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  作者: 長曽禰ロボ子
戊辰戦争編
33/77

私は鬼でいい。

すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。


 横浜は日米修好通商条約で開かれた五港のひとつだ。

 本来開港されるのは神奈川であったのだが、東海道に近すぎるという懸念から横浜に変更された。その経緯からしても辺鄙な土地であったのだが、奉行所、外国人居留地が整備され、江戸への玄関口として発展していくことになる。


 黒姫(くろひめ)俊輔(しゅんすけ)をはじめとする、若殿(かおる)の学友五人。

 彼らがこの横浜を訪れたのは、奴奈川(ぬながわ)の地に()()する数ヶ月前の夏のことだった。


 同じ時期、アーネスト・サトウが英国公使館の通訳として横浜にいる。

 彼の日記によると、日本側にまともな人物がおらず、「日本人と不誠実な取引者は同一語である」とまで酷評されている。商人ばかりでなく役人まで極端に腐敗していて、なにをするにも賄賂と酒を要求されたという。

 そんな物騒な町に元服を済ませたばかりの少年たちは場違いだ。

 剣呑な空気に、少年たちも後に静が言う「猫のように過敏」な状態になっている。

「ふうん、今日は君たちなのかい」

 背後から投げられたその流暢な日本語に、ざっと少年たちは腰の剣を掴んだ。

「やめてくれないか。さすがに日本人の少年を殺傷したのでは、ここの役人も黙ってはいてくれないだろう」

 俊輔たちから見ればあきれるほど長身の欧州人がそこにいた。

 フロックコートにトップハット。

 手にステッキ。

 俊輔はそれに気づき、いきり立つ仲間を「よせ」と止めた。

「卒爾ながら、とりすたん・ぐりふぃす様でしょうか」

「そうだ」

「私たちは見ての通り子供です。このような会見には慣れておりません。お許しください」

 ぱちん。

 と、その欧州人は、鯉口を緩めていたステッキの仕込み刀を納めた。それでやっと他の四人にも、相手の技量と自分たちが危険な状況にあったことがわかったようだ。

 にやり、とその欧州人は笑った。

 若いがすごみがある。

「来なさい。通りで大切な話はできない」



 大通りに面したカフェの個室。

 少年たちにふるまわれた紅茶に、俊輔だけが手をつけている。

(ふうん、好奇心旺盛。度胸も申し分ない)

 黒姫俊輔。

 鷹沢(たかさわ)勇一郎(ゆういちろう)米山(よねやま)鉄太郎(てつたろう)小林(こばやし)静馬(しずま)三浦(みうら)勝之進(かつのしん)。北陸道の小藩、奴奈川藩の少年たちだという。

(――ヌナガワ?)

 聞き覚えがある名だが。まあいい。

「私になんの用だろう、若きサムライたち」

 トリスタンが言った。

「おれたちを鬼にしてくれるのでしょう!」

 いちばん身体の小さな少年が言った。

「鉄太郎」

「はやく鬼にしてください!」

 俊輔の制止にも目を爛々とさせている。

(私が呼んだのは、そこのひとりだけなんだがな)

 びくり!

 と、俊輔が全身を震わせた。

 トリスタン・グリフィスがじっと自分を見ている。両眼を見開き、顔を蒼白にさせ、しかし俊輔も目を逸らさない。

(よろしい。彼は極上だ)

 私のスードエピグラファを江戸に放ち、剣道道場などでめぼしいものに声をかけさせている。今までやってきたのはただの体力自慢か野心自慢か美しいだけの男ばかりで、私は私のスードエピグラファにずいぶん失望させられたものだが。

 ぺろり、とトリスタンは唇を舐めた。

「私たちはヴァンパイアと呼ぶ」

 トリスタン・グリフィスが言った。

「支那でいえば幽霊、吸血鬼。日本でいえば、たしかに鬼がそれに近い。信じているのかね。そんなおとぎ話を」

「あなたが呼んだんだ!」

「鉄太郎」

 俊輔はトリスタンから目を放さない。

「あなたたちが日本にやってきて、この国は混乱しています」

 俊輔が言った。

「あなたたちのせいじゃない。目を逸らして見えないふりをしていた私たちのせいだ。だからこそ私たちはその激動の中に飛び込みたい。その力が欲しい。何年も待てない。大人になるまで待っていられない。だから私たちは来たのです」

