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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
30/77

木花知流姫

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


挿絵(By みてみん)

 

 ぼくは誰よりも優れている。

 もしぼくが誰かに劣っているとしたら、それはぼくが怠けているということなのだ。


 大きな声が聞こえる。

 悲鳴のようだ。

 ここはどこだ。ぼくはなにをしていたんだ。チャールズ・リッジウッドは眼を開けた。そしてすぐに、あっと両眼を見開くことになった。

 西の恐怖公アスタロト。

 絶望的なほどに強いヴァンパイア。手も足も出せなかったヴァンパイア。

 片手首を失い、悲鳴をあげている――。



 ドぉン!

「この街は、センチメンタルな散歩すら私に許してくれない」

 空に向けて巨大拳銃を片手で撃ち、霧の中にヌナガワ・シズカが現れた。

「状況を確認しておきたい。そこに倒れているのは人間のヴァンパイアハンターで、そしてそこの男がヴァンパイア。間違いないな?」

「逃げろ!」

 ゲオルクが声をあげた。

 声を出すと激しく痛む。倒れたまま立つことも出来ない。

「彼はアスタロトだ! ヌナガワ・シズカ、君は逃げるんだ!」

「聞いてはいたが、確かに私は有名人らしい」

 静が言った。

「おれからも確認しておきたい」

 薄笑いを浮かべ、アスタロトが言った。

「ただの人間のヌナガワ・シズカ。おまえがフルカスを斃したんだな」

「そうだ」

「グレモリーとプルソンは?」

「知らない」

「黒のシズカを知っているか。おまえはあいつのなんなんだい?」

「子孫。――なあ」

 静は目を半眼にさせている。

「そろそろ見せてくれないかな、おまえがヴァンパイアだという証拠を。私には真実の眼がないんだ。人間同士やヴァンパイア同士の喧嘩に巻き込まれただけであんな大見得切ったのなら、ちょっと恥ずかしいだろう」

「確かに」

 と、笑ったアスタロトの両眼が黄金を帯びている。

「おまえはあのクソ生意気な女の子孫のようだ!」

「ヴァンパイアを確認した」

 静は身を沈め、剣に手をかけた。

「おまえを斬る」



 はじまったらしい。

 その男は片手でシガレットケースを開け器用に一本取り出し、こちらも片手でマッチを擦って紙巻きタバコに火をつけた。もう片手に構えた自動拳銃ヴァルキューレの狙いは外さないまま。

 ま、アスタロトが相手じゃ、ヴァルキューレではどうにもならんがな。

 なあ、おふたりさん。気づいているか。

 おれだけじゃない。

 どうやら、ギャラリーがひしめいているようだぜ。



 なんて眼をしているんだ。

 アスタロトは思った。

 黒のシズカもなにを見ているのかわからなかった。あいつの瞳は漆黒だった。だから瞳孔がどうなっているのかわかりにくかった。こいつの眼は濃い茶色だ。今は瞳孔が開いている。そこまではわかる。だが、黒のシズカのようにどこを見ているのかわからない。

 どこも見ていない。

 どうやらそうらしい。

 試しにアスタロトは拳を動かしてみた。ほんの少しも反応をみせない。瞳どころか、体全体がぴくりとも動かない。

「試してみるか」

 いきなり体を引き裂いてしまってもつまらない。

 あのひらひらした奇妙なドレスを爪でちょっと切ってやろう。少しは反応があるだろうさ――。

「――わあああああ!?」

 しかし、次の瞬間にアスタロトは叫んでいた。

「いったいなにがあったあッ!?」

 伸ばした手がない。

 手首から先がない。

 その時にはすでに、(しずか)は左腰の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を鞘に納めている。



 不用意だぜ、アスタロト。

 そのじゃじゃ馬はな、ファンタズマに白の魔女を揃えた聖騎士団相手にひとりで戦ってのけたんだぜ。あの怪人ゴリラ男バエルの足を止めたんだぜ。

 しかし――。

 タバコを吹かし、男は思った。

 アスタロトってのは、この程度だったか?



「うわあああ!」

「わああああ!」

 これは幻なのか。

 アスタロトが叫んでいる。

 アスタロトが唾液を垂らし喚いている。

 まだ動けない聖ゲオルギウス十字軍の騎士たちは、静とアスタロトの戦いに衝撃を受けるしかない。銃で武装した四人でも傷ひとつつけられなかったアスタロトが、ただの人間の少女相手に片手を失ったのだ。

「このやろうッ!」

 アスタロトが吼えた。

 不用意だった!

 相手はただの人間であっても剣をもっている。そして剣の達人らしい。

 だが、その細い剣と細い体では、おれのスピードと圧力は防げない。おれはアスタロトだ。おれの体を一撃で斬ることは不可能。手首のようにはいかない。吹っ飛ばしてやる!

