悪い冗談
仏に逢えば仏を殺せという。
祖に逢えば祖を殺せという。
私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。
「ヴァンパイアを確認。奴奈川静、おまえを斬る」
かちり、と少女が鯉口を切った。
夜の街道を二台の馬車がやってきた。
先頭の御者台のランプに照らし出されたのは、少年のような人懐っこい笑顔の青年だ。
「ヘンリー・ローレンス海尉補、ただいま到着!」
「遅いぞ」
葉巻をふかし、ロジャー・アルフォード海軍少佐が言った。
「ちえっ。文句なら五課に言ってくださいよ」
ヘンリー・ローレンスは、御者台から身軽に飛び降りた。
「緊急出動でこの手際。むしろ、ぼくの迅速かつ芸術的な事務処理と交渉力を褒めてほしいもんです。シズカさんはもう中ですか。五課のバカはどうなりました」
ベンジャミン・ウィルソン陸軍大尉は顔を歪め、ロジャー・アルフォード海軍少佐はにやりと笑った。
「おまえの目の前にいるのが、その五課のおバカさんだ」
「あら! えへへ、悪気はないんですよ、ぼく」
「どれだけ揃えられた」
「機関銃二門。ご注文どおり、ちゃんと!」
「よくやった、ヘンリー・ローレンス!」
がしゃん。
がしゃん。
大きな音を立て、馬車から巨大な塊が下ろされようとしている。
多銃身ガトリング機関銃である。
重い。クレーンを使い数人掛かりでもきつい。重いのは多銃身のためだけではない。この当時、ガトリング機関銃は手動であり、回転速度が一定ではなく弾詰まりを起こす原因となった。この軍特務機関謹製のガトリング機関銃は外部蒸気発動機を装備している。この外部蒸気発動機が重い。銃身の重量四〇ポンド、発動機を含めた総重量二二〇ポンド。しかし、それによって、考えられないほどの連射性能をこの機関銃は与えられた。
三〇口径、六銃身。
連射速度、最大毎分二〇〇〇発。
その銃撃を受けた者は痛みを感じるより先に粉砕される。無痛銃――そう呼ばれることになる。
「機関銃って、本気だったのか!」
ウィルソン陸軍大尉が声をあげた。
「あんたは戦争でも始めるつもりなのか、アルフォード海軍少佐! 私はあんたに説明を要求する!」
「ああ、戦争だ。そのつもりだ」
海軍少佐が言った。
「心配しなくても、ここはシズカが制圧してくれる。迅速、確実、完璧にな。あいつは特別なんだ。ただ、戦場では何があるか分からん。これは、そのための予備戦力だ」
「ぼくらだって、街中でこんなの使いたくないですよ」
ヘンリーが言った。
「だいたい、これを使う時はシズカさんがやられちゃった時だということだ。そんなのは嫌ですよ」
陸軍大尉は視線を海軍少佐とヘンリーの間に泳がし、そしてディクソン邸へと向けた。
「いったい、なにが……」
「わが大英帝国を侵略するモノ達がいる」
海軍少佐が言った。
「それらは強大でありながら、表には顔を出さない。おれたち掃除屋は日々その脅威と戦っている。陸軍大尉。あんたが手柄欲しさに上司に秘匿して行動したことが、今夜のこの事態を生んだんだぜ」
「こいつは愉快だ!」
従僕は大げさに両手をひろげている。
「たしかに時代は変わった! いかれてしまったと言ってもよろしい! こんなかわいらしいヴァンパイア狩りまで登場してしまいました!」
がしゃっ!
がしゃっ!
廊下の奥から拍車の音が聞こえてくる。
「やれやれ、あなたのはったりが旦那さまに聞こえてしまったようです。どんな屈強な戦士が来たのかとわくわくしておいでなのでしょう。でも残念。旦那さまを煩わせるまでもない」
「なあ」
と、少女が言った。
「おまえから斬っていいか。遺憾ながら、ふたりを相手にするのは面倒だ。得物があるなら使ってくれ。ヴァンパイアでも丸腰の相手を斬るのは気分がよくないからさ」
「見逃してやろうかとも思ったが」
従僕が言った。
「その生意気な口がきけなくなる程度には教育してあげよう!」
「警告はしたぞ。武器を取らなかったのはおまえの勝手だ」
閃光が走った。
「えっ」
従僕がそんな声を上げたとき、すでに剣は鞘に戻されている。
何かが飛んでいく。
従僕はそれを目で追って、そして自分の腕を見た。ない。飛んでいくのは、自分の片腕だ。従僕の肩から大量の血が噴き出した。
「わああああああ!?」
鞘から再び閃光が走る。
更に納められ、更に走る。更に、更に。更に。
「嘘だ、おれが人間なぞに斬られているうぅっ!?」
無数の斬撃が従僕に襲いかかる。
「鉄よりも固いおれの体が斬り刻まれているうぅっ!?」
そして鞘を捨て両手に持ち替えての一撃。
従僕が断末魔をあげた。
その体は黒い塵となり、ざあっと霧散した。
「今のは……」
屋敷の外にまで聞こえてきた総毛立つ悲鳴に、陸軍大尉が言った。
「シズカが一匹倒したのさ。おれたちの情報では、もう一匹いる。そして、そちらが本命だ」
海軍少佐が言った。
ジョン・アストン陸軍少尉は床に座り込んだまま動けない。
体の震えが止まらない。
斬り飛ばされ、彼の近くに転がってきた従僕の片腕が、従僕が散ったのと同時に着衣ごと消えた。なんだ。これはいったいなんなんだ。
「鉄より固いなら」
鞘を拾う少女のつぶやきが聞こえてきた。
「斬れるわけがあるか」
アストン陸軍少尉は、握り締めたままの自分の拳銃を見た。銃身がきれいに斬り落とされている。聖書の一節が無意識に口をついた。
願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように……
(民数記。新共同訳)
少女はアストン陸軍少尉を一瞥すると剣を納めた。
がしゃっ!