「君たちは尊皇攘夷ではないのかな」

「たぶん、そういうことになると思います」

「その君たちが夷狄である私の力を借りたいというのは矛盾じゃないかな」

「矛盾も清濁も飲み込みます」

「ヴァンパイアになるということは人を捨てるということだ。人としての喜びも明日も失われる。それがどういうことか、若い君たちに理解できるかな」

「自分で選ぶことができなかった明日に生きるより、その明日がないのだとしても自分たちで明日を作りたいのです」

 ちら、とトリスタンは俊輔以外の少年たちに視線を投げた。

 目を逸らす者もいる。

「もう一度、今度は夜に来なさい」

 トリスタンが言った。

「君たちの中の矛盾、恐怖、覚悟。もう一度確かめてくるんだ」



「怖じ気づいた者は藩邸に戻れ」

 俊輔が言った。

「迷いがあるなら、その者も戻れ。今からなら、まだ夜に間に合う。だれもそれを非難しない。おれがさせない」

「馬鹿にするな、俊輔!」

 鉄太郎が言った。

 他の少年もうなずいている。

 ()()を見ても、彼らは怖じ気づかないのか。

 それとも、()()が見えたのはおれだけなのか。

 くりすたん殿が突然人間に見えなくなったぞ。あれが鬼なら、おれたちは今夜、()()になるのだぞ。人ではなくなるのだぞ。

 自分こそいちばん怖じ気づいているのかもしれない。

「残った者は夜を徹して藩邸に戻る。その時にはおれたちはもう人ではない。できるだろう」

 俊輔が言った。



『真実の眼を与えたな』

 カフェの個室から海を眺めているトリスタンに声をかけてくる者がいる。しかし、姿はない。

「ああ、試してみた」

『あの少年、ヴァンパイアである君から目を逸らさなかったな』

「私のスードエピグラファではもったいない。どうだ、セーレ。君が欲しいと言うのなら譲るぞ」

「私はもう少しえり好みしてみたいね。なにせ転生して一〇〇年、私は私の身体を探しているのだから」

「では遠慮なく」

 くすくすと、トリスタン・グリフィスが笑った。

 トリスタン・グリフィス。

 またの名をソロモンの七二柱、ダンタリオン。




 ぱあん!

 俊輔の目から火花が散った。

 頬を張られたのだ。少女とは思えない力で。よく見れば少女は巫女装束をしている。ああ、そうなんだ。この人は確かに奴奈川斎姫(さいき)なのだ。奴奈川(しずか)なのだ。

 聞こえるのは、冬迫る海の地響きのような波の音。

 あれから数ヶ月。

 黒姫俊輔は奴奈川の地で奴奈川斎姫に組み伏せられている。

 ぱあん!

 また張られた。

 とんでもない。意識が飛びそうになる。

「答えろ、おまえは何者だ、黒姫俊輔!」

 奴奈川斎姫が言った。

「鷹沢勇一郎、米山鉄太郎、小林静馬、三浦勝之進! あいつらは何者だ!」

 奴奈川斎姫の両眼は黄金色にはなっていない。


 だけどわかる。この人は――おれたちと同じ鬼だ。


 そんなはずはない。

 既に静とは大社で面会している。確かに人の少女だった。息を呑むほどきれいな少女だった。

「答えろ、おまえたちは何者なんだ! なぜ私と同じ姿をしているんだ! なぜ私と同じ醜い姿をしているんだ!」

「おれたちは鬼です!」

 叫ぶように俊輔が言った。

 ぴたりと、斎姫の動きが止まった。

「横浜である欧州人に鬼にしてもらったんです。静さま、どうしてあなたが鬼なのです。あなたもあの欧州人に会ったのですか!」

「静じゃない」

「えっ」

「私は静じゃない。(はるか)だ」

 「あっ!」と、俊輔は目を見張った。

 少女の指が肩に食い込んでくる。痛い。

 顔に雨粒があたる。ちがう、少女の涙だ。少女が泣いている。歯を食いしばり、ぼろぼろと涙をこぼしている。

「そうか、鬼か。私は鬼か。静があんなにきれいなのに私がこんなに醜いのは、私が鬼だったからか……そうか……」

「静さま……」

 ぱあん!

 また火花が散った。

「遙だ! 私を静と呼ぶな! 静を(けが)すな!」

 ぱあん!

 返しの手の甲も強烈だ。

 今の俊輔には大人の竹刀も止まって見える。その俊輔が反応もできない。

「鬼か。そうだ。私は鬼でいい。鬼となって静を守る。聞け、黒姫俊輔。その醜い姿で二度と静に近づくな。そして私のことは誰にも言うな。薫や静にもだ。おまえの仲間にもだ。(たが)えれば私はどこまでも追っておまえを殺す。いいな」

 少女は手を振り上げた。

「いいな!」

 俊輔は両腕で顔を隠し、必死にうなずいた。

 あの力でなんどもなんども張られたのではたまらない。

 ふっと圧迫が消えた。俊輔を解放し、少女が離れていく。巫女装束が走っていく。俊輔は動けない。


 先ほどまでの高揚はとうに消え失せ、ただ、身体が重い。


※一外交官の見た明治維新:アーネスト・サトウ(岩波文庫)

ところで、サトウは佐藤ではなく本名。のちに日本名を佐藤にもしたのですが。



■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

奴奈川斎姫。正四位下。

人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。


奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)

生まれなかった静の妹。


奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)

静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。

ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。


黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)

薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。


鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)

米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)

小林 静馬 (こばやし しずま)

三浦 勝之進 (みうら かつのしん)

黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。


奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)

静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。


奥方

日向守の正妻。静たちの母。

かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

アムドゥスキアスのヴァンパイア。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


トリスタン・グリフィス

ダンタリオンのヴァンパイア。

詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。


※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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