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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
27/77

女神

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 

「この熱い魂がある限り、獅子王プルソンは獅子王プルソンなのだッ!」


 バキッ!

 バキバキッ!

 十二宮ライブラは声にならない悲鳴をあげた。

 怪力で締め付けられ骨がへし折られていく。

 ありえない。

 この男の体は内から破壊し尽くされているはずなのだ。骨は粉々で、内臓は破裂しているはずなのだ。

「死に損ないのくせにッ! 出来損ないの七二柱のくせにッ!」

「貴様ら七二柱に、おれたち十二宮を傷つける権利などないッ!」

「やめろ、やめてくれええーー!」

 バキバキッ!

 バキバキッ!

「ぎゃああああああああ!」



「地獄で会おう、ピップ! いっぱいの土産話を獅子王プルソンは待っている!」



 じゃれ合いながら庭仕事をしていたステュクスとアケロンが空を見上げた。蒸気バイクを飛ばしていたアスタロトも空を見上げた。

 ダーネ・ステラも空を見上げたが、この研究室には空がない。

 往来を行く静によく似た若き紳士も空を見上げた。



 ソロモンの七二柱。獅子王プルソンが散った。



 ロンドンの裏道は知り尽くしている。

 二〇年離れていたが、勘なんか数日で取り戻せる。もうあのツンツン頭は追って来れない。それでもピップはその物陰であたりをうかがった。

 その時だ。

 獅子王プルソンの死の報せがピップに襲いかかってきたのだ。

「オリヴァー……ッ!!」

 抱えていた浮浪児を投げ出すようにして放し、ピップはその場に崩れ落ちた。

「オリヴァー……!」

「オリヴァー……!」

 浮浪児は、泣くピップをぼんやりと見ている。


 泣いているのはあんたじゃないか。

 殺されたのは、あのライオンじゃないか。


 寒いのは両腕の骨が折られているからだ。なにをされたのかわからないけど、とにかくあのツンツン頭に折られてしまった。今は鈍痛ていどにしか感じないのは、ヴァンパイアになったおかげだろうか。なんだ、やっぱり役に立つじゃないか、ヴァンパイアって。

 泣いていたはずのピップとかいう貧相な男が自分を見ている。

 涙に濡れた眼に、激しい憎悪が金色に光っている。

 ああ、殺されるんだ。

 浮浪児は思った。

 いいよ。もともと警告されてたんだし、さっきだって死にかけたんだし。両腕が折れて仕事なんかできないし。構わない。

 ピップが飛びかかってきた。

 浮浪児に馬乗りになり、なにかを喚きながらすごい力で首を絞めている。抵抗しようにも両腕が動かない。だけど首を絞める手はすぐに揺るんだ。ピップは激しくむせ、浮浪児から後退って離れ尻餅をついた。

「殺さないの?」

 仰向けに倒れたまま、浮浪児が言った。

「おれがおまえを殺したら、オリヴァーが泣く」

「もう彼はいないのに」

 ピップの両眼から、また涙が溢れ落ちた。

 浮浪児は立ち上がった。そしてピップを見もせずに歩きはじめた。

「待て、その腕でどうするつもりだ」

「どうせ死ぬ。遅いか早いかだけだ」

「生意気なガキだ」

 でも、とピップは笑った。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でピップは笑った。

「おまえは、獅子王プルソンに拾われた頃のおれに似ている」

 袖でゴシゴシと顔をこすり、ピップも立ち上がった。

 ズボンのポケットに両手を突っ込み、浮浪児の横を通り過ぎ、貧相な背を向けたままピップが言った。

「来い。せめてその両腕が治るまで、おれと一緒にいてもいいだろう」

「……」

「まだ名前を聞いてなかった」

「エステラ」

 えっ!と、ピップは振り返った。

 なんだよという顔で浮浪児が見上げている。

「おまえ、女の子だったのか!」

「だからなに」

「……いや」

 ピップは頭をかいた。

「まあいいや、こんなガキだしな」

「腕が使えなくたって噛みつくぞ」

「それにしても、ご大層な名前をつけて貰ったもんだな」

「ほっとけよ」

 ロンドンの下町をふたりは歩いていった。路地の狭い空にそびえているのはセント・メアリ・ル・ボウの鐘楼だ。



「私たちは三人きょうだい。三つ子だった」

 (しずか)が言った。

「でも妹の(はるか)は母から生まれてこなかった。弟の(かおる)は死んだ」

「――ごめんなさい」

 レベッカ・セイヤーズは口を押さえた。

「レベッカはなにも悪くない。よくあることでしょう?」

「ほんとうにごめんなさい」

 静は微笑み、箸を置いた。

 お赤飯は美味しかったけど、嬉しかったけど、レベッカのせいでもないけど、でも、食欲がなくなっちゃったな。

「街であなたにそっくりな男の子を見たの。だから――」

「私に?」

「顔もそっくりだったし、身長も同じくらい。はじめはあなたの変装かと思ったくらい。あなた、国家間の問題に絡んでいるし、ハーマジェスティズだし」

「?」

「まさか、そっくりなイトコがいるとかもないよね?」

「レベッカ。こんどその彼に会ったなら、左手を見せてもらうといい」

 そして静は、レベッカに自分の左のてのひらを見せた。

「もし、その彼の手に傷がついているなら、その彼は、私が知らないだけの私の一族」

「どういうこと?」

「私の一族は、生まれたときに左手に小刀で傷をつけられる」

「赤ちゃんに!?」

 レベッカは驚き、そして、あっと静のてのひらを覗き込んだ。

「傷があるの……?」

「ないよ」

「……見えないだけ?」

奴奈川(ぬながわ)の一族であれば、赤ん坊の頃につけられたはずの傷の痕が私には残っていない。それが私が奴奈川斎姫(さいき)である証明」

 静が言った。

「私は奴奈川斎姫。奴奈川一族全体の巫女。正四位下(しょうしいのげ)従五位下(じゅごいのげ)の父より私のほうが位が高いほど。日本で、私は女神奴奈川姫(ぬながわひめ)の生まれ変わりだったのよ」


