自己優先,自己犠牲
二人が出て行った後、部屋には志楠一人だけが残っていた。何をするでもなく、ただ体育座りをして、仮面に触れたり離したりを繰り返している。そんな志楠の姿を、村人はとても不安そうな顔をして見守っている。何かしてあげたいと思う反面、何をすればいいかわからない。ただ分かっているのは、原因が侍にあることだけだ。
「……あの侍連中に何かされたに違いないわ。あの連中出て行った後に覗き込んだらこうなってたし、何より私の女の勘もそういってる」
「幻聴が聞こえんなら医者に掛かりな。町医じゃどうにもならねぇだろうから、幕府御用達の官医様にな」
「あんた達が志楠君から離れて、且つお金を出してくれるなら掛かりに行くわよ。っま、どうせ口だけでそんな度胸なんてないんでしょうけど」
二言目には相手の嫌味が出て、嫌な雰囲気はすぐに全員に広まる。互いに互いの嫌味を言い合い、貶し合う光景は何とも醜い。何よりこの村は数日前まではこんな醜くなく、互いに互いを助け合い、励まし合っていた。それが今では、元々恋人同士だった関係の男女ですら、この状況だ。
「……何してるんですか」
「ししし、志楠君!?」
「な、何をしてるって訳じゃ、なぁ?」
声を掛けられるまで志楠が間近に来ている事にすら気付かない。それは構わないとしても、明らかに自分達の罵詈雑言している姿を見られているにも関わらず、自分達は何もしていない風を装っている。まるで子供のようだが、純粋さの欠片も感じ取れない。
志楠は大きく溜息をつく。普段ならば数分かけて注意喚起をしておけば、一日か二日くらいは互いにいがみ合わない。だが今回は何故か注意喚起せず、病院の外へと一直線に歩き始める。その後ろに付き従うように、村人連中も後を追い始める。
「来ないでください!」
「し、志楠どうした!?」
「べ、別に私たちは後を付ける気なんて、ねぇ?」
嘘である。
志楠に従順な彼らでも、我慢できない事がある。
それは他人よりも志楠と接している時間が短い事。
志楠と可能な限り同じ空気を吸いたい。
志楠を出来る限り視界の中に入れておきたい。
出来る事なら同じ思考を持ち、同じ道を歩みたいとまで考えている。
一種のストーカーじみた思考は、志楠が村に来た日から村人達の思考の中枢に根付いてしまっている。
「……本当ですか?」
「本当も本当よ! (って言いたいところだけど、男共が嘘をつく可能性は高い。もし私がいない間にこいつらがあんなことやこんなことをしてると思うと……本当に最低な奴等ね! 私が見守ってあげないと!!)」
「当然! (と言いたいところだけど、女共の目は盛った雌犬よりもヤバイ。俺がいるからこそ大人しいがいなくなった途端‥…ヤベェヤベェ! 絶対に志楠の守りを解いちゃならない! 俺が守らねぇと!)」
数十人の思考が同時に嘘を選んだ。
それも最低な嘘をだ。
他人を理由に自身を正当化しようとしている彼らに罪悪感はない。それどころか正義感が全体を占め、これを機に距離を縮められたらな、なんてことも思っていたりする。
中にはうまい人もいるが、数十人が嘘を付けば下手な奴も出てくる。
だがこれ以上言っても埒が明かない。そう考えた志楠は説得の道を諦め、一目散に村の外へと走り出した。子供の足で全員を振り切れるとは微塵も思ってはいない。だから一言、集団に向けて言い放った。
「来たら絶交です!!!!」
子供らしい突き放し方だ。だがそんな言葉で立ち止まる成人がどこにいる。
しかし彼らはその言葉を聞いた途端、追うのを止めて立ち止まった。志楠は見ていないが、彼らの表情は行きたいが行けないという、束縛され苦悶の表情を浮かべている。
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仮面を付けている為表情は分かりづらいが、その走法はただ力任せに前へと進みたい一心が現れているようにボロボロな走り様だ。そんな走り方では息も続かず、速さも減退することは当の本人自身百も承知だが、あの場所から一刻も離れたいという一心がそうさせてしまう。
「(モット、もっと遠くに!!)」
妙な胸騒ぎを感じたのは、これで二度目だった。
一度目の胸騒ぎを感じた時は、変な感覚としか思わなかったが、二度目の今回は違う。
村の真ん中で尚且つ人が志楠のことを心配して離れようとしない時に来た。
これ以上、誰にも迷惑はかけられない。最悪自分が死んでも構わないとさえ思っている。
「い~ったッ」
「ッ!!」
声が聞こえたから助かった。もしくはあえてそうしたのかもしれない。
大鎌は回避行動を取る志楠の横数センチを掠め、風を切る『ヒュオンッ』という鋭い音と地面が『ザクリ』という音がしっかりと聞こえた。
「ありゃ~? まさかまさかの『シクス』だったとは~」
「やっぱり!」
「さらにさらに『やっぱり』って言う事は~兄弟が来たってことに間違いはないよな~? どうした~?」
体長二メートルはある巨体、全身は漆黒の羽で覆われ顔はカラスの様。翼はビニールのように滑らかな光沢を出す翼で、鳥というよりは悪魔の翼に近い。やせ細った腕と足、指は三本ずつ。手に持つのは化け物の体長よりも巨大で撓った大鎌。他人が見ても殺意を具現化した様な存在だ。
「僕が、倒した」
そう言わなければならない状況だった。
兄弟が別の誰かに殺されたと知ればその誰かを探す。そして真っ先にあの村へと襲撃するのは誰の目から見ても明白だ。
「嘘は良くないな~。幾ら俺達でもパワーもないお前には負けないし、それにお前の力は戦闘向きじゃないだろ~?」
「初対面のお前に僕の何が分かる!!」
「わかるサ。僕は君の近親者なんだからね」