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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
15/77

ゲオルク

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 ミュンヘン駅を青年が歩いている。

 長身。しかし細くはない。それでいて筋肉質に見えないのは着痩せするタイプだろうか。女性のみならず、男性から見てもはっとするようなハンサムでもある。

「やっほー、レオンハルト! レーオンハールトーー!」

 華やかな淑女がぴょんぴょんとはねて手を振っている。

「どうしたの、いつになく決まったかっこしちゃって! へえ、無精ヒゲそって髪を整えれば、やっぱりあんたなかなかのハンサムよ、レオンハルト・フォン・アウエルシュタット!」

「……」

「なに?」

「……」

「やだ。シャルロッテ・ゾフィーさんを忘れちゃった? 日本旅行以来だったかしら」

「ぼくをレオンハルト・フォン・アウエルシュタットと呼ぶお嬢さん」

 淑女をまっすぐに見つめ、青年が言った。

「あなたは、今度ぼくを見たときにはぼくを避けるべきだ。その時にはぼくは真実の眼を手にしているのだから」

「……」

「失礼」

 ぽかんとしている淑女を残し、青年は歩いていった。

「えっ、今の無闇にかっこいいの誰?」

 その淑女の手を引き、物陰に誘い込んだ男がいる。

「レオンハルト・フォン・アウエルシュタット!」

「久しぶりだな、シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク」

「そのくそダサい鍔の長い中折れ帽に、そのくそダサいロングコートに、その薄汚い無精ヒゲ!」

「うるせえな。クソ長い名前だろうが、おまえも」

「そしてその死んだ魚のような濁った眼! そうよ、あなたがレオンハルト・フォン・アウエルシュタットよ! あんなかっこいいわけがないんだわ!」

「だからうるせえよ。あのな、あの坊やは人間だったろ。顔が似てりゃそんなことすらうっちゃれるのかよ。おまえ一応、ソロモンの七二柱だろ」

「つまり――」

「なんだ」

「あの子、あなたの子孫なわけ?」

 ヴァンパイア殺しのレオンハルトは苦い顔を浮かべた。

「そうだ」



「やあ、バスティアン。さらに禿げたか?」

 ドアの狭い隙間からレオンハルトはにっこりと笑った。

 この屋敷の執事が仏頂面なのは今に始まったことじゃない。しかし、呼び出されて久々に顔を出してみれば、今日の彼はさらに不機嫌なように見える。

「なあ、彼は頭髪に不自由しているのを気にしているのか?」

 執事に案内されたのは当主の書斎だ。

 アウエルシュタット伯爵。

 何代目なのか、もうレオンハルトは覚えていない。

「そうだとしたら、おれはもうその話題を出すのをやめようと思うんだ」

「申し訳ないが、レオンハルト・フォン・アウエルシュタット」

 アウエルシュタット伯爵が言った。

「今の私は、あなたの軽口に付き合っていられる気分ではない」

 おいおい、呼び出しておいてそれか。

 おれはあんたのご先祖さまだよ? 二代アウエルシュタット伯爵さまだよ? そうは思うが、確かにしょうがない。ヴァンパイアは成長するが老化しない。ずっと同じ生体年齢を維持するのではなく、常に新陳代謝を行って最上の肉体を維持する。つまりレオンハルトは、見た目は若者なのだ。無精ヒゲはそれを嫌って生やしているともいえる。ただの無精でもあるのだけれど。

 とにかく現伯爵からすれば、この二代目伯爵は息子ほどの歳の若造にしか見えないだろう。

 それに。

「娘さん、亡くなったんだってな」

 レオンハルトが言った。

「まだ若かったんだろう。十五歳だっけ、お悔やみ申し上げるよ」

「……」

 伯爵は沈痛に目を伏せている。

「娘だけではない。私は息子まで失おうとしている」


 三〇〇年前。

 若きアウエルシュタット伯爵レオンハルト・フォン・アウエルシュタットはヴァンパイアになった。ソロモンの七二柱、グラキア・ラボラスに。

 守りたい女がいる。

 若き伯爵のただそれだけの理由でアウエルシュタット家は表舞台から消え、ヴァチカンからは破門状態にある。裏舞台においては、ヴァチカンもヴィッテルスバッハ家も、黒伯爵レオンハルトとその盟友からくりペッフェンハウゼルを便利に過酷に利用していたのにも関わらずだ。