がしゃっ!
拍車の音が近づいてくる。
「おれは間に合わなかったのか。あれが散ったのか」
プレートアーマーに身を包み、手にはランス。
絵画の世界から抜け出してきたような騎士が姿を現した。
「あれはな、数百年をおれに仕えてくれたのだ。年々、人は誇りを失い、品を失っていく。もはや、獣に成り下がった貴様ら現代の人間にはわかるまい。このおれの嘆きが。哀しみが。怒りが」
「業務上横領」
少女が言った。
「品のいいことじゃないか」
「黙れッ!」
怒声をあげ、ランスを構え、中世の騎士が走り始めた。重いプレートアーマー姿でだ。とてつもない圧力だ。しかし少女は逃げようともしない。
「人の少女! その細い体でわが突進を受けとめるとでもいうかッ!」
兜ののぞき穴から、黄金の両眼が輝く。
「いいだろう、わが全力をもって粉砕してくるッ!」
あれっとアストン陸軍少尉は眼を疑った。
それは騎士も同じだ。
おかしい。ありえない。
少女が手を背中に回してホルスターから抜いたのは、遠近感と常識を破壊する巨大な拳銃だ。
「悪い冗談さ」
同じ拳銃を持つアルフォード海軍少佐が言ったことがある。
「こいつはな、一〇課の天才職人が時間を見つけてはコツコツ作った手作りの拳銃だ。五〇口径、全長一五インチ、重量六ポンド。五連発回転式。専用の強装弾も用意されている。史上最強、最大。今後もこれを越える拳銃など出ない。扱いようがないからだ。おれですら連続射撃は難しい。しばらく腕がしびれてマッチも摺れなくなる。そう、こいつは悪い冗談という名の拳銃なのさ」
その呆れるほど巨大な拳銃を、少女は片手で構えている。
騎士が黄金の目を剥いた。
「ひ、卑怯……」
繰り出されたランスを少女は体を反らせて避けた。少女の目の前には巨大な騎士。一歩踏み出せば銃身が触れるほどに。
ドン!
ドン、ドン、ドン、ドン!
大砲のような銃声が鳴り響いた。
五発の徹甲強装弾が極至近距離で放たれた。それはことごとくプレートアーマーを貫き、騎士の巨大な体を数フィートも弾き飛ばした。
少女はシリンダーをスイングアウトさせ薬莢を落とした。
刀の鞘を脇で抱え、次の弾丸を装填する。
「へえ」
少女が言った。
「これで散らないのか」
騎士は崩れ落ち、荒い息で少女を見上げている。
「どうやらただの小悪人というわけでもないらしい。名乗りたい名前があるのなら言ってくれ。ジェイムズ・ディクソン以外の名前だ。必ず伝えるよ」
「……」
「なんだい?」
少女は首を傾けた。
「――ほんとうに?」
ジェイムズ・ディクソン氏だったモノは咆哮した。
「無礼者ッ!」
がばと立ち上がり、兜を脱ぎ捨てプレートアーマーを剥ぎ取っていく。
「われはフルカスッ! ペイルライダー、ソロモンの七二柱フルカスであるッ!」
「ごめんよ。疑ったわけじゃないんだ。すこし驚いただけなんだ」
武装を解き、ただのケモノとなったフルカスが飛び込んでくる。巨大拳銃を背中に戻し、少女がふたたび手にしたのは日本刀だ。
「あなたにはまだ名乗っていなかったかな」
フルカスは少女に手を伸ばした。しかしその手が少女を掴むことはなかった。
少女の姿がフルカスの視界から消えた。
その時にはすでに、横に回り込んだ少女が剣を跳ね上げ、伸ばされたフルカスの腕を両断している。
「私は奴奈川静」
フルカスの黄金の瞳が少女へと動いた。
この世で最後にフルカスが見たのは、上段から振り下ろされる白刃。
「奴奈川斎姫、静だ」
ソロモンの七二柱フルカスもまた、従僕がそうであったように黒い塵となって散った。
※機関銃「ペインレスガン」のスペックは、GE M134とほぼ同一。
※巨大銃「悪い冗談」のスペックは、S&W M500とほぼ同一。