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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
19/77

倫敦(前編)

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


「シズカ、出動要請です」

「はい、ハウスマザー」

「馬車が玄関に」

「はい、ハウスマザー」

 素早く袴をまとい(しずか)が手にしたのは、愛刀の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)石長姫(イワナガヒメ)、そして”悪い冗談”という名の巨大拳銃が納められたチェロケースだ。

「おはよう、シズカ」

「おはよう、レベッカ」

 広いとはいえない階段で、レベッカ・セイヤーズが降りてくる静を振り返って見上げている。

 押しのけるわけにもいかない。

 静はひょいと手摺りに飛び乗って横座りでレベッカとすれ違い、そのまま階段を滑り降りていった。

「あらら、お姫さま!」

 手摺りから飛び降りて玄関のドアを開けると、朝の冴えた風が吹き込んでくる。停められていた馬車の扉が開き、静は馬車に乗り込んだ。

「お姫さまったら、今日も学校はサボり?」

 異国からやってきたお姫さまは、音楽院をサボることが多いのだ。

 授業中に抜け出すことまである。

 無断欠席や遅刻は二回で退学になる厳しい学校なのだ。それなのに退学どころか叱られた事もないようだ。そして彼女を連れて行く馬車はいつも立派なものなのだ。

「無断欠席ではありません」

 いつの間にか背後にハウスマザーがそびえている。

「シズカには、よんどころない事情があるのです」

 この威厳の塊のような長身メガネ美女に言われてしまえば、いつもならそれで終わりだ。でも、たまには言い返したくもなる。

「どのような事情ですか」

 ぴくり。

 と、ハウスマザーの頬が動いた。

「国家間の」

 ぽかんとしているレベッカの横を抜け、ハウスマザーは階段を降りていった。


 シズカさんって何者なんですかーー!


 いつも通りの細くも厳格な背中を見せつつ、「アドリブが利かなすぎる」「しかもぎりぎりかすってしまっている」「研鑽しなくては」と、ひとり反省会を開いているハウスマザーさんである。



 なんて人が多いんだ。

 馬車の窓から外を眺め、静は思う。

 ドドドド!

 赤毛のだらしないあんちゃんが、おっきな機械でおっきな音を立てて馬車の横を走り抜けていく。倫敦(ロンドン)というのはなんとも大きくて賑やかで、なにもかもが古く、なにもかもが新しいおかしな街だ。

「このところ、掃除が多いね」

 窓に顔を向けたまま静が言った。

「すまん」

 ロジャー・アルフォード海軍少佐が言った。

「やはり、ソロモンの七二柱フルカスの掃除のインパクトが大きかったのだろう。あれ以来、怪しい人物の入国が続いている。そして、どうやらその後にも別の七二柱がロンドンで散ったらしい」

「私は知らないよ?」

「おれも知らん。情報を摺り合わせてみると、七二柱のグレモリーらしい」

「七二柱がそんなに大騒ぎをする大物なら、なんでそんなに簡単に散ってしまうの」

「おまえが言うなよ」

 少佐は渋面を浮かべている。

「本来はめったにないことなんだ。数百年で数例が記録されているだけだ。それが誰かさんによって起きてしまって、しかもすぐにまたもう一例だ。ロンドンは、彼らによってさらに賑やかになってしまうかもしれない」

「ふうん」

「ヌナガワ・シズカの名前は知られている。おまえのご先祖さまのほうだがな。フルカスを斃したのはヌナガワ・シズカだという話はすでに某所から出ている。二件目のほうも、おまえがやったということになるかもな」

「こう忙しいんじゃ、私、退学になっちゃう」

「それは政府としてちゃんと交渉してますよ。安心してください」

 少佐の隣に座るヘンリーが言った。

「やめるか?」

 少佐が言った。

「どっちを? 掃除を? 音楽院を?」

「休学という手もある。落ち着いたらまた復学して――」

 少佐は途中で言葉を止めた。

 静がこの世の終わりのような顔をしていたのだ。

「やっぱり、そうしなきゃいけないの……?」

「いや、そのだな……おまえも大変だろうと……」

「友達もできて、ミス・チェンバースは厳しいけどすごくいい人で、チェロも楽しくなってきて、今度の定期演奏会じゃ、友達とカルテットを組むことになったんだ。でも、やっぱりだめなの? やめなきゃいけないの……?」

「いや、おまえが今のまま続けたいというのなら、おれたちは全面的にバックアップする。英国政府もだ。なあ、ヘンリー」

「そうですよ。欠席書類の作成はぼくにまかせてください。シズカさんを退学になんかさせるもんですか」

 この世の終わりのようだった静の顔が、ぱあっと輝く笑顔へと変わった。


「ありがとうっ!」


 ずっきゅ~~ん!

 ずっきゅ~~ん!


 笑顔に撃ち抜かれてしまった、いい年こいたおっさん二人である。

「やばい。くそ、あのおばさんになった気分だぜ……」

「掃除の時にはあんなに怖いのに、無邪気なんだものなあ……」

 きょとんとしている静だ。

「ふたりとも、どうしたの?」

「なんでもない」

「なんでもない」

 馬車は行く。



 ドドドド!

