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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
29/77

恐怖公

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


挿絵(By みてみん)


「もう一度聞いてやる。おまえらが聖ゲオルギウス十字軍の騎士か」

 霧の中、西の恐怖公アスタロトが悠然と笑っている。

「千人に、一万人に追いかけ回されたあの恐怖、あの絶望、あの興奮。あのしびれる時間をおまえたちもおれにくれるかい」


 前に。

 と、ゲオルク・フォン・アウエルシュタットは思った。自分の導師をしてくれた先輩騎士アラン・カペルは言った。

「アシュリー・ヤングがソロモンではないことを」

 ソロモンだったら?という自分の問いに彼は言った。

「そんときゃ、腹をくくるだけだ。悪くない人生だったとな」

 狙撃ならともかく、正面からの近接格闘でソロモンクラスのヴァンパイアに挑むのは自殺行為だ。それどころか、彼はアスタロトなのだという。名前だけでいえば、そう、名前だけでいうのであれば、彼はルシファー、ベルゼビュートに並ぶ強大な悪魔なのだ。


 問答無用!


 ゲオルクは腰だめで巨砲グングニルを撃った。

 それが呼び水となり、デハーイィの同じグングニル、アランのモーゼル1871多弾倉改、そしてチャールズ・リッジウッドの両手の自動拳銃ヴァルキューレが続けて火を噴いた。硝煙がすごい。ただでさえ霧が濃い夜なのに、なにも見えない。

 ガシャッ!

 弾着を確認できなくても次の事態に備え、ボルトアクションで弾丸を薬室に送り込む。

「ついさっき」

 と硝煙と霧の中から声がした。

 ためらいもせず、ゲオルクは第二射を撃った。

「あせんなよ、言わせろって」

 また声がした。

「ついさっきな、プルソンの奴が散ったよな。それもこいつでやったのかい。これがアポクリファでも一発で吹っ飛ばすというグングニルかい」

 一陣の風が霧と硝煙を払った。

 立っていたのは無傷のアスタロトだ。

「たいしたもんだな。確かに避けたのに、もってかれそうになった。くらっときたぜ。二発目はもうどうってことはないけどな」

 なんだって!

 外したのではなく、避けただって!?

「悪くなかった。今まで見たどの弾丸より速い。そんなもんがあるって言われてなきゃ反応が遅れていたかもな」

 間違いない。

 あの赤毛の男は射出された弾丸を視認して避けたのだ!

 ゲオルクは三射目を撃とうとした。しかしグングニルの長い銃身が真上を向いた。一瞬で接近してきたアスタロトが銃身を蹴り上げたのだ。しかも両腕をポケットに入れたままだ。

「もういらねえ」

 アスタロトが言った。

「良かったぜ、なかなか良かった。でもダメだな。あの絶望感には遠く及ばない。そうだよなあ、銃じゃ一瞬だ。やっぱ量なんだよなあ」

 おっとアスタロトが目を見張ったのは、ゲオルクが反撃してきたからだ。グングニルを軸にするようにくるりと体を一回転させ、後ろ回し蹴りを放つ。それはアスタロトの腹部に叩きこまれた。

「こいつはすげえ!」

 アスタロトの顔が輝いた。

「油断してたとはいえ、おれが蹴りを食らったぞ、おい、見てくれ! アスタロトが人間の蹴りを食らったぞ!」

 さらにゲオルクはアスタロトの懐に飛び込んだ。

 相手の動体視力は異常だ。フェイントを入れるだけ無駄だ。ゲオルクは至近距離で肘を跳ね上げた。しかしその肘打ちは掌で受け止められた。

「おまえ、おもしろいよ。なあ、おまえさ、ヴァンパイアにならないか」

 アスタロトの視線が横を向いた。

 チャールズを見たのだ。

 しかし、アスタロトはすぐに視線を切った。


 おれは剣を手にしているのに。

 チャールズは震えた。

 おれはおまえを殺そうとしているのに――。


 アスタロトは視線をゲオルクに戻した。一瞬でも視線をそらした隙をゲオルクは見逃さなかった。アスタロトの手を取り、肘と肩を極め、かつてカステル・サントカヴァリエーレで同期の彼を投げ飛ばしたときのように――しかしゲオルクはアスタロトを投げることはできなかった。固い。筋骨隆々というわけでもないのに、腕も関節もまるで石像のようだ。

