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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
25/77

ライブラ

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 珍しくダーネ・ステラが朝食の席に出てきた。

 普段なら「研究室」で食べるくせに。

 そういう時にはたいてい同じ話題が彼の口から出てくるのだ。ほら、ぱっちりと見開き、きらきらした眼で人を見ている。間違いない。

「アスタロト。資金提供をお願いしたい」

 こいつには、おれの顔は小切手帳に見えているのだろうか。

「ああっ! ステュクス! それは私が先に読むんだから!」

「なにを言っているんだい、アケロン! ぼくが届いているのを先に見つけたんだ! ぼくが先に読むんだよ!」

 給仕をしているはずのガキふたりは食事室を走り回っているし。

 そもそもその私立探偵の冒険物語はおれが注文した本だぞ。

「やだ! ぜったいやだ! 私が先に読むの! だってステュクスって、人が読んでる途中で先を教えるんだもの!」

 それは悪魔の所業だな。

 アスタロトは自分の席の後ろを駆け抜けようとしたステュクスの後襟をひっつかみ、そして追いかけてきたアケロンの後襟も掴んでふたりを持ち上げた。

「おい、どうやらおれのカップのコーヒーがもうないようだぜ」

「は、はい、アスタロトさま!」

「ご、ごめんなさい、アスタロトさま!」

「本はまずおれが読む」

「はい……」

「はい……」

「次はアケロンだ」

「えっ!」

「はいっ!」

 ふたりの後襟を放し、アスタロトは席に座り直した。

「さあ、おれのコーヒーはまだか」

「はいっ!」

「はいっ!」

「まて、ステュクス。そのまえにおまえはその本をおれに渡せ」

 食事が終わり、下げた食器を収めたワゴンを押していく双子の背を見送り、ダーネが言った。

「彼ら、ヴァンパイアでしょう?」

「見りゃわかるだろう」

「でも子供だ。まだヴァンパイアになって日が短い?」

「ずっとあのままだ。中身もガキのままだから特に困らん」

「そうですか?」

「あいつらは猫だ」

 と、アスタロトは言った。

「だから、好きにすればいいんだ」

 よくわかりませんな、お茶を濁されましたな。

 そんな顔でコーヒーを口に運んだダーネだったが、顔を上げてアスタロトに向けた時には、例のぱっちりとしたキラキラ眼になっている。

「おまえだって、たいがいガキのようだぜ」

「そうですか?」

「金なら、ステュクスとアケロンを通せ。あいつらがこの家の家令で家政婦だ」

「では、そういたします」

「で」

 と、アスタロトはコーヒーを手に言った。

 わざと鋭く睨み付けたりもする。

「あれはできたのか」

 スポンサーとして、たまにはプレッシャーをかけなければいけない。

「あれというのは、電気バイクのことですか。それとも」

「なにっ! 電気のバイクがもうできているのか! それを早く言え!」

「できてません」

「――」

「もうひとつのほう。そろそろお披露目しなければ、あなたにも見放されてしまいましょう」

 小刻みに頬を震わせていたアスタロトが、「あっ!」と身を乗り出した。

「金ってのは、そいつのためか!?」

 にっこりとダーネが笑った。

「もちろんです」

「よし、ステュクスとアケロンには、言われるだけ出してやれと言っておく!」

「手間取っているのは電気力ビームの制御と、ロケットパンチを撃ったあとどう回収するかという点でして。超電気ヨーヨーというのも構想中です」

「細かい事はいい!」

 アスタロトは興奮を抑えきれない。

「ダーネ・ステラ! おまえという天才に会えて、おれは気分がいい!」

 当然すぎることですが、その賛美、受け取っておきましょう。そんな顔でダーネはうんうんとうなずいている。

「飛ばしてくる!」

 食事室を出て行こうとするアスタロトの背に、ダーネが声をかけた。

「ロンドンに行くのですか?」

「なんだ」

「ヌナガワ・シズカは見つかったのですか」

「いや?」

「そうですか。探していたようですので……」

「だから、なんだ」

「聖ゲオルギウス十字軍の騎士たちがロンドンにいるそうですよ」

「あいつら、ただの人間だろ?」

「武器がすごいのですよ。あなたのような強大なヴァンパイアでも」

「ふん?」

「一撃で吹き飛ばされてしまう。そんな銃を使っているそうです。ロンドンに行くのなら気をつけたほうがいい。私としても、金払いのいいスポンサーに散られてしまっては困る」

 後半、けっこうすごいことを言われた気もするのだがアスタロトの耳には残らなかったようだ。前半の内容に強烈に刺激されていたのである。

「おれを、一撃で……?」

 アスタロトの顔が輝いている。

 空気を読むタイプでは決してないダーネ・ステラだが、さすがに不気味な空気を感じとってしまったらしい。顔から表情が消えている。

「らしいですな」

 アスタロトは自分の肩をさすっている。

 嬉しそうに。

「ダーネ・ステラ」

「はい」

「おまえはどれだけおれを楽しませてくれるつもりだ」

「……」

 アスタロトが声を張り上げた。

「ステュクース! アケローーン!」

 遠くから声が返ってくる。

「はいっ! アスタロトさま!」

「はいっ! アスタロトさま!」

「バイクの準備はできているな! 出かけるぞ!」

「はい! アスタロトさま!」

「はい! アスタロトさま!」

 大きなストライドで、アスタロトは食事室から出て行った。



「ごめんよ、旦那さん」

「気をつけなさい」

 その紳士はぶつかってきた子供を優しく送り出した。

 お人好しの旦那さん。

 財布がなくなっているのに気づくのにもしばらくかかるのだろう。

 ヴァンパイアになって、財布の位置を掴むのにも、それを()()のにも前より苦労しなくなった。もしバレても大丈夫だ。今の自分の逃げ足について来ることができる人間なんていやしない。

