思いを斬り捨て
「荷支度はこれで済んだな」
鷹と鷲との戦闘を終え、次に進む道を決めた三名だが、思い立ったが吉日という訳にはいかない。
慎重に慎重を重ね、二十四時間という猶予の間にそれぞれの時間を過ごす事となった。
「嵩張りずらい飯を三日分。水は……二日分くらいで事足りるだろう。後は予備の小刀数本と、忘れちゃいけない煙管と刻み煙草を隅の方に……ん!! ……これで準備は万全だろう」
数日振りに戻る我が家。
一か月後には人手に渡るよう手配していたが、まさか異世界に行くための準備に戻るとは夢にも思ってはいなかった。私物は全て処理しているとはいえ、数十年の間付き添ったこの家に態々(わざわざ)戻り身支度している所を見る限り、余程の愛着が見て取れる。
「……」
そんな我が家に戻った葉昏が見せる悩みの表情は、不規則ではあるが身支度の度に見せている。
異世界へと赴く不安も多少はある。だがそれは少し先の話で、今悩んでいるものとは全く別のモノ。悩みの種は、とある場所へと『赴く』か『赴かないか』の選択で悩んでいる。
師範代という立場の自分がその場所へと赴くのは、何ら可笑しな行動ではないし礼儀の一つ。だが葉昏という一個人という存在で考えた時、足取りが重くなる。
「(否……ここで儂がいかなければならん。老いぼれが何を恥じる事が有ろうか。この名を持ち、この人生を背負って生きていくと決めたであろう! 歩まねば、歩みを止められぬ。どうせお天道様で其の後の世界を見るのだ。反面教師として、最後の花を散らそうぞ!!)」
身支度を済ました葉昏が赴いた場所。そこは斎場、死者を弔い葬式の場であった。
覚悟を決めたと心の内では思っていた割に、中へは入らず外で感覚を研ぎ澄まし中の状況を伺っている。
「沈明様……」
「我々はこの後どうすれば……」
「(やはり……死んだのか)」
斎場の最前列。坊主の目の前には、四人の額縁が飾られていた。
葉昏が師範代という立場を降り、次期師範代に任命した『沈明』に加え、次の一刀開闢流の世代を担う器に値する三名。死体は見つかりこそしなかったが、血塗られた白剛の腕輪が見つかり死亡と認定された。
「時期師範は誰になるのだ」
「分からぬ。まだ沈明様になって数年し経ってはおらぬ。時期も糞も無かろう」
「まさか、これで終わるのか!?」
「そうは言ってはおらん。だが、次の器になりうる存在がいないというだけで……」
「……先代の葉昏殿から、一刀開闢流はおかしくなり始めていたが。こんな最期を迎えるのか」
「! 何を言うか!! 葉昏殿は立派に職を全うされ、世代交代をなされた。貴様、それを愚弄するのか!!!」
「そうではない。そうではないが……それが事実であることは、開闢流の歴史上明らかだ。今に囚われず、先を見据えた故に最強を欲しいがままにした一刀開闢流。その歴史に泥を塗ったのは紛れもない、葉昏殿であろう」
「貴様!!!」
「止めなよ!」
静かな雰囲気。そうせざるを得ない斎場の場は喧々としている。
こうなるとわかっていたからこそ、師であり種である葉昏はその場にあられてなかった。現れれば口にせず内にその思いを敷き詰め、数日か数か月後により一層破壊力を増し破裂していた。そう思い姿を現さなかった。
だが実際どうなのかは分からない。結果を知るよりも早く、自身は他世界で果てると察しているからこそ、彼らに申し訳が立たないとは感じていた。
「おい聞いたか。何でもこの道場での死亡者はもう一人いるそうだ」
「何言ってやがる。沈明様が今回お連れになられたのは三名だ。含めれば四人で、丁度じゃないか」
「事情があるんだよ。親に黙り、道場の仕来りを破り死んだんだ。道場どころか、その家の恥みたいなもんさ」
「……マジかよ」
「マジマジ、あそこの泣いてる女居るだろ? アレは亡くなった四人に対しての涙じゃなく、引き取り我が子のように育てた子の死を嘆いているのさ。葬式も死の事実すら公表しなかったくせにな」
「人の噂は七四十五日。恨みは七十と五か月っていうからな、百華じゃ。で、門下生って誰が死んだんだ?」
「それは……」
「っ!」
聞きたくはなかった。これ以上足枷を増やすわけにはいかなかった。
自分の人生、自分の生きたいように生きて何が悪い。そう言い聞かせ、葉昏はその場を離れた。だがそう心の内に思い聞かせていても、脳内では釈明の言葉で埋め尽くされ、もう一押しすれば涙が零れそうになるくらい本音を押さえつけていた。
老い先短いのに、何を恥じる事があるか。そう思っていた。そう思い込もうとしていた。そうしなければ常識を離れた旅に赴けない。
未練を現世に残す訳にはいかない。汚名を他世界にまで持ち込んではならない。自分という存在に決着、終点を見出さなければならない。
自己満足と言われようと、葉昏はこの先に待ち受けるたびに備えた。
出雲という、生涯最後の強者と相見え対峙する為には、それらの感情は余計で異分である。
例え輪廻転生の分から外れ、地獄に住む事となろうと覚悟の上である。
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「……腐ってんなぁ」
出雲はとある場所に、シクスと共にいた。
その場所は栄えた北区域の裏路地を進みに進み、目的があって進まない限り辿り着けないような場所にあるボロ道場だった。
「葉昏さん。ココは……」
「俺が生まれた場所だ」
「この場所が……?」
「あぁ。だけど、死合いをするって思い立ってからも、ココには来てねぇんだけどな。やっぱ、遠く離れるってェ思うと来ちまうもんなんだな」
死合いを行った者達は生きて帰って来れない。赴く者達はその言葉を胸にした上で、臆さず前へと進んで行くのだが、出雲は違う。勝って帰る気満々であの村の、あの森で葉昏と対峙した。
その結果、想像通りとまではいかないが死合いを終えて生きていた。
雲のように気紛れで変わりやすい気分屋の出雲だが、死合いで生きて百華に帰れたならばやっておきたい事があった。それがこの地に訪れる事だった。
「……」
何をするでもなく、只古びた道場を見つめるだけ。
初見のシクスは失礼の無いよう、観察するのみ。
そんな時間が数十分続いた後、我慢の限界が来たシクスが語り掛ける。
「……この地で、何があったのですか?」
「……何もねぇ。俺が生まれた。出雲が生まれた。鬼雲が生まれた。只其れだけの事よ」
「……」
「……日が暮れてきやがったな。そろそろ行こうか。おっさん一人残してると、ボケてどっかに行きかねない」
「……ハイ」
深くは聞かなかった。それが礼儀だと直感したから。
自分の都合がどうこうとかは考えなかった。それ以上に目の前にいる葉昏が見せる初めての表情が印象的で、そんな事を考えている余裕はなかった。
「(まだ数日も経っていないけど、あの葉昏さんが……喜々として戦闘を楽しみ、卓越した技術を見せびらかしていた葉昏さんが……この場所に来た途端『辛い表情』をしてた。区切りがついた稼働が何て関係ない。この地に来た、それだけで区切りをつけたと同意義なんだ)」
そう納得して、シクスは雛鳥の如くシクスの後へとついて行った。