハウゼルは話題を変えた。

「伯爵家には寄ったのかい、レオンハルト」

「いいや。だってあいつ、ご先祖さまのおれにいや~な顔するし。儲かってるくせに小遣いもくれないし」

「顔を出しておきな。エリザベートさまがいよいよ危ないらしい」

「そうなのか、それはそれは。で、だれそれ」

「あんたの子孫だよ! あきれたもんだな! 伯爵さまのご長女だ!」

「人間もいろいろ大変だね」

 レオンハルトはワインを喉に注ぎ込んだ。


 もしかしたら、ほんとうに君か?

 おれを追って来たというのか。ほんとうに君は、ヨーロッパまで来たというのか?



 なあ、シズカ!



 奴奈川(ぬながわ)(しずか)は玄関の鍵を開け、中に入った。

 背中にはチェロケース。

 ベーカー街のこのアパートは、地方から出てきた女子学生のために篤志家のマンスフィールド侯爵家が用意したものだ。今は四人の音楽院の学生がハウスマザーと住んでいる。

「お姫さまはもう夜遊びを覚えあそばして?」

 闇の中、静の後に同じ年頃の少女が立っている。

「レベッカ。何度も言っているが、私の後ろに立たないでくれ」

 目を半眼にさせて静が言った。振り返りもしない。

「なんで」

「嫌いなんだ。集中してないときだったら、殴り倒してしまうかもしれないんだ」

「バリツ? バリツ?」

 レベッカ嬢も、流行りの探偵小説のファンのようだ。

「レベッカ・セイヤーズ。ヌナガワ・シズカ」

 燭台を手に美しい女性が現れた。

「何時だと思っているのです。ふたりとも自分の部屋に戻りなさい。シズカ、なぜ夜に外出したのかは明日報告するように」

「はい、ハウスマザー」

 二人の視線が合った。

 このハウスマザーは、”M”によって軍特務機関から派遣されたエージェントだ。静の世話、監視、そして護衛を担当する。


 静の部屋は最上階の屋根裏だ。

 本来は使用人部屋で、冬は寒く夏は暑い。だけど眺めがいいので気に入っている。平然と一緒に入ろうとするレベッカを追い出して、静は扉を閉めた。悪い子ではないのだが、異国からの留学生に興味がありすぎる。

 部屋の調度に日本を思わせるものは少ない。

 ただ小振りの神棚が置かれているだけだ。

 明日の準備を済ませ、寝巻に着換え、静はベッドに入る前に窓を開けた。

 今夜も霧が立ちこめている。

 にじむガス灯の光が幻想的だ。


 静はしばらくそれを楽しみ、窓を閉めた。


※バリツ:シャーロック・ホームズが習っていたという想像上の日本の武道。ホームズの人気故か、実際にバリツと名乗った道場もあったとかいう記述をどこかで見た気がしたが、例によって中の人は記憶力がないので出典を覚えていない。

※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