激突
仏に逢えば仏を殺せという。
祖に逢えば祖を殺せという。
私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。
獅子王プルソンの大きな背中が走っていく。
馬鹿な子だ。
馬鹿な子だ。
ヴァンパイアになる道を選んだにしても、どうしてその姿をわざわざオリヴァーに見せつけに来た。本人にはその気はないのかもしれない。偶然鉢合わせしてしまっただけかも知れない。そうだとしても――。
「あっ!」
と、ピップはその気配に立ち止まった。
今、ほぼ同時に複数のヴァンパイアが散った。
もちろん、偽典たちだ。自分と同じ、名もないヴァンパイアだ。しかしこの数はいったい。まさか、聖ゲオルギウス十字軍の騎士が近くに――?
「オリヴァー!」
しかしピップの声に振り返りもせず、獅子王プルソンは走っていく。
「ロンドンではこんな子供までヴァンパイアか。世も末だ」
その浮浪児の腕を十二宮ライブラが掴んだ。
「いやだ! 放して!」
浮浪児は逃げようと暴れている。
足が何発かライブラの体にあたった。ライブラは眼を細めた。
「あっ!」
浮浪児は片手で振り回され、路地の外壁に叩きつけられた。
「わきまえろ」
ライブラが言った。
「憐れだな。その程度の力を手に入れるために、おまえは永遠に失ったというのか。人としての安らぎを。人の望みと喜びを」
あのライオン男と同じような事を言う!
おまえはその眼でしっかりと見るんだ。
ヴァンパイアがどれだけ醜いか。汗を流して働く人がどれだけ美しいか。
そんなこと! おまえたちが強いヴァンパイアだから言えるんだ!
「――なんか!」
「なに?」
「――安らぎなんか、生まれたときから知らないっ!」
浮浪児の両眼から涙が溢れている。
ふん、とライブラは鼻を鳴らした。
「そうだな。おまえ程度の偽典、この先ろくなことはないだろう」
ライブラが片腕を上げた。
「!?」
浮浪児は眼を見開いた。自分の片腕がありえない方向に曲がっている。
もう片腕をライブラが上げた。
浮浪児の別の片腕もへし折られた。
「わあああああ!」
「ああ、だめだ。なんてだめなんだ、おれは。こういうときには痛みも感じさせずに死なせてやるのが上位者としてのあるべき姿だ。そうだろう、ライブラ」
ライブラは両腕をひろげた。
「楽にしてやろう」
「……やめて……!」
なにが起きているのかなんてわからない。だけど次になにが起きるのかを想像することはできる。
殺される。
結局、そうなるんだ、自分なんて。
「いやあああ!」
「その子から離れろッ!」
獅子王プルソン。
その両眼に苛烈な怒りを込め、ライブラを睨み付けている。
「あなた、ロンドンにきょうだいがいる?」
「?」
学生アパートの屋根裏部屋。
レベッカ・セイヤーズが口にしたのは良くある質問だった。
きょうだいはいるのか。
いや「ロンドンに」と区切っているのは奇妙ではあるのだけれど。それでもきょうだいの有無を聞かれることは奇妙なことではないはずだ。
「……」
だけど、静は考え込んでしまった。
「シズカ?」
「いるよ」
静が言った。
「私は三きょうだい。三つ子だった」
レベッカは思った。
そういえばシズカは、日本での自分を語ったことはなかった。
愛刀は七五三のお祝いにそれぞれのきょうだいのために。
木花咲耶姫が静に。
石長姫が遙に。
そして木花知流姫が薫に。
遠い、遠い、世界の東の果ての国での物語。
「おっ、今度こそ強そうなのが来た」
嬉しそうな声をあげたライブラだったが、すぐに顔をしかめてしまった。
「なんだ、あのライオンのたてがみの方の馬鹿じゃないか」
しかし。
「おかしい」
ライブラの心臓が高鳴っている。そして色つきの丸眼鏡の下で、眼が黄金の光を帯びはじめている。
「なあ、変なんだ。おれはがっかりしているのに、おれの体は昂ぶっているようなんだ。もしかしてあんたは――」
「……」
「ソロモンの七二柱?」
「獅子王プルソン」
ライブラはにやりと笑った。
「やあ! おれはついに七二柱に会えたぞ!」
「ピップ」
ライブラから視線を切らずに、獅子王プルソンは追いついてきたピップに声をかけた。
「その子を連れて逃げろ」
ピップはプルソンが対峙している男を見た。
整髪料で固めた髪をツンツンに立てた色つき丸眼鏡のいかれた男。中肉中背。むしろ痩せている。獅子王プルソンの敵になるような男じゃない。
しかしピップにはわからない。
ライブラがそうであるように、獅子王プルソンの胸もまた激しく鼓動が打ちつづけている。
「そっちが名乗ってくれたんだ。おれも名乗ろう。おれはライブラ。別の名もあるが、これが一番わかりやすいだろう。十二宮のライブラだ」
「ベルゼビュートのアポクリファか」
「そうだ。ソロモン王のアポクリファ」
オリヴァーは、いったいなにを言っているんだ?
