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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
12/77

同志

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


 ドドドド!

 爆音と蒸気をばらまいてアスタロトがバイクを走らせている。

 人々は驚愕の表情で見送るばかりだ。

 この時代、すでに万国博覧会で蒸気機関式二輪が発表展示されている。とはいえ、実際に走っている姿を見ることはこのロンドンでもまずないだろう。そしてアスタロトのバイクは、万国博覧会で展示されたものとは比べものにならないほど大きい。なにより大きな蒸気機関がのさばっている。よほど体力に自信がないと乗りこなせないだろう。

 いや、そもそも人類には無理かもしれない。

 これはヴァンパイアの体力で扱うことを前提として作られたモンスターバイクなのだ。

「ヌナガワ・シズカ」

 アスタロトが言った。

「ただの人でありながらフルカスを斬ったというシズカ。どこにいる。さあ、アスタロトはここにいるぞ。おれの前に出て来い、黒のシズカ!」

 その頃、当の(しずか)は、音楽院の厚い壁のレッスン室でミス・チェンバースに涙目になるほどしごかれている。



「あんたの部下の誰かを使って、あのメアリ・マンスフィールドを乗っ取れないか」

 スチュアート・ウッド議員が言った。

 クリス・ランバートは顔をあげた。

「スードエピグラファのことを言っているのか?」

「なんと呼ぶのかまでは知らないね」

 あの公園での出会いから二〇年。

 さすがにウッド議員にも、ソロモンのグレモリーが万能の悪魔ではないことはわかっている。できることとできないことがあり、できないことのほうが多いのだ。

 しかし、それでも。

「できるのだろう?」

「やめたほうがいい」

 クリス・ランバートが言った。

「私が生んだヴァンパイアでも」

 と、クリス・ランバートも自分がヴァンパイアだということを隠さない。

「人と同化してしまえば別の人格になる。私のコントロールが利かなくなる事もありうる。わかるだろう、私たちが同化した人間は飛躍的に能力が伸びるのだ。手がつけられなくなることになりかねない。そして、残念ながらあのメアリ・マンスフィールドは怪物だ。私の()()()程度では、彼女を屈服させ支配することは難しいだろう」

「そうか」

「いっそのこと」

 と、クリス・ランバートが言った。

「殺すかね」

 あっ!とウッド議員は目を見張った。

「驚いたな、あんたからそんなことを言うとは!」

「彼女は、()()()()()()()()()()と言ったのだ。そして彼女は必ずそうするだろう。今までの敵とは違うのだ。彼女は軍特務機関を掌握している。もしかすれば、私の正体すら彼女は掴んでいるのかもしれない」

「しかしな」

「今まで何人私に殺させた。何人私に闇討ちさせた。今さら君が私に人道を説くつもりか」

 ウッド議員は言葉につまってしまった。

 目の前には燃え盛る暖炉だ。

 政治活動用のタウンハウス。通いのメイドがふたりいるくらいで、ウッド議員は独身だし、あとはクリス・ランバートが住んでいるだけだ。

「怒っているのか、クリス・ランバート――グレモリー」

 暖炉を火かき棒でつつきながらウッド議員が言った。

「今日、私はある男に会った」

 クリス・ランバートが言った。

「見つけられてしまった、と言ったほうがいいだろう。この顔の傷をつけた男だ。私の力などおよばない強大な男だ。その上、軍特務機関の”M”、メアリ・マンスフィールドだ。召喚され契約した悪魔が情けない話だが、私は逃げなければならない」

 そのときにウッド議員が見せた表情がクリス・ランバートには良く読めなかった。目に頼らない生活を長く続けてきたからだろうか、ときどきこういうことがある。

「だからこれは、私が君にしてあげられる最後の仕事なのだ」

 もしかして彼は、悲しい顔をしたのだろうか。

 いいように汚れ仕事を押しつけてきた相手でも、いなくなるとわかれば寂しく思うことはあるだろう。

「心配するな。あなたの魂を貰っていくとは言わないよ」

 クリス・ランバートが言った。



 その機会はすぐにやって来た。

 話合いの場を持ちたいというウッド議員の打診に、即座にレディ・マンスフィールドが応じてきたのだ。場所はレディ・マンスフィールドが住居としているホテルの最上階のグランドスイートルーム。

 マンスフィールド家のタウンハウスはすでに共同侯爵であり次期当主である弟に明け渡している。もっとも、面倒くさがりのレディにとって、ホテル暮らしがいちばん快適だからだともいう。

 指定の時間に訪れたウッド議員とクリス・ランバートを、長身の老従僕が迎えた。

 妙だな、とクリスは思った。

 無防備すぎる。

 レディ・マンスフィールドと従僕しかこの部屋にいない。豪腕ウッドの黒い噂を知らないわけもあるまいに。目に頼らない生活をしてきた。そのおかげで他の感覚がヴァンパイアとして以上に敏感になっているクリス・ランバートだ。間違いない。