 その見返りは、ただ伯爵家の存続。


「息子は娘の終油の秘蹟を教会に懇願した。認められなかった。せめて教会の墓地に埋葬して欲しいと言う息子に、教会は条件を出した」

「……」

「聖ゲオルギウス十字軍への参加だ」

 レオンハルトは眼を細めた。

「あんた、それを許したのかい」

「許すもなにも!」

 現伯爵は拳で椅子の肘置きを叩いた。

「息子がそれを受け入れ、教会がそう決めたのだ! ()()()()()()()()()()の私になにができる!」

 ヴァンパイア狩りのときにもめったにそうはならないレオンハルトの両眼が黄金色を帯び始めている。

 聖ゲオルギウス十字軍への参加。

 それは真実の眼を手に入れるということだ。

 そしてそれは、一時的にせよヴァンパイアを受け入れるということだ。

 全身を完全に支配される前にヴァンパイアを追い出す。はじめに支配される神経系、特に眼に彼らの影響が残り、彼らは人のままヴァンパイアを区別できるようになる。

「おれはさ、後悔はしていないんだ」

 レオンハルトが言った。

「人を捨ててでも守りたい女がいた。結局守りきれなかったけどさ、後悔することはそれだけなんだ。ヴァンパイアになったことを後悔したことはないんだ」

 「だけど」と、レオンハルトは、くしゃっと頭をかいた。

「悪かったよ。今に至っても、おれはあんたたちに迷惑をかけているらしい。それはすまないと思っている」



「それは教会がひどいんじゃない?」

 シャルロッテ・ゾフィーが言った。

「どっちが悪いかじゃない。結果として、伯爵の息子は聖ゲオルギウス十字軍への道を選んだ」

「そういえば真実の眼がって言ってたわね。怖ろしいほどあなたとよく似てた」

「もうほとんどおれの血なんて混ざってないはずなんだがな」

「それであなたがここにいるってことは?」

「伯爵に、息子を守って欲しいと頼まれた」

「聖ゲオルギウス十字軍のグングニルは怖いわよ。あんたでも一撃で散ってしまうわよ」

「長期にわたる資金援助も約束してくれた」

「結局そこか」

 シャルロッテ・ゾフィーは、「さて!」と背筋を伸ばし指を鳴らした。

「私、旅行から帰ってきたところなのよ。はやくおうちに帰って、あ~やっぱり我が家が一番ね!って言わなくっちゃ。旅行は、その一言まで終わらないのです。じゃあね、レオンハルト。そのうちまた遊びましょう」

 ジャーン!

 ジャーン!

 どこからともなく突然現れた楽隊に駅を往く人々は足を止めている。

 楽団が演奏する景気のいい行進曲とばらまかれる紙吹雪の中を、ソロモンの七二柱アムドゥスキアスのシャルロッテ・ゾフィーが歩いていった。

「相変わらず、はた迷惑なやつだ」

 紙巻きタバコを器用に片手で取り出してくわえ、レオンハルトがつぶやいた。



「お兄さま、泣かないで。私、私がかわいそうな子なのだと思ってしまうわ」

 彼女ははじめから二〇歳まで生きることはないだろうと言われていた。それなのに彼女は自分の人生を愛していた。世のすべてを愛していた。

 かわいいエリーゼ。ぼくの妹。

 犠牲ではないんだ。

 ぼくは君の為になら、なんでもしてあげたいんだ。



「おまえが若きアウエルシュタットかい」

 アドリア海の孤島の港に上陸した彼に話しかけてきた少年がいる。

 くるっと巻き毛の、かわいらしい顔立ちの小柄な少年だ。

「君は?」

「おれはアラン・カペル。聖ゲオルギウス十字軍の騎士だ。はじめに言っておくが、おれを子供扱いしたらぶん殴る。身長のことを言ってもぶん殴る。おれはたぶんおまえより年上だ。更に、おれはおまえの導師を務めることになっている。おれはヴァンパイア殺しのレオンハルトを見た事がある。おまえ、そっくりだな、すぐにわかったぜ」

 声変わりもしていない声でまくし立てられ、彼は困った。

 十八のぼくより年上って、ほんとうに?とはうかつに口にできそうにもない流れだ。

「ふうん」

 アラン・カペルはにやりと笑った。

「ヴァンパイア殺しのレオンハルトの名前を出されても表情を変えなかったな。おまえ、悪くないよ。馬には乗れるか」

 それどころじゃなかっただけなのだが。

「乗れる――乗れます」

「よし、ついて来い。城に案内してやる。もっとも案内もくそも目の前にでかでかとそびえているがな」

 海に張り出すようにそびえる城壁。

 オスマントルコの襲撃も防いだという堅牢な城だ。

「ようこそ、カステル・サントカヴァリ(聖騎士城)エーレへ。ゲオルク・フォン・アウエルシュタット」

 聖騎士団、そして聖ゲオルギウス十字軍の本部。


 聖ゲオルギウス――聖ゲオルク。あなたと同じ名前を持つぼくが来ました。どうかお導きを。


※ゲオルク:英語でジョージ、フランス語でジョルジュ。ラテン語でゲオルギウス。竜殺しの聖人の名前である。

※終油の秘蹟:臨終の際に神父が額と手に油を塗る儀式。現在は病者の塗油となり、臨終の時以外でも行われる。たしかジッドの『狭き門』で詳しく書かれていた(と思う)。(追記)『田園交響楽』のようでした。がはは。しかしあれはカトリックのお話ではなかった記憶が。あれれ?


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。



※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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