表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
14/77

ヌナガワ・シズカ

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 


 荒んだ眼が、その少女が人斬りであることを強烈に主張していた。



 ロジャー・アルフォード海軍少佐が日本から連れてきたサムライ少女。

 着ている民族衣装は豪華だ。装飾の精緻さ華やかさだけではない。生地も最上級の絹だ。立ち居振る舞いも育ちの良さを語っている。器量もいい。

 しかし。

 レディ・マンスフィールドは、こんな鈍い光を眼に宿す男たちを見て来た。この子は確かに人を斬ってきたらしい。



 世界の東の果ての国で。



 その国で史上最大といわれる内戦があった。

 ロジャー・アルフォード海軍少佐の報告によると、この少女はその内戦を戦い、ヴァンパイア同士の争いに巻き込まれ、ヴァンパイア相手に戦ったのだという。近接格闘で、たったひとりで、あのヴァチカンのヴァンパイア聖騎士団を相手に圧倒したのだという!

 日本人は小柄だと聞くが、ヌナガワ・シズカはそうでもない。

 それでも細い。

 しかもアルフォード海軍少佐によると彼女はただの人間だというのだ。にわかには信じがたい。しかし、海を渡ってきた極東のヴァンパイアハンター、ヌナガワ・シズカの実力を知る機会は思わぬ形で訪れた。

「うわあああっ!」

 夜のロンドン郊外に悲鳴が響いた。

「くそ、いつの間に!」

「失敗! ”掃除”は失敗!」

 実際の”掃除”をヌナガワ・シズカに観戦させた夜。

 アクシデントが起きた。

 軍特務機関六課掃除屋の掃除方法は、ヴァチカンの対ヴァンパイア組織聖ゲオルギウス十字軍と同じ狙撃だ。これがもっとも安全で確実なのだ。しかし、当然ヴァンパイア側もそれはわかっている。時にはいるのだ。危険に敏感な者が。狙撃手を三箇所に配置してヴァンパイアを狙ったのだが、木の陰に姿を消したヴァンパイアは、そのうちのひとつの狙撃ポイントに姿を現したのだ。

 銃声が鳴り響く。

 サブウエポンの拳銃では、時には人間を止めるにも不足だ。ましてや、眼を黄金に輝かせるほど昂ぶっているヴァンパイア相手では。狩猟小屋の窓から双眼鏡で見ていたレディ・マンスフィールドは唇を噛んだ。

 撤退戦だ。

 格闘する相手に無謀な狙撃を行い、他の狙撃手の存在まで教えて危険にさらすわけにはいかない。アルフォード海軍少佐は有能だ。最低限の犠牲でおさえてくれるだろう。

 くそ!

 ヌナガワ・シズカに私たちのやり方を見せるためだけの、楽な掃除であったはずなのに!

「――?」

 となりで同じように双眼鏡を覗いていたはずの、そのヌナガワ・シズカがいない。

「レディ」

 レディの護衛として配置されていた三人のエージェントのひとりが、双眼鏡を手に促した。ヌナガワ・シズカが報告通りの戦歴をもつなら、彼女のヴァンパイアも疑うしかない。そのための護衛だ。

 レディ・マンスフィールドは双眼鏡を眼に戻した。


 怪我をした狙撃手。拳銃を撃ち尽くし、絶望が広がる。

 闇の中、黄金に光るふたつの眼。

 ヴァンパイアがのけぞった。ヴァンパイアの片腕がない。斬りとばされたのだ。双眼鏡の視野の中で異国のドレスが舞う。


 あそこまで二五〇ヤードはある。あのひらひらとした異国のドレスで、どうやってこれほどに速く走れたというのだ。いや、彼女はヴァンパイアが気づいたことを察知していたのだ。そして、とうに行動を起こしていたのだ。

 閃光が走った。

 ヴァンパイアが散った。

「確認しなさい!」

 レディが言った。

「ヌナガワ・シズカの目の色を!」

 しかしレディにもわかっていた。ヌナガワ・シズカの眼は人のままだ。


 ――ヌナガワ・シズカ!


 アルフォード海軍少佐はとんでもないダイヤモンドを拾ってきてくれた。



 しかも、やだっ!

 あの子ったら、めっちゃかわいいんだもんっ!



「どうしてそんな危険なことをしたんです!」

 シズカが抗議している。

「なぜ私を呼ばなかったのです!」

 ああ、やっぱりかわいい。

 ソロモンの七二柱グレモリーを機関銃で吹き飛ばした夜。一緒にロンドンでの宿であるホテルのスイートルームも吹き飛ばしてしまい、(しずか)のアパートに泊めてもらいに来たレディである。

「ん、んん~…」

 たっぷりとシズカ成分を堪能してから、レディが言った。

「今日の相手はね、私の政敵なの。その掃除にあなたたちの力を借りたら、あなたたちもすっきりしないでしょう」

「そんなこと!」

 実のところ、レディも吹き飛ばした相手がソロモンの七二柱だとは知らない。だから呑気でいられる。知っていたらさすがに静や掃除屋のバックアップを断りはしなかったろう。

「とにかく私もハワードも無事。よかった、よかった。今はハワードが新しく私の家になるホテルを探してくれているわ。彼、従僕や執事といった界隈で顔が広いのよ。そのうちどこかの支配人と話をつけてくれるでしょう。あら、あらあら。シズカ、どうしたの」