 まるで男同士であるかのように握手から始まり、今はウッド議員が熱く自分の考えを語っている。しかしレディ・マンスフィールドは、ときおり紅茶を口に運びながら、まるでなにも聞いていないかのようだ。

「あんたにはそれがわからないか!」

 ウッド議員がテーブルを叩いた。

 レディ・マンスフィールドにはなんの反応もない。

 潮時か。

 議員の後ろに立って会談を見守っていたクリスは覚悟を決めた。両手を広げると、袖に仕込まれていたナイフが飛び出してきた。その気配にウッド議員が振り返った。

「クリス」

「あなたはなにも命じていない。私が私の意志でするのだ。なあ、スチュアート・ウッド」

 クリス・ランバートが言った。

「私はヴァンパイアだ。どこから来たのか、どこに行くのか、私にもわからない。残すものも残せる思いもない。だが、君をダウニング街一〇番地に連れて行くために協力したこの二〇年、私は楽しかった。いろいろあったが、やはり思う。楽しかったよ、スチュワート。さようなら。いつかよい報せが届くのを期待している」

 仮面の下で両眼が黄金に輝いた。

「さてレディ、覚悟していただこう。私は――」

「あら」

 と、紅茶を手にしてレディが言った。

「案外はやく馬脚を顕したわね」

 レディの背後のカーテンがざあっと開いた。

 そこには長身の老従僕。そして、この豪奢なスイートにはあきらかにそぐわない無骨で巨大な図体を晒す機関銃。

 ちらりと振り返ったレディに従僕が言った。

「耳をお塞ぎくださいませ。お嬢さま」

「?」

 従僕は、ちょんちょんと自分の耳を指さしている。

 レディは、ふんと笑った。

「耳栓なら、はじめからしてるわよ」

 この女、ずっと耳栓をして人の話を聞いていたのか!

 ウッド議員とクリス・ランバートは目を剥いた。

「おやり」

 蒸気機関が起動し、大量の蒸気を吐き出した。

 六本の銃身が回転を始め、火を噴いた。

 それはほんの数秒の出来事だった。それでも無数の弾丸がクリス・ランバートの体を貫き、千切り、吹き飛ばした。通りを往く人々は、時ならぬ雷鳴に空を見上げた。


「!?」

 その赤毛の男はモンスターバイクをドリフトさせて停めた。

 石畳が吹き飛ばされていく。

「なんてこった! すげえぞ、ロンドンってのは! なんて最高なんだ!」

 黄金色の両眼でアスタロトが高笑いを上げた。



 クリス・ランバート――ソロモンのグレモリーは散った。



 硝煙と蒸気が立ちこめている。

 レディ・マンスフィールドは耳栓を外し、放り捨てた。

「お嬢さま、議員がいらっしゃいません」

 従僕が言った。

「わざとらしい。逃がしてやったくせに」

「追いましょうか」

「どうせもうなにもできやしない。取るに足らない男の野望が、今夜、弾けて消えただけのことよ」

「お嬢さま」

 従僕が言った。

「とりあえずの問題は今夜の宿かと。このありさまでは、もうお嬢さまに部屋を用意してくれるホテルはロンドンにはございますまい」

 壁をえぐる大きな穴。

 砕け散った調度品。

 部屋の惨状を眺め片手で頬杖をつき、レディ・マンスフィールドが言った。

「嫌になっちゃう!」



 テムズ川のほとりに男がうずくまっている。

 わかっている。

 確かめるまでもない。

 逃げるときに床に転がったそれを掴み、大切に抱えて走ってきた。しかし、もうなんの感覚もない。ウッド議員は手をひろげた。あの異形の仮面はない。

「クリス、クリス・ランバート……!」

 散ったのだ。彼とともに散ってしまったのだ。

 おお!と、ウッド議員は獣のような声を上げて慟哭した。

 おお!

 おお!

「同志、おれの同志! おれたちは二人で夢を見たんだ。おれこそ、首相になったおれを君に見せてやれなかった。すまない、クリス。ごめんよ、クリス……!」

 ウッド議員の慟哭はやまない。


 ロンドンは今夜もまた霧が深く、ガス灯が幻想的に輝いている。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


ミス・チェンバース

音楽院の静の担当教授。


ミス・オコナー

音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。



※悪い冗談

静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。

※ヴァルキューレ

レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。

※グングニル

聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。



※木花咲耶姫

コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。

※石長姫

イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。

※木花知流姫

コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。



※カノン

正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。

※アポクリファ

外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。

※スードエピグラファ

偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。


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