 よくあることでしょう。

 私は言った。

 よくあることなのだろうか。


 薫は死んだ。

 私が殺したのだ。私が私の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)で斬ったのだ。



 ロンドンに夜が来た。

 今夜もこの煌びやかな街は霧に深く覆われている。

 足を引きずって歩いているのは十二宮ライブラだ。ステッキなどじじい臭いと言っていた彼がステッキをついている。紳士の嗜みとしてではなく、ただ歩く補助のために。

「ちくしょう……」

 七二柱など、おれの敵ではないのに。あのライオンやろうだって、おれはすぐに斃せた。そうだろう。

 それなのにおれはこんな姿だ。

 折られた骨はすべてなんとか繋げた。たぶん、繋げた。しかし、すぐに元通りになるというわけにはいかないようだ。

「ちくしょう……」

 霞むのは、霧のせいだけじゃない。

 涙が止まらない。

「うっ、うっ、うっ……」

 なんてみじめなんだ。勝ったというのに。

 おれは悲鳴を上げてしまったのだ。

 あろうことか、命乞いまでしてしまったのだ。

 七二柱。ひとりで斃せと言われたって、おれはやってみせる。ソロモンの七二柱をすべて散らしてやる。王よ。われらの王よ。


 王よ!

 ああ、あなたが私に命じてくださるなら!


 あっとライブラは顔を上げた。

 深い霧の中。

 消えては現れ、現れては消える人影がある。隙のない紳士の姿。しかし、その背を流れるのは長い髪。

「王よ!」

 ライブラは声をあげた。

 痛みを忘れてとはいかない。痛い。しかしライブラは必死にその幽霊のような影へと走った。

「王よ! われらの王よ!」

「君は誰だ」

「おお! おお!」

 ライブラは震えた。

 くやしさとは別の涙がライブラの両眼から落ちる。

「あなたがロンドンにいるとは知りませんでした。私です、ライブラです。あなたの十二宮、ライブラです」

「ふうん」

 と、彼は言った。

「でも、十二宮だという君は、ひどく傷ついているようじゃないか」

 さっと、ライブラの顔が羞恥に染まった。

「こんなもの……! すぐにでも……!」

 すっと男の姿が消えた。

 そしてまた霧の中に現れた。

「王よ、お命じください! あのいまいましい七二柱をこの世から消してしまえと!」

 すっと消える。

 すっと現れる。

「王よ、ぜひこの私に!」

「そうだな」

 と、彼が言った。

「じゃあ、探してくれるかい。シズカを見つけてくれ」

「――?」

「正確には、シズカを探す少女だ。あれからぼくは、どうしても彼女に会えないんだ」

 彼の姿がまた消えた。

 そして今までとは違う、遠く離れた先に彼は現れた。

「頼んだよ」

 彼の姿が霧の中に消えた。

「お待ちください。私に七二柱を掃討せよと。お願いだ、王よ……!」

 ライブラはまだ気づいていない。傷ついた体が元通りになっていることに。霧の中に消えた彼はもう現れない。

「……行かないでくれ、王よ――ぉ……!」

「……わが王よ――ぉぉ……!」

 ライブラの涙は止まらない。



 リン!



 静の記憶の中で神楽の鈴が鳴る。


 高子、俊輔、元気か。

 父上、母上、お達者か。勝之進、勇一郎、鉄太郎、静馬。薫。


 レオンハルト・フォン・アウエルシュタット。

 忘れるな、おまえを殺しに行く。


 リン!


 遙、どこにいるの!

 あなたは今どこにいるの、私の遙!


 おおい、みんな! どこにいるんだ! 私はここにいるぞ!


 リン!


 リン!


※セント・メアリ・ル・ボゥ:この教会の鐘の音が聞こえる範囲で生まれ育ったのがロンドン子なのだという。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。


ゲオルク・フォン・アウエルシュタット

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。


エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット

ゲオルクの妹。十五歳で死亡。


チャールズ・リッジウッド

イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。


オーレリア・リッジウッド

チャールズの妹。


アラン・カペル

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。


デハーイィ

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。


ヨハン・ペッフェンハウゼル

アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

ヴァンパイア名ダンタリオン。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


アスタロト

ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。


ステュクスとアケロン

アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。


ダーネ・ステラ

発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。


オリヴァー

ヴァンパイア名、獅子王プルソン。

上半身裸の筋骨隆々の大男。


ピップ(フィリップ)

獅子王プルソンのスードエピグラファ。


アンナマリア・ディ・フォンターナ

ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。

白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。


ラプラスの魔

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。


ファンタズマ

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。



スチュアート・ウッド。

英国下院議員。現在行方不明。


クリス・ランバート

ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。


ジェイムズ・ディクソン

銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。



※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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