ジュゼッペ
仏に逢えば仏を殺せという。
祖に逢えば祖を殺せという。
私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。
「オオオオオオオオ」
「オオオオオオオオ」
夜のカステル・サントカヴァリエーレにケモノの声が響いている。
「団長。どうやらこちらも失敗したのでは」
ファンタズマが言った。
「一向に落ち着く気配がありません」
ラプラスの魔も言った。
「あれは私のスードエピグラファである!」
白の魔女が言った。
「今は初めて手に入れた体に昂ぶっていても、必ずや信仰を思いだすだろう!」
これ以上はなにも言えない。
聖騎士団大幹部の二人は口を閉じ、あとを追うだけだ。
「聖ゲオルギウス十字軍のイニシエーションに、強力なヴァンパイアを使うことはない。そんなことをしたら人ごときの精神力じゃ追い出せない」
レオンハルト・フォン・アウエルシュタットは片手でシガレットケースから器用に一本取り出すと、こちらも片手でマッチを擦って紙巻きタバコに火をつけた。
レオンハルトを警戒しながらも、ゲオルクはケモノの存在が気になる。
そもそも、あの声は隣の懺悔の部屋から聞こえてきているようなのだ。
「普通は偽典の中の偽典を使うんだ。ところが白の魔女は自分の直接のスードエピグラファをおまえに送り込んできた。焦ったぜ。ヴァンパイアは人と一体化するまでは実態として存在しない。だから、おれにはどうしようもなかった。あのままおまえがヴァンパイアになってしまっていたら、殺すしかなかったかもしれん。せっかく紹介された美人さんなのに、顔も拝めないままバイバイされちまうところだった」
「なんです、その美人って」
「おまえのボディガードの報酬」
ゲオルクは険しい顔をさらに歪めた。
「怒るなよ、ただの一般的な親心だろ?」
「ぼくはまだ人間なのですね?」
「そうだ」
「あなたははじめましてと言ったが、ぼくがまだ子供の頃にぼくたちは会っている。その時のあなたは人にしか見えなかった。なのに今、ぼくにはあなたがヴァンパイアだとわかるんだ」
「それが真実の眼だ。おめでとう、ゲオルク・フォン・アウエルシュタット。まだ入団式の前だが、おまえは聖ゲオルギウス十字軍の騎士になったんだ」
おめでとう、なのかな。
チリっと、ゲオルクは思った。
「ジュゼッペか! ゲオルクか!」
聖ゲオルギウス十字軍の騎士、アラン・カペルはその小柄な体で巨大ライフルグングニルを腰だめに構えている。巨漢の騎士デハーイィもだ。ふたりが狙いをつけているのは、幾つも並ぶ扉のうちのふたつ。
「ばっかやろう、あれだけ言ったのにヴァンパイアに喰われちまいやがって!」
あっとアランは振り返った。
大幹部二人を引き連れて歩いてくるのは白の魔女だ。
長く白い髪。まゆ毛もまつ毛も白く、そして身を包んでいるのは純白の聖騎士団の制服だ。ただ酷薄な瞳だけが青く、紅を塗った唇だけが赤い。
「聖ゲオルギウスの騎士、アラン・カペル。デハーイィ。そこにいるのは、わが聖騎士団の騎士である! 攻撃しないでいただこう!」
あっ!と、アラン・カペルは目を剥いた。
やりやがったな、白の魔女!
「どうやってこの部屋に入ってきたんです」
唯一の出入り口である分厚い扉が開かれた気配はない。
そもそもその扉の向こうには、グングニルを手にしたアラン・カペルとデハーイィが居座っているはずなのだ。
「懺悔の部屋で過ごす入団希望者が一晩中なにをしているのか、団員にして大丈夫なのか、意地悪に盗み見できるようになっているのさ。イニシエーションというなら、それが昔のイニシエーションだったわけだ。おれの古い相棒の黒の魔女ってのが聖騎士団でね。この城の仕掛けはいろいろと教えて貰っている」
「子供の頃は工房でよく遊んでいたんです。あなたはヌナガワ・シズカから相手にされていなかったとペッフェンハウゼルが言ってましたよ」
「……」
「彼女に会うために勝手に忍び込んで覚えたんじゃないですか?」
「おまえ、若いのに人の心をえぐるね! ていうか、ペッフェンハウゼルくんも子供になにを吹き込んでいるのですかね!」
それよりな、とレオンハルトが言った。
「おまえ、隅っこに隠れてろ」
「なんです?」
「どうやら、お隣さんがそろそろまずいようだ」
どおん!
扉が吹き飛んだ。
のそりと出てきたのは、両眼を金色に輝かせているジュゼッペ・ピラッツィーニだったモノだ。アランとデハーイィがグングニルの銃口を向けた。
「やめろ、十字軍の騎士!」
「黙ってろ、白の魔女!」
「私は修道騎士だ! その呼び名は好まない!」
ドン!
ドン!
