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  作者: 長曽禰ロボ子
魔都ロンドン編
10/77

クリス・ランバート

 仏に逢えば仏を殺せという。

 祖に逢えば祖を殺せという。

 私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。


挿絵(By みてみん)


 腰まで流れる長い黄金の髪は目立つ。

 顔を覆う異形の仮面も目立つ。

 見た目には痩身の男性に見える。肩幅が広い。男装でもある。しかし、仮面からのぞく顎にかけての顔のラインは女性のものだ。そして、その澄んだ声も。

「おっと、失礼」

 ウエストミンスター宮殿(連合王国国会議事堂)。

 父親と話しながら歩いていたジェイムズ・リッジウッドは、その仮面の青年の背にぶつかってしまった。

「こちらこそ」

 仮面の青年はジェイムズに会釈を返して歩いていった。

「どうしたのだね、ジェイムズ」

 父親の貴族院議員リッジウッド子爵に声をかけられても、ジェイムズはただぽかんと青年の後ろ姿を眺めているままだ。

「ああ。おまえ、はじめて彼を見たのか」

 子爵が言った。

「あれは、クリス・ランバート。下院の豪腕スチュアート・ウッド議員の秘書だよ。おまえと同じだ。秘書一年坊主のおまえには大先輩さ」

「クリスティアン? それともクリスティーン?」

「わからんね。クラブでも話題になるが決め手がない。あの仮面といい、謎の人物だよ」

「なぜ仮面を?」

「だから、わからん。顔に酷い傷を負っているという話だ。ただ、実際にそれを見た者は私が知る限りいないな。議員ならともかく秘書だからな、それほど問題にもならん」

「素敵な美人ですよ、きっと!」

 ジェイムズが言った。

 子爵は渋面を浮かべた。

「あの澄んだ声。胸は無いが、あのスタイルの良さ。うん、きっと美人だ!」

「なあ、ジェイムズ。ついこの間、変な女に引っかかってチャールズに助けてもらったばかりだろう。もう忘れたのかね」

「あれは、ぼくにほんの少しの運がなかっただけなのですよ。今度こそ一生に一度の素敵な恋の予感がするな。うん、きっとそうだ!」

「おまえとチャールズを足して二で割れないものかね、しかし」

 子爵は天を見上げるのだった。



 スチュアート・ウッド下院議員。

 英国首相が下院議員に限るようになったのは二〇世紀からであり、この時代はまだ圧倒的に貴族院から首相が選ばれていた。中産階級で豊かではあったが爵位を持たないスチュアート・ウッドは、豪腕ゆえの浮沈を繰り返しながらも、貪欲に「爵位を持たない首相」の座を狙う男だ。

「支援者の何人か潰しちまえ。そうすりゃおとなしくなるだろうさ」

 そんなことを言う。

「あいつには女を抱かせろ。その程度の男だ」

 そんなことも言う。

 堂々たる偉丈夫である。

 精力的で押しも強い。

 しかし、いつからだろう。彼が理念や政策の話をしなくなったのは。ただ、ダウニング街一〇番地に行くことだけが目的になってしまったのは。

「なあ、クリス」

 話しかけられても、この頃は返事をするのも煩わしい。クリス・ランバートは返事をする代わりに議員のオフィスのドアのノブに手をかけた。

「……」

 鍵が開いている。

「どうした、クリス」

「議員、ご来客のようです」

「なんだと?」

 クリス・ランバートはドアを開けた。

 議員の机に、長いキセルを手にこちらに横顔を見せ、華やかな女性が座っている。相変わらず歳をわきまえない派手な羽帽子。脇に控えているのは侍女(レディスメイド)ではなく従僕(ヴァレット)

「鉄のメアリ!」

 ウッド議員が声をあげた。

「おれの部屋でなにをしている、メアリ・マンスフィールド!」

 キセルを一口吸い、レディ・マンスフィールドは面倒くさそうに顔をウッド議員へと向けた。演技ではなく、仕事とシズカに関係しないことにはいつだって本当に面倒くさそうなのだ、この人は。

「私を呼び捨てにするとは偉くなったものだね、坊や」

「あんたが年下だろう!」

「あら、私がまだ若いって認めてくれる男に久々に会ったわ。それだけは褒めてあげる。誰も彼も、私を因業ババア扱いするのだもの。こんな綺麗なババアがいてたまるもんですか。ほんと、嫌になっちゃう」

「クリス・ランバート、この女をおれの部屋から叩き出せ! 貴族院の議席は弟に譲ったはずだ。鉄のメアリも、今は無役のただの一般人だ!」

「しかし、議員」

「開明の時代に貴族がなんだ。ウェストミンスター宮殿は社交場じゃない!」

「はい、議員。彼女はストラトフォード侯爵閣下であり、女王陛下特別補佐官です。そのお方を叩き出すというのは穏やかではありません」

 ――女王陛下特別補佐官!?

