琥珀の飛禽
天を飛翔している化け鳥は、村を襲った奴とは比べ物にならない程格上の存在だということを知らしめてくる。発達した筋肉に恵まれた巨体、何より強者から発せられる覇気が段違い。これほどの強者を見たのは出雲を除けば数十年ぶりだ。
だがそんなことはどうでもいい。コイツが強かろうと弱かろうと、化け物であろうと人間であろうと関係ない。今重要なのは、コイツの体に付着している真新しい血。妖怪がまだ出回っているという話、葉昏の予感、そして都合よく目の前に現れた殺人化け鳥に、葉昏は冷静さを欠いてしまった。
「兄弟。中。見つけ。殺す」
化け鳥は地面に降り立つと、シクスがいる店へと一直線で向かってきた。葉昏は店主を店の中に押し込むとすぐさま戦闘態勢を取り、向かってくる敵の懐へと潜り込み、下から上へと刀を切り上げる。
「!? 刃が、通らんだと!!?」
刀から伝わってくる感触は、生物を斬った時に感じる筋肉や骨を断つ感覚ではなかった。それどころか皮膚を斬った感触すらなく、まるでゴムの壁に刀を這わせているような不気味な感触が伝わってくる。
「邪魔」
「!!」
この一撃で決めるつもりでいた葉昏だったが、予想が大きく外れた。動転が本来切り上げ後の大きな隙、敵の目の前で無防備な右脇腹をすぐさま戻すという行動を遅らせてしまう。
敵はその隙を知ってか、それとも本能的に悟ってか葉昏の明いた右脇腹目掛けて、強烈な左フックを見舞った。咄嗟に右手を刀から離し、刀を仕舞う鞘を帯から抜き敵の拳の来る方向に壁として出して直撃は避けたが、代償として肋骨を数本とこの世で最も固い鉱物である白剛の壁に背中から激突してしまう。
「ッカハ!!」
「今度。兄弟。中。……。入れ、ない」
宿の中に入ろうとするが、大翼が邪魔で入れない。それもその筈、化け鳥は大翼を広げた状態で入ろうとしているのだから入れるわけがない。数分くらい無防備な背中を葉昏に見せつけながら侵入を試みたところで、入れないことを悟り一旦体を元に戻した。
「小さい。なら。広げる」
そういって化け鳥は扉の上部分を下から両手で掴み、両足を扉の下部分にセットする。『フンッ』という腹に力を込める声が聞こえたすぐ後、『メリメリ』という明らかに何かが裂ける音が聞こえ始めた。
「う、嘘だろ……塗装だけとはいえ、白剛で出来た壁だぞ。何で裂けてんだよォ!!!」
店の中にいた人間全員が恐怖した。化け物が自分の所有する建物の扉を広げて入ってこようとしているのだ。しかもそれが常識的に考えれば最も安全な作りで出来ているはずの施設内にいれば、その恐怖は倍増する。
「もう。ちょっと」
「ッッ!」
背中に衝撃が走った。先ほどのむず痒い行為とは違い、肉を貫き骨を少し振動させる攻撃。宿を破る態勢は解かなかったが破る事は一時的に止め、後ろを少し振り返った先にいたのは、先ほど吹っ飛ばした男、葉昏の姿であった。
葉昏は腕と肩とを繋ぐ関節部分を的確に狙ってきた。刀を仕舞う入り口部分である鯉口の部分を掌底した一撃は打撃としては一級品のモノであったが、化け鳥からしてみれば肩と肩がぶつかる衝撃程度にしか感じない。
「何か。用?」
「これでも……!」
「葉昏さん、下がってください!!」
店の中から聞こえたその声はシクスの声だった。葉昏、化け鳥両名は互いにを見ることを止め、声の主であるシクスの方を向いた。言葉の意味を理解することはでいなかったが、葉昏は言葉に従って化け物の背を蹴って後方へと跳ぶと、それと同時に火炎が化け鳥の顔面を包み込むように内から外へと伸びてきた。
「灼い。目障り。止めっ」
炎の中会話しているという事は、大したダメージを負ってはいないだろう。だが炎を払おうとしてか、それとも目当ての人間がいて手を伸ばしてか、扉を支えていた腕が一本減ったことでその態勢をとどめ続けることができず、化け物の体は反発するように店の外へと押し出された。
「発見。兄弟。標的。シクス」
黒煙からようやく顔の状況を目視で把握することができた。黄色い嘴と琥珀のように美しい色だった羽根は、炎に焼かれ変色している。
「礼を言うぞシクス! だが敵の狙いが主な以上、早く逃げろ!!」
「葉昏さ……!!?」
化け鳥の背後に見えた葉昏は右脇腹を抑え、口からは血が流れている。以前戦った敵では圧倒的強さを見せつけてくれたはずの存在が、大きなダメージを負いながらも自分を助けようとしてくれている。
「っ! 『火炎』!!」
両手を花の形に重ねて謎の言葉を発した瞬間、手の内から先ほど見た炎の柱と同様の炎が出現した。炎は化け鳥の体に命中しているが、お構いなしに店の方へと戻っていく。
「馬鹿者! 早く逃げぬか!! こ奴は儂がっ」
「そんな体で何言ってるんですか!! これ以上僕のために傷つくくらいなら、逃げずに僕だって戦います!!!」
