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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
38/77

剣術道場(前編)

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 なぜバレないと思った。


 剣術道場に不穏な空気が漂っている。

 若い者ほど、目を逸らして見ようとしない。


 確かに若殿と斎姫(さいき)さまは似ていますけども!

 そっくりですけども!

 男の若殿が美女の斎姫さまとうり二つで! 女の斎姫さまが背が低い方ではない若殿と同じような背丈で!

 ですけども!

 ですけども!


 なぜバレないとあなたは思ったのですか!


 例大祭を無事終えた奴奈川(ぬながわ)斎姫(さいき)(しずか)

 道着に防具の胴を着け、にこにこと嬉しそうに道場に座っている。




「静、あんた馬鹿!?」

 もうひとりの斎姫、(はるか)が激怒している。

 静が髪を切った。

 男の子のように。というより、若殿(かおる)そっくりの髪型に。

「しばらく公式行事がないっていっても、その姿で大社をうろついてごらんなさい! どんな噂がたてられるか! あなた斎姫なのよ! いつになったら自覚するの!」

高子(たかこ)たちがカツラを探してくれている。それに切った私の髪でもカツラを作らせるし、いいじゃん。いくつもカツラを揃えて気分次第で選べて着替えられるなんて素敵じゃん。便利じゃん」

「このすちゃらか姫……!」

「なんだよ、不機嫌な姫」

 斎姫の間にひとり静は正座し、そして口喧嘩は続いている。

 開け放たれた障子には紅葉の借景だ。

 次の間に高子も控えているが、「高子、やつれちゃったわよ」という声に思わず「ううっ」と口を押さえた。涙がキラリ。

「あなただって私の体を使って私の知らない事してるでしょ」

 静が言った。

「う」

「どんな噂がたてられるかって、とっくに、斎姫は相撲取りになるつもりらしいって言われてるよ、あなたのおかげで」

「う」

「あなたがなにをしているのか、言いたくないなら聞かない。わざと割り込んで覗いてみようとも思わない。だいたい――」

 ここで、静はふっと微笑んだ。

「めったに出てきてくれなくて、出てきてもいつも不機嫌で。そのあなたがこんなに長く私と話してくれている。それに今は不機嫌だけど、この頃あなたは不機嫌な姫じゃなくなった。ふつうの女の子の姫になった。それだけでも私は嬉しい」

 遥の返事はない。

「だから、遥」

 静が言った。

「もう少し、私のことも黙って見ていて」

「なにをしたいの、静」

 遥が言った。

「髪を切る必要があったの?」

 にまっ!

 と、静が笑った。

 視線を飛ばしたのは床の間。飾られているのは二差しの刀。朱鞘の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、黒鞘の石長姫(イワナガヒメ)だ。




「おれが来たことは、誰にもいわないでくれ。薫にもだ。違う、静にもだ!」

 言い間違えるあたりまであざとい。

「ええと。まあ、薫というか私だ。おれにここでの稽古の話をするな。ぜったいだぞ。なんというのか、いや、そうだ。道場のことは道場のなかだけで納めよう。なあ!」

 なあ!じゃねえよ。

 そんな声変わりしてない声で言われても、どう返事したらいいのかわからねえよ。

 いつもなら汗の匂いでムンムンとしている道場に、なんだかいい匂いがムンムンしてる気がする。ていうか胸はどう処理しているのだろう。激しく気になる。ムンムンと。

 黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)をはじめとする鷹沢(たかさわ)勇一郎(ゆういちろう)米山(よねやま)鉄太郎(てつたろう)小林(こばやし)静馬(しずま)三浦(みうら)勝之進(かつのしん)の五人の少年たちも正直困っている。彼らは薫の学友なのだ。声をかけないわけにはいかないし、稽古の相手をしなくてはならない。