 アスタロトはゲオルクを蹴り飛ばした。ゲオルクは数フィートも飛ばされ、石畳を転がった。

 アスタロトはまたチャールズを見た。

 しかしまたアスタロトは視線を切った。あろうことか、アスタロトは背を向けたのだ。彼の視線の先にはアランとデハーイィ。

「ちっくしょう! 撤収すべきなのに、チャールズにゲオルクはなにやる気になってんだ!」

「……」

「ああ、そうだよな、デハーイィ! どのみち逃げられないよなあ! たぶん、いい人生だったぜ! こんちくしょう!」

 しかし、アランとデハーイィもアスタロトにぶちかまされ、手のヴァルキューレを撃つことも叶わず吹き飛ばされてしまった。

 それでも、彼は向かない。

 彼は、おれを見ない。

「うおおおおおお!」

 剣を両手で握り締め、チャールズは吠えた。



「おれを呼んだか」

 チャールズ・リッジウッドはその夜のことを忘れたことはない。

「おまえが望んだ悪魔とは違うかも知れないが、おれが来てやったぞ」



「うおおおおおお!」

 チャールズの雄叫びに、やっとアスタロトは意識を持ってチャールズを見た。そして今度は視線を外さなかった。

 浮かべたのは驚きと嘲弄だ。

「――なんだおまえ、あのときのガキか!」

「うおおおおおお!」

「おおおおおおおお!」



 それはただの好奇心だったのだ。

 なんにでも反抗していた一五の夏。チャールズ・リッジウッドは悪魔を召喚してみた。魔方陣を描き、祈る振りもした。もちろん、なにも来なかった。当たり前だ。チャールズは冷笑を浮かべた。

 どの分野でも優秀だと言われた。

 なにをしてもうまくやれた。

 しかし伯爵家は出来がいいとはいえない兄のものだ。それがくやしいわけじゃない。そういうものなのだ。おれが住んでいる世界は、ただ()()()()()()なのだ。

 しかしその夜。

 窓にその男が立った。

「おれを呼んだか」

 その赤毛の男は言った。

「おまえが望んだ悪魔ではないかもしれんが、来てやったぞ」

 彼は来た!

 チャールズは歓喜した。

 どうだ、彼は来てくれたぞ! さあ、ぼくを連れていってくれ! ここじゃないどこかに連れていってくれ!

 その男はチャールズに手を差し伸べた。

 幸福に満たされていた。無邪気だった子供の頃、なりたいものになることができた。あの頃の幸福にチャールズは包まれていた。

「だめ、お兄ちゃま!」

 その幸福を引き裂いたのは、まだ幼かった妹オーレリアの声だ。彼女は泣きながらチャールズに抱きついてきた。

「だめ、行っちゃだめ!」

 チャールズは目を見張った。


 ぼくは、いま、いったい……!?


 チャールズはオーレリアを抱きしめ、窓の男を見た。

 まぶしい月の逆光の中、男は笑った。

「チェッ、いいところで弾き飛ばされちまった。悪くなかった。もう少しで、おまえはおれのものだったんだ」

 チャールズはすくみ上がった。

「また来る」

 男は消えた。

 兄妹は動けなかった。オーレリアはやがて眠ってしまったが、チャールズは朝まで眠れなかった。妹が愛しかった。彼女がぼくを救ってくれたんだ。

 神さま、彼女がぼくを救ってくれたんです。

 ああ、神よ。


 神よ!


 しかしその後、自分、そしてオーレリアの体に異変があることにチャールズは気づいた。そしてそれは「真実の眼」と呼ばれるものなのだと知った。あの魔物は、妹まで汚していったのだ!