巨砲グングニルが火を噴いた。しかし虚しく吹き飛んだのは壁だ。ジュゼッペはすでに十字軍のふたりの騎士に迫っている。ファンタズマとラプラスの魔が飛び出した。
「すげえ、おれは強い! ファンタズマよりラプラスの魔よりおれが強い! 白の魔女より強い! これが人の体! これがおれの体!」
ジュゼッペが振りかぶった。
聖騎士団の双璧、ファンタズマとラプラスの魔の拳が同時にジュゼッペに叩きこまれ、ジュゼッペは吹き飛んだ。うなり声をあげて立ち上がったジュゼッペの体を、今度は何発もの銃弾が貫いた。
自動拳銃ヴァルキューレを両手に構えるのはレオンハルトだ。
「大口がすぎるぜ、坊や。ファンタズマやラプラスの魔は強い。なあ、おふたりさん」
「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット!」
「なぜおまえがカステル・サントカヴァリエーレにいる!」
ファンタズマとラプラスの魔の怒声には構わず、レオンハルトは撃ち尽くした弾倉を落として再装填した。ジュゼッペは血を吐き、しかしうなり声を上げレオンハルトへと体を向けた。
「あら、いやだ。こいつ、ほんとに強いぜ。白の魔女、おまえ、どんだけこいつに自分のヴァンパイアを裂いたんですか」
「どうにもならないのですか」
ゲオルクの声が聞こえてきた。
「彼はもう救えないのですか」
「どうやら、もう人間の意識がない。あきらめろ」
おやっとレオンハルトはそれに気づいた。ジュゼッペの眼から涙が溢れている。それでレオンハルトは撃つタイミングを失ってしまった。ジュゼッペは腕を振り回した。レオンハルトは体を投げ出してそれを避けた。
「殺してくれ……!」
暴れながらジュゼッペが泣いている。
「おれは騎士になりたかったんだ……ママにそう言って家を出たんだ……頼む、殺してくれ……!」
ジュゼッペの体が宙を舞った。
ゲオルクがジュゼッペの手を掴み、その大きな体を投げ飛ばしたのだ。腕力ではない。手首と肘と肩を極め、それから逃れようとする相手の本能的な動きを利用したのである。
ジュゼッペは床にたたきつけられ、血を噴き出した。
「だめなのか、ジュゼッペ!」
ゲオルクが言った。
「お願いだ、ゲオルク。ぼくを君の同期として死なせてくれ……!」
立ち上がったジュゼッペはゲオルクに襲いかかってきた。ゲオルクは受け流し、その瞬間にまた手首を取り、更にジュゼッペを投げた。
「もういい、ゲオルク」
レオンハルトが言った。
「楽にしてやれ」
レオンハルトはリロードしたヴァルキューレをゲオルクに投げた。
受け取ったのを確認してもう一挺。
「ちくしょう、思い通りに体が動いていれば、こんなやつらなんか……!」
「許さないぞ、これはぼくの体だ……!」
ジュゼッペは床の上でのたうっている。
「思い上がるな、人間……! おまえはただの入れ物だ……! ファンタズマを殺し、ラプラスの魔を殺し、白の魔女を殺し、おれが聖騎士団の団長になるのだ……! 邪魔をするな、人間……!」
「殺してくれ、ゲオルク……! ぼくの意識があるうちにぼくを殺してくれ、頼むよ……!」
ゲオルクは両手のヴァルキューレをジュゼッペに向けた。
「ごめんよ……」
「ありがとう……」
最後にジュゼッペ・ピラッツィーニは安らかに笑った。
ダン!
ダン!
ダン! ダン!
ヴァルキューレを撃ち尽くした頃、ジュゼッペは塵となって散った。
「おまえらは、なんでか知らないが日本くんだりまで出かけていって、そこで主力をごっそり失ったらしいな」
アラン・カペルが言った。
白の魔女は表情を崩さない。しかしその薄い唇が震えている。
「おおかた、強そうなジュゼッペやゲオルクの体を見て聖騎士団に欲しくなったんだろう。だがこれは明確な協定違反だ。使徒座に抗議は入れておくぜ。なあ、白の魔女――」
「その呼び方を私は好まない」
「ちゃんと見たか。あんたがしでかしたことの結果を。忘れるんじゃねえぞ」
聖騎士団団長ウェパルのアンナマリア・ディ・フォンティーナは、その純白のマントを翻して背を向けた。去っていく白の魔女を追う前に、ファンタズマとラプラスの魔が皆に向かって頭を下げた。
ああ、あいつらは反対したんだな。
アランは思った。
「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット」
ファンタズマが言った。
「おまえを見たなら、おれはおまえを八つ裂きにしなければ収まらん。だが、今、おれはわきまえるべきだ。ただ確認だけさせてくれ。フルカスにグレモリーを斃したのはおまえか」
「おれじゃない」
「ヌナガワ・シズカがロンドンにいるらしい。それを知っているか」
紙巻きタバコをくわえた口で、レオンハルトがニイッと笑った。
「今、知った」
中折れ帽の広い鍔の下でレオンハルトの眼が黄金色に輝いている。それを見ることができるのは横に立つゲオルクだけだ。
ファンタズマは背を向け、白の魔女を追った。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。
奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。
ロジャー・アルフォード
英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。
ヘンリー・ローレンス
アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。
メアリ・マンスフィールド
ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。
英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。
ハワード
レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。
レベッカ・セイヤーズ
静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。
ハウスマザー
静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。
ミス・チェンバース
音楽院の静の担当教授。
ミス・オコナー
音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。
ゲオルク・フォン・アウエルシュタット
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。
エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット
ゲオルクの妹。十五歳で死亡。
チャールズ・リッジウッド
イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。
オーレリア・リッジウッド
チャールズの妹。
アラン・カペル
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。
デハーイィ
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。
ヨハン・ペッフェンハウゼル
アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
ヴァンパイア名ダンタリオン。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
アスタロト
ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。
シズカに敗れてから悲惨だったが、チャールズ・リッジウッドと結びつき、復活。
ステュクスとアケロン
アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。
ダーネ・ステラ
発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。
アンナマリア・ディ・フォンターナ
ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。
白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。
使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。
ラプラスの魔
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。
ファンタズマ
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。
※悪い冗談
静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。
※ヴァルキューレ
レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。
※グングニル
聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。
※木花咲耶姫
コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫
イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫
コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン
正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ
外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ
偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。