「――!?――」

 静へと踏み込んだアスタロトは、しかし動けなくなった。

 一撃で斬られることはない。

 その通りだった。

 白刃が走る。身体のどこから斬られたらしい。たいした腕前だ。だがそれではおれを止めることはできない。しかし、そう思うより早く次の刀傷ができている。それに気づくより先に次の刀傷ができている。

 左と思えば右に。

 上と思えば下に。

 機械のように正確に。

 機械のように無慈悲に。

 無数の斬撃がアスタロトに襲いかかる。銃弾を視認できるアスタロトが、もうなにも見えていない。ただ幾筋もの刀傷が全身を走っていく。

「これは――いったい……!」

 静は少しも後退していない。

 アスタロトは棒立ちだ。

「うわああああ!」

 アスタロトの全身から血が噴き出した。



 まず、音が消える。

 次に、色が消える。

 そして静の周囲は時間を止める。


 この男は強いらしい。しかし、()()()()の静にはただの木偶の坊だ。



 静が木花咲耶姫を両手に持ち替えた。

 それを察知したアスタロトは体を投げ出し、石畳を転がって逃げた。

「この傷だらけのおれが、この血だらけのおれがアスタロトなのかアッ!」

 アスタロトが泣いている。

「嫌だッ! こんな惨めなアスタロトなんて嫌だアッ! 違うんだッ! おれが欲しかったのは、しびれる熱さなんだッ! 惨めさなんかじゃないんだアッ!」

 静は木花咲耶姫を鞘におさめ、抜刀に備えてまた半身に戻った。



 チャールズ・リッジウッドはそれに気づいた。

 アスタロトだけではない。

 いつの間にか自分も泣いている。

 ぼくは誰よりも優れている。もしぼくが誰かに劣っているとしたら、それはぼくが怠けているということなのだ。

 そうなのだとしたら、神よ。

 私は、どれだけの怠け者だったというのですか。

 体を支える力さえ失い、チャールズは石畳の上に仰向けに体を投げた。空には星がない。なにも見えない。霧だけだ。

 チャールズは片腕で両眼を覆った。

 涙は止まらない。



 はっと、静は眼を見開いた。

 ()()()()の静には音が聞こえない。

 しかし今、静は()()を感じた。

 静によると殺気とは恐怖だ。相手の殺意が空間を飛び越えて伝わってくるといったような怪異現象ではない。ちょっとした気配に猫のように敏感になる、静はその殺気を感じている。()()静は見えない敵に対して無防備に近い。

「しょうがない」

 まず音が戻ってくる。

 そして(夜と霧の今は意味はないが)色彩が戻ってくる。

 止まっていた静のまわりの時間がふたたび動き出した。

 静は堂々とアスタロトに背を向けて周囲に注意を払っている。

「気に障るッ!」

 アスタロトが叫んだ。

「おまえの相手はおれなのに、おまえはおれに背を向けているッ! 気に障るぞ、ヌナガワ・シズカッ!」

「うるさい」

 静が言った。

「だまっていろ」

 アスタロトは体を戦慄(わなな)かせた。

 もう快楽のためではない。戦うためでも勝つためでもない。アスタロトはただ怒りにまかせて静へと突っ込んだ。静は背を向けたまま右手だけで右腰の石長姫(イワナガヒメ)の鯉口を切り、半分だけ抜いた。それがアスタロトが伸ばした手を引き裂いた。

「わあああ!」

 さらに静は後ろ蹴りをアスタロトの腹部に叩きこんだ。反射的に重心を後ろに移動させていたアスタロトは、静の蹴りに吹っ飛んだ。

 ――あいつ、ぼくの蹴りは笑い飛ばしたのに!

 ゲオルクもまたチャールズのように絶望を感じてしまう。



 閃光が走った。



「相変わらず、足癖が悪い」

 霧の中から声がした。

「でもそれは、(はるか)のほうだったかな」

 あっと振り返った静の眼に映ったのは、自分と同じ顔だ。

 ケープつきのアルスターコートにリボンタイ、そして山高帽。澄んだ声だが、たしかに少年の声だ。手には栗原(くりはら)筑前守(ちくぜんのかみ)信秀(のぶひで)木花知流姫(コノハナチルヒメ)

「ぼくの気配に気づいたな。それはわざと教えたんだ。君のそのやっかいな技を封じるためにね。それにしても君はまだ甘いな。未知の敵がいるとわかっていて、そんな後ろ蹴りのような大技を出すものじゃない。ほら、こうして隙だらけになっただろう、静」

「か――おる……!」

「そうだ、ぼくだ!」

 残忍な両眼が黄金に光る。

「死んだとでも思っていたのかい! ぼくは死なない。君をぼくだけのものにするまで、ぼくは死なないのさ!」

 肩から血が噴き出した。

 静の左腕が落ちた。



 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)石長姫(イワナガヒメ)

 そして、木花知流姫(コノハナチルヒメ)

 離れ離れになっていた三姉妹の剣が、今夜、この霧の魔都ロンドンでそろった。



 さて。

 日本でなにがあったのか、そろそろ語らねばならないだろう。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。


ゲオルク・フォン・アウエルシュタット

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。


エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット

ゲオルクの妹。十五歳で死亡。


チャールズ・リッジウッド

イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。


オーレリア・リッジウッド

チャールズの妹。


アラン・カペル

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。


デハーイィ

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。


ヨハン・ペッフェンハウゼル

アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

ヴァンパイア名ダンタリオン。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


アスタロト

ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。


ステュクスとアケロン

アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。


ダーネ・ステラ

発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。


オリヴァー

ヴァンパイア名、獅子王プルソン。

上半身裸の筋骨隆々の大男。


ピップ(フィリップ)

獅子王プルソンのスードエピグラファ。


アンナマリア・ディ・フォンターナ

ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。

白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。


ラプラスの魔

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。


ファンタズマ

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。



スチュアート・ウッド。

英国下院議員。現在行方不明。


クリス・ランバート

ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。


ジェイムズ・ディクソン

銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。



※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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