 ふふ。

 あはは……。

 自分たちがヴァンパイアのくせに偉そうに説教してきたおじさん。

 あんたたちがおれを一生食わせてくれるってのなら、ヴァンパイアにならないでやってもよかったよ。でもあんたたちは、ただ自分たちにとって気分がよくなる言葉をおれに放り投げて通り過ぎていっただけだ。

 ただそれだけだ。もう触るな。

「決して、ヴァンパイアになったおまえを獅子王プルソンに見せるな」

 チリッと痛む。

「獅子王プルソンは泣くだろう」

「そしておれはおまえを殺すだろう」

 大丈夫だ。この広いロンドンで、もう会うことなんてない。もしすれ違っても、どうせおれのことなんか覚えてない。

「ウオオオオ!」

 その突然の雷鳴は、パブの前から聞こえてきた。

「ウオオオオオオオオ!」

 店から溢れて通りで飲んでいる男たちの中に、その大きな体があった。自分をにらんで吼えている。

「獅子王プルソンは泣くだろう」

 そのライオンのたてがみのような髪の男は泣いていた。



 これはいったいなんなのだ?

 おれはひどい出来の喜劇でも見ているのか?

 馬鹿みたいな大きな機械で馬鹿みたいに蒸気を撒き散らかし、馬鹿みたいな爆音を立てて走っている赤毛の馬鹿もいた。上半身裸の上にマントという馬鹿みたいな姿で馬鹿みたいな大笑いで歩いているライオン頭の馬鹿もいた。

 そして目の前だ。

 ドラム缶のたき火にあたっているのはヴァンパイアどもだ。人間に紛れているんじゃない。ヴァンパイアが雁首並べて談笑していやがる。

 なあ。

 おれたちはヴァンパイアだ。

 おまえたちはヴァンパイアだ。

 おれたちは一体いつ、闇の世界から姿を現してしまったんだ。ただの馬鹿とおっさんになっちまったんだ。


 闇に生きろ。

 魔物としての誇りを忘れるな。


 馬鹿のように目立つな。ばかやろう。


 もちろん、たき火のほうからもその男の姿が見えている。

 気になる。

 髪を整髪料で固めてツンツンに逆立てている馬鹿馬鹿しいほど目立つヴァンパイアが、さきほどからこちらを睨んでいるのだ。

「なあ」

 と、ひとりが声をかけた。

 労働者と明らかな紳士だ。ヴァンパイアであっても。髪型が怖ろしくユニークであっても。普段なら声はかけない。

「あんたもあたりたいのかい?」

「気安く声をかけるな」

 男が言った。

「おれは十二宮。十二宮のライブラ。きさまら偽典(スードエピグラファ)どもが見てもいい存在ではない。ましてや声をかけることができる存在ではない」

「ああ、そうかよ」

「なにいってやがる」

「チッ!」

「やはり偽典どもには、おれの言葉は通じないようだ」

 ばん!

 何かが爆ぜた。

 はじめに声をかけた男が両膝をついた。

「うわあああ!」

 遅れて来た痛みに、男は叫び声を上げた。両腕がない。爆発してしまった。

「な、なにをしやがった!」

 ヴァンパイアたちが色めき立った。

 しかしそこにいた数人のヴァンパイアたちは、みな爆ぜた。内臓を撒き散らかし散っていったものもいる。

「理解できたか、馬鹿ども」

 十二宮のライブラが言った。



 逃げろ!

 おれは殺される! あのライオンのような男に! あの貧弱な男に!

 おれがなにをした! 生きるためにヴァンパイアになっただけじゃないか!

 ただ、生きるために!

 逃げる浮浪児の手を掴んだ者がいる。

「いやああああ!」

 浮浪児は叫んだ。

「だまれ」

 男が言った。

「ロンドンではこんな子供までヴァンパイアか。世も末だ」

 十二宮のライブラ。

 色つきの丸眼鏡で、その表情はうかがえない。


※家令と家政婦:家令は使用人のトップ。家政婦は女性使用人のトップ。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。


ゲオルク・フォン・アウエルシュタット

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。


エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット

ゲオルクの妹。十五歳で死亡。


チャールズ・リッジウッド

イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。


オーレリア・リッジウッド

チャールズの妹。


アラン・カペル

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。


デハーイィ

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。


ヨハン・ペッフェンハウゼル

アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

ヴァンパイア名ダンタリオン。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


アスタロト

ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。


ステュクスとアケロン

アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。


ダーネ・ステラ

発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。


オリヴァー

ヴァンパイア名、獅子王プルソン。

上半身裸の筋骨隆々の大男。


ピップ(フィリップ)

獅子王プルソンのスードエピグラファ。


アンナマリア・ディ・フォンターナ

ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。

白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。


ラプラスの魔

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。


ファンタズマ

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。



スチュアート・ウッド。

英国下院議員。現在行方不明。


クリス・ランバート

ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。


ジェイムズ・ディクソン

銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。



※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。


※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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