あの男もだ。十二宮? ライブラ? ベルゼビュートのアポクリファ? アポクリファとはソロモンの七二柱のことを言うんじゃないのか?
「ピップ」
と、獅子王プルソンが言った。
「どちらかが死ぬ。だからおまえはその子を連れて逃げろ。もしおれが死んだとしても、おまえがおれの夢をかなえてくれ」
「なにを言っているんだ、オリヴァー」
「おまえは友だ。この獅子王プルソンの友だ」
「オリヴァー」
「まかせたぞ、ピップ!」
ばあん!とプルソンがピップの背中を叩いた。
反射的にピップは走り始めた。
ライブラはその動きを無意識に眼で追ってしまった。あっと気づいた時にはプルソンが腕を振り上げ目前に迫っている。しかしプルソンの腕はライブラに届かず、むしろなにかに弾かれてしまった。
「危なかった!」
ライブラが言った。
「そんな腕で殴られたら散ってしまっていたぞ! しかもおれはその腕をメチャメチャにしたつもりなのに、これはどうだ、そいつはまだ繋がっているじゃないか!」
プルソンは弾かれた腕のほうの肩をぐるりと回した。そして、じろりとライブラを睨んだ。その間にピップが浮浪児を拾い上げている。
「おい、そっち。逃げるな」
ライブラが目を離した瞬間、再びプルソンが突進してきた。また拳が弾かれた。しかし構わずプルソンは突っ込んでくる。
ビシッ!
ビシッ!
プルソンの顔に、剥き出しの腕に、傷が創られていく。
この圧力の中では集中できず充分な力を使えない。それでもライブラの不思議な力はプルソンの体を確実に傷つけているはずだ。実際にプルソンの裸の上半身は血だらけだ。なのに止まらない。
「まるで象かヒグマだな……」
ライブラの頬を、冷たい汗が落ちていく。
「それがどうした、ライブラ。おれは十二宮だろう」
ふっとライブラの姿が消えた。
次の瞬間にはプルソンの背後にライブラの姿がある。
「さあ、これで終わりだ!」
しかし、あっとライブラは両眼を見開いた。目の前にプルソンが迫っている。丸太のような腕を振りかぶっている。
「まずい」
ライブラは戦慄した。
「おれは死ぬのか。散るのか」
しかし、獅子王プルソンは目を逸らした。ライブラから目を逸らし、顔を上げた。ライブラの向こう、獅子王プルソンが見たのは浮浪児を抱きかかえたピップの姿なのだった。
「逃げろといったはずだぞ、ピップ!!」
瞬間、死を覚悟したライブラは。
瞬間、勝利を確信した。
プルソンが棒立ちになった。星のない空に向かって口から噴き出したのは、大量の血だ。
「オリヴァー!」
「ハハッ! どうだ、おれの”気”のすべてを注ぎ込んでやったぞ! おまえが象でもヒグマでも、身体の中はメチャメチャだ!」
ライブラは片膝を落とした。
息が荒い。
「やれやれだ……。こんなみっともない姿は我が王に見せられんなあ……。ああ、そこの雑魚」
ビシッ!と。
ピップの頬を何かが引き裂いた。
「おれがこんなだからと逃げられると思うな。おれは見えさえすればおまえを殺せるんだぜ」
ピップの頬から血が流れていく。
「馬鹿だねえ……。せめて、あいつのいう通りに最初から逃げていれば命くらいは助かっただろうになあ」
オオオオオオオオオ!