 チャールズはカトリックに改宗した。

 それは伯爵家への意思表示でも社会への反抗でもなかった。

 ただ自分を、真実の眼を受け入れてくれるところに移っただけのことなのだ。分別のない幼い傲慢が、自分どころか妹まで巻き込んでしまった。

 ぼくは許されてはならない。

 誓え、チャールズ・リッジウッド。

 ぼくは、決しておまえのものにならない。



「うおおおおおお!」

 剣を手に、チャールズは突っ込んだ。

「元気だったか、ぼうず」

 ヌナガワ・シズカの剣はヴァンパイアを一撃で両断した。

 しかしチャールズの剣は当たらない。

「怒るなよ、忘れていたわけじゃないんだぜ。ただな、ここ数年つまんなくってなあ。どうでもよくなっちまってなあ。おもしろいヤツを拾ったが、そんなところでなあ……」

 当たらない。

 いくら剣を振り回しても、アスタロトは見もしないで避ける。見ているのだ。初動だけ見て、あとは視線を外しているだけなのだ。だが、逆上しているチャールズにはそれもわからない。

「ああ、おもしろいことはないかなあ!」

 チャールズの攻撃の中、アスタロトが言った。

「聖ゲオルギウス十字軍じゃだめだった! ヌナガワ・シズカだ! そいつならおれを楽しませてくれるかなあッ!」

「!」

 ぴたりと。

 アスタロトは親指と人差し指の間にチャールズの剣を挟んだ。

「――なんだ、知ってるのか、坊主」

 バキッ!

 剣を折り、アスタロトはにやりと笑った。

「黒のシズカじゃないぜ。あいつは死んだ。いるんだってな、このロンドンに。すげえ強えのが。おまえたちと同じただの人間なのに、すげえ強いんだってな。わくわくするぜ、わくわくするよな!」

 ぱあん!

 チャールズはのけぞった。

 アスタロトの拳が顔面に叩きこまれたのだ。なにも見えなかった。

 ぱん!

 ぱん!

 アスタロトの拳が次々とチャールズを襲う。本気じゃない。本気なら最初の一発で頭を吹き飛ばされている。嬲っているのだ。

「なあ、知っているのなら会わせてくれよ、ヌナガワ・シズカにさあ!」

 ぱん!

 ぱん!

 チャールズは棒立ちだ。意識が遠ざかっていく。

「ちくしょう……」

 拳を握り締めてうめいたのはゲオルクだ。騎士たちはみな石畳に倒れ、動けない。

 霧が深い。

 なにも見えない。



 ドぉン!

 とてつもない拳銃の音が響き渡った。



「この街は、センチメンタルな散歩すら私に許してくれない」

 空に向かって悪い冗談のような巨大拳銃を突き上げる。両腰には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)石長姫(イワナガヒメ)

奴奈川(ぬながわ)(しずか)。私なら、ここにいるぞ」



「なりゆきだ、助けてやる」


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。


ゲオルク・フォン・アウエルシュタット

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。


エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット

ゲオルクの妹。十五歳で死亡。


チャールズ・リッジウッド

イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。


オーレリア・リッジウッド

チャールズの妹。


アラン・カペル

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。


デハーイィ

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。


ヨハン・ペッフェンハウゼル

アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

ヴァンパイア名ダンタリオン。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


アスタロト

ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。


ステュクスとアケロン

アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。


ダーネ・ステラ

発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。


オリヴァー

ヴァンパイア名、獅子王プルソン。

上半身裸の筋骨隆々の大男。


ピップ(フィリップ)

獅子王プルソンのスードエピグラファ。


アンナマリア・ディ・フォンターナ

ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。

白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。


ラプラスの魔

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。


ファンタズマ

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。



スチュアート・ウッド。

英国下院議員。現在行方不明。


クリス・ランバート

ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。


ジェイムズ・ディクソン

銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。



※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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