 赤毛のあんちゃん――アスタロトの巨大な蒸気二輪は、爆音と大量の蒸気をばらまいて馬車と馬車の間をすり抜けて走っている。

「ヌナガワ・シズカはどこだあっ!」

 張り上げた声も爆音にかき消されてしまうだけだ。

 ドドドド!

 ドドドド!



 蒸気二輪はロンドン・ヴィクトリア駅の雑踏の前を駆けぬけていった。

 みな目を丸めている。

 駅から出てきたその二人組も足を止めた。

「なんだ、あの妙ちくりんな機械は! ロンドンは相変わらず愉快だな!」

 大声を上げ、豪快に笑ったのはライオンのたてがみのようなボサボサ頭の筋骨隆々の大男だ。なぜ筋骨隆々だとわかるのかというと、彼が上半身裸だからだ。そこに王侯貴族のようなファーつきのマントだけを羽織っている。

「ねえ、今のやかましい機械に乗ってたの、ヴァンパイアだったよね?」

 大男の脇に立つのは、こちらは貧相な男だ。

 前髪が長く、それが片方の目まで覆っている。

「そんなわけがあるか! ヴァンパイアに目立ちたがりの馬鹿はおらん!」

 大男は大声で応え、がははは!と笑った。

 貧相な男はあきれた顔で大男を見上げた。

 彼こそ目立つ。だれもが見ないようにしてチラチラと上半身裸の大男を見ている。ヘタすればというか紛れもない変態にしか見えない。そもそもそんな台詞を大声で言わないでほしい。

「寒くないの、オリヴァー」

 冬が迫るロンドンなのだ。

「愚かなことを言うな、ピップ! この七二柱獅子王プルソンの魂は熱い! なにが寒いことあろうか!」

 だから大声で言わないで欲しい。

「さぶイボ立ってるよ、オリヴァー」

「がははは!」

「どこかお店に入ろうよ。久々にロンドンの朝食を食べたいね。暖房の効いたお店でさ」

「おお、それがいい。寒いからじゃないぞ、おれはコーヒーが飲みたいのだ。舌が火傷するようなコーヒーがな! がははは!」

 大男はマントを翻して歩きはじめた。

 貧相な男は苦笑いを浮かべて溜息をひとつつき、その貧相な体からは想像もつかない腕力で幾つもの大きな荷物を持ち上げ、あとを追った。



 静が音楽院の廊下を走っている。

 肩にかけているのはビンテージチェロが納められたほうのチェロケースだ。袴姿のままとはいえ、全力疾走するのは淑女として相応しくない。

「相手がヴァンパイアなのは助かる。返り血を浴びてしまっても、体が散るのと一緒に消えてしまうから」

 考えていることも淑女として相応しくない。

 人影が向こうに見え、それが校舎の管理人ミス・オコナーだと気づいた静は走るのを止めた。ゆっくりとしとやかにミス・オコナーとすれ違い、少しの後にまたどっと走り始めた。ミス・オコナーは能面のように変化しない顔で振り返り、静の全力疾走を見ている。

「遅れてごめんなさいっ!」

 カルテット仲間と約束したレッスン室に静は飛び込んだ。

 三人の少女がすでに楽器の調整をしている。

「驚いた。今日は来ないのかと思った、シズカ」

 ヴァイオリンを手にレベッカ・セイヤーズが言った。

「なんとか――用事が終わったので――約束の時間には――間に合うかなと――思って」

 全力疾走をしてきた静は両膝に手をかけ、ぜいぜいと荒い息だ。

「国家間の問題は無事解決いたしまして?」

「?」

 まあいいわと、レベッカは軽やかに笑った。

「お姫さまも来たことだし、はじめましょうか。どきっ!美少女だけのカルテット!ポロリはないよ! 今度の定期演奏会は、私たちが話題を独り占めしてやるのよ!」

「うんっ!」

 笑顔の静の後で、レッスン室のドアが開け放たれた。

「ヌナガワ・シズカ」

 立っていたのは、相変わらず能面のミス・オコナーだ。

「ミス・オコナー! ごめんなさい、私、廊下を走ってしまいました!」

「そのことへのお小言はあとで。女王陛下の公務のようです、ヌナガワ・シズカ」

 涙目の静が音楽院の廊下を全力疾走していく。


 国家間の事情のあとは、女王陛下の公務ですか……!?

 あの異国のお姫さま、いったい何者なの……!?


 レベッカ・セイヤーズ嬢の好奇心が安寧を迎えることはない。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。


ゲオルク・フォン・アウエルシュタット

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。


エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット

ゲオルクの妹。十五歳で死亡。


チャールズ・リッジウッド

イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。


オーレリア・リッジウッド

チャールズの妹。


アラン・カペル

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。


デハーイィ

聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。


レオンハルト・フォン・アウエルシュタット

黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。


ヨハン・ペッフェンハウゼル

アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。


シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク

ヴァンパイア名ダンタリオン。

美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。


アスタロト

ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。


ステュクスとアケロン

アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。


ダーネ・ステラ

発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。


アンナマリア・ディ・フォンターナ

ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。

白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。

使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。


ラプラスの魔

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。


ファンタズマ

ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。



※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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