「ふざけんなよ」

 きかん気の強い米山鉄太郎は、静のおふざけに腹を立てているようだ。

「剣は武士の命だぞ。なに考えてやがる」

「鉄太郎」

「おれたちにはやることがあるんだ。姫の遊びに付き合っている暇はない。そうだろう、俊輔!」

 しかし面を被り篭手をつけ、竹刀の素振りをはじめた静に、「あっ」と道場の空気が一変した。

「……」

 鉄太郎までもが目をひん剥くようにして静の素振りを見ている。


 鋭い。

 体幹がぶれない。


 どうやらこれは、お遊びじゃない。




 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を静に。

 石長姫(いわながひめ)を遙に。

 木花知流姫(このはなちるひめ)を薫に。

 それは遥の発案だった。

 どうして七五三のお祝いに刀を?と聞く静に、遥は言った。

「三〇〇年前の斎姫も、太郎丸(たろうまる)次郎丸(じろうまる)という打刀を父親から与えられている」

 遥は大社に遺る書物を読んだらしい。

 やがて大社に届けられた栗原(くりはら)筑前守(ちくぜんのかみ)信秀(のぶひで)による木花咲耶姫に石長姫。

 静はその美しさに魅せられた。

「これは飾りです。斎姫さまのお護りですよ」

 大人の巫女に釘をさされたが、それで引き下がる静ではない。

 はじめは鯉口を緩めることもわからず、抜く事すらできないほどだった。なんとか抜いてみても、ずしりと重い。どうやら今の自分がこれを振るっても、手からすっぽ抜けて大惨事を起こしてしまいかねない。

 ちょうどいいことに、この頃、自分と同じ年頃の幼い巫女たちが大社にやってきた。薫の五人の学友のようなものだ。静は彼女たちから剣術の情報を仕入れ、大人には内緒で竹刀を大社に持ち込ませた。子供用の竹刀ではなく、はじめから大人用の竹刀だ。

 振ってみると、やはりこれでも振り回されてしまう。

 だけど、()()()

 静は思った。

 箏、茶道、生け花、礼法、書道、和歌、論語。神楽舞。どの習い事より、()()()()()

 遥ほどではないと静も自覚している。

 だけど、静だって孤独だった。

 物心つくまえに親から引き離され、大社の中で複数の巫女に育てられた。特定の巫女ではなかった。いつも代わる代わる別の巫女が静を抱き上げた。

 いつも得体の知れない感情に悩まされていた。

 だけど、竹刀を振っていると頭の中がカラッポになった。

 さみしさも、せつなさも、あきらめも、どこからか沸き上がってくる恐怖まで、竹刀を振っていれば忘れた。

 何千。

 何万。

 疲れ果てても、遥が癒やしてくれた。繰り返し繰り返し、さらに繰り返し、静は竹刀を振った。やがてそれは高子に用意させた(黒姫高子の有能さは、幼い頃から静に鍛えられたことによる)木花咲耶姫と同じ重さの上に重心も似せて作られた木刀になった。静はそれもひたすら振るった。何千も。何万も。何年も。




 バシッ!

 三浦勝之進が竹刀を落とした。

 静の小手打ちが決まったのだ。

「斎――いえ」

 いつもは少年たちの指導をしている相沢(あいざわ)青年が仕合を止めた。

「若殿。打つときには打突部位を宣言してください。今のは一本とは認められません」

 静はきょとんとしている。

「なんで?」

 ああもう。

 それなりに道場で、それも江戸の三大道場で修行を積んだという若殿がそんなすっとぼけた質問するわけがないだろう。そんなことも知らずに剣術道場に来たのか、このすちゃらか姫は。

「狙った部位とべつの部位を打ってしまった。と言う判断になるのです」

「でも、ちゃんと狙いましたー。小手を狙いましたー」

「拗ねないで!」

 道場はざわついている。

 黒姫俊輔ほどではないにせよ、江戸帰りの少年たちはみな麒麟児だ。少年でありながら強い。それが一瞬で竹刀を叩き落とされてしまった。しかもかなりの強打だったらしい。三浦勝之進は腕を押さえたまま動けない。

「勝之進」

 俊輔が手を貸し、やっと立ち上がれたほどだ。

「わざと打たせたのか?」

 俊輔がささやいた。

「違う。斎姫の剣が速すぎた」

 篭手を脱がしてみると腫れ上がっている。

「俊輔」

 勝之進が言った。

「斎姫は、本気のおまえより速い」

「……」

 鬼であるおれたちより、速い。

 否応なく考えてしまうのは、あの「遥」の存在だ。しかし、面越しとはいえ、斎姫は人間にしか見えない。あれは静だ。奴奈川静なのだ。

「相沢さん、次はおれに!」

 米山鉄太郎が立ち上がった。

 俊輔がそれを止めた。

「相沢さん、次はおれに若殿とやらせてください」

 「あっ」と、道場がどよめいた。

 少年でありながら、今、この道場でいちばん強い、数年後には必ずそうなる。だれもがそう見做している黒姫俊輔が斎姫との仕合を望んでいる。


 静は竹刀をちょんちょんと動かしながら「ええと、小手」「面」「胴」「肩」「股間」とブツブツつぶやいている。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


黒姫 高子 (くろひめ たかこ)

巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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