雄叫びが響き渡った。
ぎょっとライブラは立ち上がった。ピップは見た。口から、鼻から、両眼から血を流し、獅子王プルソンが吠えている。
「おまえがおれたちの夢を叶えてくれ! 逃げてくれ、ピーーップ!」
「たいした生命力だ」
ライブラは”気”を飛ばした。
それはプルソンの顔に新たな傷を創り、血がほとばしった。しかしプルソンは動かない。
「もう感覚がない。目も見えない。耳は聞こえているのか? 聞こえているなら聞け。おまえが守りたかったものがあげる断末魔をな」
ライブラはプルソンに背を向け、ピップへと腕を上げた。
「死ね。せめて最後はいい声を聞かせてやれ」
ライブラは目を剥いた。
獅子王プルソンが背中からしがみついてきたのだ。
「この野郎――嘘だ! おまえの全身の骨は砕けているはずだ! 内臓は破裂しているはずだ! 動けるはずがないんだ!!」
「ピップ、走れ……ッ!」
ぎりぎりとライブラを締め上げる。
「これが獅子王プルソンの最後の力だぞ……ッ!」
「オリバー!」
涙が止まらない。
ふたりで歩いてきた。死ぬのなら、おれはここで獅子王プルソンと死ぬんだ。でもそれを獅子王プルソンは許してくれない。決して許してくれない。
「オリバー! ごめんよ、オリバー!!」
ピップは叫び、浮浪児を抱えて走った。
「おお、聞こえるぞ!」
獅子王プルソンが歓喜の声をあげた。
「友よ、おまえが駆けていく音が聞こえるぞ!」
「はなせ、ちくしょう、死に損ない! ――ぎゃあああ!」
バキッ!
バキバキッ!
骨がへし折られていく。
「この熱い魂がある限り、獅子王プルソンは獅子王プルソンなのだ!」
「やめろ、やめてくれええ――! 動けるわけがない、動けるわけがないんだああ――!」
バキッ!
バキッ! バキバキッ!
「地獄で会おう、ピップ! いっぱいの土産話を獅子王プルソンは待っている!」
さようなら、オリヴァー。
さようなら、獅子王プルソン。
さようなら。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。
奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。
ロジャー・アルフォード
英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。
ヘンリー・ローレンス
アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。
メアリ・マンスフィールド
ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。
英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。
ハワード
レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。
レベッカ・セイヤーズ
静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。
ハウスマザー
静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。
ミス・チェンバース
音楽院の静の担当教授。
ミス・オコナー
音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。
ゲオルク・フォン・アウエルシュタット
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。
エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット
ゲオルクの妹。十五歳で死亡。
チャールズ・リッジウッド
イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。
オーレリア・リッジウッド
チャールズの妹。
アラン・カペル
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。
デハーイィ
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。
ヨハン・ペッフェンハウゼル
アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
ヴァンパイア名ダンタリオン。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
アスタロト
ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。
ステュクスとアケロン
アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。
ダーネ・ステラ
発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。
オリヴァー
ヴァンパイア名、獅子王プルソン。
上半身裸の筋骨隆々の大男。
ピップ(フィリップ)
獅子王プルソンのスードエピグラファ。
アンナマリア・ディ・フォンターナ
ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。
白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。
ラプラスの魔
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。
ファンタズマ
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。
スチュアート・ウッド。
英国下院議員。現在行方不明。
クリス・ランバート
ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。
ジェイムズ・ディクソン
銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※悪い冗談
静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。
※ヴァルキューレ
レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。
※グングニル
聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。
※木花咲耶姫
コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫
イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫
コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン
正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ
外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ
偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。