 クリス・ランバートに顔を向けたまま、ウッド議員の動きが止まった。

 レディは素知らぬ顔で長いキセルを吹かしている。

「弟にはマンスフィールド家を継いでもらわないと困るのよ。いろいろ経験積ませているけど、なかなかねえ……」

「……おれになんの用だ、メアリ・マンスフィールド」

「あら、やっと話を聞く気になった? でもダメね。あなた、私の名前にはレディをつけなくてはいけないと思うわ」

 レディ・マンスフィールドが立ち上がった。

 女性としては長身だ。しかし一九〇近いウッド議員を見下ろすことはできない。それでレディはあごを上げた。

「キング・アーサー級三番艦の建造を止めたわね」

 ああ、それか。

 クリス・ランバートは思った。

 たしかに、巨大戦艦キング・アーサー級三番艦の予算をストップさせたのはウッド議員の運動の功績と言っていい。望み通り、よく目立った。

 もちろん海軍の抵抗は激しかった。

 それに対応したのは私だ。

 鉄のメアリ来訪の理由がわかり、あまりに想定内であり、ウッド議員には余裕が生まれたようだ。

「だからなんだ。女王陛下にいいつけるのかね、お嬢さん」

 ウッド議員が言った。

「わからんか。あんな巨艦を三隻も作る必要はない。その金を貧民の――」

 心が冷えていく。

 あらゆることをした。

 あらゆることをされたから。

 それが豪腕スチュアート・ウッドの力の源のひとつである私の仕事なのだ。

「ハワード」

 レディ・マンスフィールドが従僕に手を差し出した。

「マンスフィールド家は海賊出身。警告なんてかったるいことしないのよ」

 さすがにウッド議員は身構え、クリス・ランバートは議員を押しのけて前に立った。しかしレディの手に添えられたのは、畳まれたパラソルなのだった。

「あら。なかなかの忠誠心ね、クリス・ランバート」

 眼を細め、レディ・マンスフィールドが笑った。

「名前をご存知いただけていただけで光栄です、マイ・レディ」

「如才ないわね。明るく楽しく笑顔の絶えない職場が欲しければ、いつでもいらっしゃい。紹介してあげるわよ」

 パラソルを手に、レディ・マンスフィールドが歩きはじめた。

「スチュワード・ウッド」

 すれ違いざまにレディが言った。

「あなたの野心の邪魔をする気はない。好きにやればいい。だって私、あなたなんかに興味ないんだもの。ただ、私の海軍に手を出したのは失敗だったわね。マンスフィールド家は警告なんかしない。実行するだけよ」

 大きな羽帽子を揺らし従僕を引き連れ、レディ・マンスフィールドはウッド議員のオフィスを出て行った。



 ウェストミンスター宮殿に付随する時計塔は、その愛称をビッグベン。

 その頂塔の上に立ち、ロンドンを見下ろしている人影がある。クリス・ランバートだ。

 クリスは思った。

 関わりすぎただろうか。

 私の力。はっきり言えばいい。私の暴力を当てにしているスチュワード・ウッド。モンスターを生んだのは、モンスターの私ではないのか。

 はじめて会った時の彼は、もっとまぶしい彼だったと思う。

 それを変えてしまったのは私なのではないか。


 二〇年。ヴァンパイアの私が、人の世界に長く関わりすぎた。


「いよう、グレモリー」

 地上一〇〇メートル、吹きさらしの屋根の上にいるクリス・ランバートに声をかけてきた者がいる。しかも、ヴァンパイアとしての彼の名前を呼んだ。

 無造作に伸ばした真紅の髪。

 だらしなくシャツの胸をはだけ、無数のピアスをつけ、この世のすべてを見下して笑っている。

「アスタロト……!」

 クリス・ランバートは、表情が変わることがないその仮面の顔で驚愕の声をあげた。


※子爵:父親が存命でまだ正式に爵位を継いでいない総領息子は、家名+子爵を名乗る。

※ウェストミンスター宮殿:英国国会議事堂。

※ダウニング街一〇番地:首相官邸。


■登場人物紹介

奴奈川 静 (ぬながわ しずか)

戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。

奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。


ロジャー・アルフォード

英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。


ヘンリー・ローレンス

アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。


メアリ・マンスフィールド

侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。

英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。


レベッカ・セイヤーズ

静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。


ハウスマザー

静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。


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