衝動
「再生魔力」
聞きなれない言葉をシクスが口にすると、両手から淡青色をした輝きが発光した。その手を葉昏の脇腹に当てると、赤く腫れていた箇所が忽ち引いていき、十秒もしないで傷を完治させて見せた。がしかし、今葉昏の肉体を蝕んでいるのは肋骨骨折による痛みではなかった。
「かぁっ……ァアあ……!!」
「一体どうしたっていうんだ。傷はお前のまほうとかいうので治ったみてぇなのに、収まるどころか悪化してるじゃねぇか!」
真夏の太陽の下、冬服で身を包んで立っているかの如く尋常ではない汗の量。毒を飲まされたと知り、必死に胃にあるものを排出せんとする勢いの嗚咽。鷹との戦闘を終えた後、葉昏は自分の足では立てない程の症状に襲われていた。
「再生魔力で葉昏さんの体を治しました。なのに一体どういう……」
「さ、裂ける……!! 体から、何かが!!!」
右手で左肩、左手で右肩を掴み蹲る。恐らくもっと前からこの態勢になりたかったのだろうが、脇腹の傷が邪魔をして出来なかったのだ。
蹲りダンゴムシのような態勢を取ると、二人はようやく葉昏の肉体に起きている異常に気が付いた。一定間隔のペースで、肉体が一回り肥大化しては元に戻り、肥大化しては元に戻っている。その状態は葉昏の言葉通り、内側から何かが外へと出ようと叩いているかのようだった。
「おいおい、おっさんよォ!! こんなところで死なれちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ!!! 不完全燃焼で余生生きるなんざ嫌だぜ!!!?」
「(再生魔力で癒せない苦痛に肉体を裂かんとする衝動。普通の症状じゃない。だとしたら……)」
シクスは再び葉昏の体に手を添える。また回復の魔法を使用するのかとも思ったが、明らかにシクスから感じる気配が違う。再生魔力の時はただ漠然と輝きに対して眩しさを感じた程度であったが、今回やろうとするものは達人が発する気迫に近い何かであった。
「……【リターン】」
----- ----- ----- ----- -----
「」
何も見えない暗黒の空間に葉昏はいた。もっと正確にいえば、視覚だけがそこにいるといったほうが正しいだろう。何故なら体を動かすこともできず、膝や肘といった駆動する箇所の感覚すらないのだから。
身に覚えのない空間にいるというのに、心中はひどく落ち着いていた。暗闇の中孤独でいるというのに安心していた。何があるわけでもないが、この無意味な時間を全身で心地よく過ごしている自分がいる。
身を委ねれば、自分という存在を忘れてしまう程に。
『』
何かいる。
完全に溶けかかっていた葉昏の意識が再び個体へと凝固する。意識を研ぎ澄ませ、その何かを探そうとする。この空間が何なのかを知ろうとする。葉昏という個体に戻った途端、あれやこれやと色々考えだしてしまう。
だが確かに感じた気配は消えていた。暗闇のため自信をもって言えないが、気配のした方向を向いたはずなのにだ。ようやく不気味さを覚え始める。特に数分前までの自分自身の違和感のある思考に関してだ。
「ここは、一体何処だ?」
----- ----- ----- -----
「うぅ……」
「! 葉昏さん!!」
目覚めに差し込む日の光が鬱陶しい。年甲斐もなく布団を頭の方へと持ってこようとしてしまう程だ。しかし自分を呼ぶ声があると知ると、二度寝を提案する思考を押しのけて起床の思考が前へと出てくる辺りは年相応だ。
「シク、ス。ここは……?」
「宿です。僕たちが泊まっていた宿ではありませんけど。それよりも良かった。葉昏さん、三日三晩眠りっぱなしだったんで、僕心配で」
「三日、三晩だと? 一体、儂に何があったというんだ」
病み上がりで且つ寝起きでありながらも、普通に会話ができていることに安堵を覚える。あの後葉昏の体を襲っていた衝動は収まりはしたが、その代わりに深い眠りについてしまっていた。
その間街中では化け鳥の話題で持ち切り。異界に住む妖怪が本腰を入れて攻め込んできただとか、化け物共が誰かを探索していただとか、卓越した二人の侍が妖怪を成敗し闇に消えただとか、嘘なのか輪をかけた真実なのかわからない話が行き交っている。
渦中にいた三人からすればどれが真実かは判別できる筈だが、葉昏の記憶は出雲と合流した時点から消えている。勝利した記憶もなければ、激しい痛みにのた打ち回った記憶もない。
「勝った記憶がないというのは歯痒いな。しかし何故記憶が欠落しているのだ? 確かあの時儂は」
「それだけ敵が強く、記憶する余裕もなく尽力したってことじゃないですか。それより葉昏さん、お話しておきたいことがあるんです。出雲さんにはあらかじめ話していたことなんですが」
「そういえば出雲がおらんな。してその話とは?」
「……僕の生い立ちの話です」