 静が泣いている。

 涙をボロボロと落として静が泣いている。

「危険なことはもうしないで……」

 静が言った。

「私はひとりぼっちなんです。みんな私を置いていってしまって、たったひとりになってしまって、私はひとりでロンドンに渡ってきたんです。今ここでレディやロジャーやヘンリーがいなくなってしまったら、また私はひとりなんです……」

 レディは静を抱きしめた。

 静は歯を食いしばって泣いている。声を上げないように泣いている。

 馬鹿な子。レディは思った。

 この子は、まだこんな泣き方をするのね。



 ヌナガワ・シズカを正式に掃除屋の協力者として迎え入れることになって、問題はふたつあった。

 静がその目立つ民族衣装を脱ごうとしないこと。

 そして日本刀だ。

 民族衣装のほうはしょうがない。幸い、万博のおかげで好事家の間にキモノをはじめとするジャパニズムブームがある。不審人物として突然逮捕されるようなことはないだろう。

 日本刀の方は定番として楽器ケースを用意した。

 チェロケースだ。

 これなら二差しある静の愛刀の両方を納めることができる。後に軍特務機関一〇課に日本刀用のケースと、それと見分けがつかない本物のチェロが納められるケースのふたつを作らせたが、この時にはただ静への提案として見せただけだ。静は納められているマンスフィールド家所蔵のビンテージチェロには目もくれず、担ぎ心地や刀との大きさの比較をしただけだった。

 ちなみにそのビンテージチェロはプレゼントされ、今は静の愛器となっている。また、ケースは改造が進められ、片面内部に鉄板が貼られ巨大拳銃悪い冗談も納められるようになっている。チェロ用のケースにも脇差しが仕込まれている。

 どうやら東洋の不機嫌な姫さまは納得してくれたらしい。

 レディは戯れにチェロの演奏を披露した。

 レディはもともとは音楽家になるつもりだった。武門を守りたいという父と気概のない弟のために、ストラトフォード地方の条例まで変えてまで一時的にマンスフィールド家を継いでいるだけだ。

 バッハのチェロ練習曲一番。

 ピアノとヴァイオリンが専門のレディでも、比較的易しいこの曲だけは楽譜を見なくても弾ける。相変わらず無愛想にしていたヌナガワ・シズカだったが、チェロの音が響き始めるとその表情を劇変させた。そう、たった今のように涙を落とし始めたのだ。

 大声を上げるのかと思った。

 泣き叫ぶのかと思った。

 しかしヌナガワ・シズカは歯を食いしばり声をあげなかった。ただ身を固くして、シズカは泣き続けた。

 日本最大の内戦を戦い抜いたサムライ少女。

 彼女はなにを失い、なにを捨て、海を渡ってきたのだろう。

 レディに子はいない。だからこの痛切な感情を持てあましてしまう。演奏を続けながら、いつの間にかレディも泣いていた。それは同席していたロジャー・アルフォード海軍少佐や従僕のハワードには箝口令を命じてある。

 守りたい。

 せめて声をあげて泣くことができるようになるまで、この子を守ってあげたい。

 レディはそう思った。



 さて。

 アパートの屋根裏の静の部屋である。

 ベッドはひとつしかない。

 静から寝巻を借りて着換えながら、慈母の微笑みとともに剥き出しのおっさんの笑いも浮かべてしまうレディである。

「亡くなった父はいつもいっていたわ。私が男だったら良かったのにって」

「はい」

 戦いの時の勘の良さはどこに忘れてきたのか、レディに背を向け、呑気に自分も寝巻に着替えている静だ。

「本当にそう思うわ。今は痛切に」

「!?」

「私が男だったら、もっとこの状況を楽しめるのに」

「胸に触らないでください、レディ!」



 始まった!

 ドアの向こうでレベッカ・セイヤーズは身を乗り出した。

 なんだかよくわからない会話が長かったけど、やっとめくるめく社会勉強のお時間よっ! 将来のために学ぶのよっ!

 しかし、そのレベッカの背後にそそり立つ影がある。

「なにをしているのですか、レベッカ・セイヤーズ」

「は、ハウスマザー……」

「ここで学べるまっとうな社会も将来もありません。自分の部屋にお戻りなさい、レベッカ・セイヤーズ」

「はい、ハウスマザー……」

 がっくりと肩を落として階段を降りていくレベッカを見送って、ハウスマザーは静の部屋のドアへと視線を向けた。


「よいではないか」

「よいではないか」


 レディの声が聞こえてくる。

 ハウスマザーは口元を抑え、その目元には光るものがあった。


 ごめんなさい、シズカ。私を許して……。


※静の身長の設定は165センチ。

※バッハのチェロ練習曲一番:無伴奏チェロ組曲一番プレリュード。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


ハワード

レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。



※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