「っ……」
言葉が出なかった。確かに元はといえば、弟子の死の予感に動揺して本来の自分の型を無視して特攻した自分の責任だ。冷静に敵の動きに集中していれば大怪我を負わずに済んだし、シクスにも迷惑をかけなかった。
「(落ち着け。戦場に私情を持ち出すな。重要なのは目の前の敵を撃退する事)ふぅー……」
葉昏の戦闘スタイルである、完全防御の構え。前半に敵の攻撃を受け流しながら敵の癖や動き、隠している実力などを洗いざらい見抜き、後半に怒涛且つ速攻で決めにかかるこの型。だが今回のように敵がこちらに見向きもしていない状況であれば、攻撃に対処しないで済む分、前半にかける時間が一気に短縮される。
「到着。壁。面倒。壊す」
シクスを見つけた化け鳥は侵入方法を変え、入り口を上下に裂くのではなく、入り口周りを拳で砕いて侵入する方法へと変えた。炎が当たり続けている限り、シクスがそこにいることは絶対な為、もはや音で気付かれて逃げられる心配がなくなり、大胆な行動をとり始める。
「っく! やっぱり僕の魔法は攻撃向きじゃないっ!!」
薄い壁が壊されるのは時間の問題。壊れればあの近さにいたシクスを捕らえるのも殺すのも、化け鳥からしてみれば容易なこと。にも拘らず、葉昏の精神状態は依然として穏やかなもので、焦りを一切見せずに敵を観察し続ける。
「……」
「フンッ。フンッ。フンッ」
「(駄目っこれ以上ここにいたら店の人達にも被害が……)」
一撃一撃が鈍重で、白剛で塗装した壁が見る見るうちに壊されていく。敵に死ぬ気配がなく、これ以上の抵抗は無駄だと手の形を解き、連れ去ってくれという意思を見せつけるように立ち尽くす。
「諦め。シクス。捕縛。連行」
炎が止み、シクスも手の届く範囲にいることを目視すると、攻撃を止めて入り口から手を伸ばす。店内にいる人は助かってほしいと思う気持ちはあるものの、誰も自ら助けに入ろうとはしない。誰だって本音では自分は可愛いモノである上、あんな化け物に勝てるわけないという考えが脳内完全一致している。
「母様。喜ぶ。俺。激しょっ」
「……よくよく見てみれば、多少体が固いだけで大したことはないな」
瞬きをした一秒にも満たない一瞬。誰もいなかったはずのシクスの横に、葉昏が背を向けて立っていた。その時は何も思わなかった、母様に激賞される妄想で頭が一杯だったからだが、すぐに自信の体に走った激痛に現実へと引き戻される。
「痛い。腹。痛い」
痛みを感じている個所は右脇腹。シクスへと伸ばす手を引いて、体を一旦外へと出してその個所を見ると、何か鋭利なもので腹を斬られている事に気付いた。『何故? どうして?』という疑問の後、シクスの横にいた葉昏の存在を思い出す。
「アイツ。仕業?」
「漸く儂の存在を認識したか阿呆が」
店の扉から悠々(ゆうゆう)と出てきた葉昏。刀に付いた血をこれ見よがしに化け鳥の前で払ってみせ、再び刀を構える。
「お前。邪魔。邪魔。お前。殺す」
「無駄だ。もう貴様の攻撃は受け、ッ!!!」
突然、腹部の痛みを忘れるほどの激痛が脳を襲いかかる。武士の命である刀から手を放し、両手の爪が額の皮膚を貫通して血を流す。異常な程の汗を流し、敵前であるにも拘らず膝を折って悶絶している。
「命乞い? 遅い。お前。殺す」
化け鳥からしてみれば、葉昏が突然土下座をしたようにしか見えない。勿論そんなことをしても許す気は毛頭なく、今度は右手をグーではなく指を立て力を込める。
「死っ」
手突が葉昏に襲い掛かろうとした時、すさまじい音を立てて何かが落下してきた。その音が真横で聞こえたため、思わず攻撃を止めて煙の上がっている方向を見てしまう。
「痛ってぇ……まさか東区まで飛ぶとは思ってもみなかったぁ」
「誰。お前」
「ああ? って、もう一匹の所に連れてきやがったのか。んでもってあの餓鬼のいる所に飛んできたのは予想通りだが、おっさんが苦戦いてるのはちょっと予想外だな」
「い……ずも」
落下してきたのは出雲であった。どうして落下してきたのかという疑問は、上のほうを見ればその正解が飛んでいる。
「【鷹】。遅い」
「【鷲】。何故?」
天を飛翔する鷲と呼ばれる存在。鷹よりも体が巨大だが、それ以外で見た目に違いを見出すのは困難といえるほど、酷似した見た目をしている。
「遅い。見つけた。兄弟」
「いた。中。邪魔者。殺す」
暢気に話している隙に葉昏は鷹の攻撃範囲から離脱し、出雲のいる場所へと転がり込む。出雲は葉昏のように大きな怪我こそないが、かなり披露している様子だ。
「ようおっさん。苦戦中なら手ぇ貸してやろうか?」
「……心配せんでも、この程度の奴くらい儂一人で片付けられる」
「それ聞いて安心したぜ」
「出雲さん!!」
店の中にいたシクスから出雲の刀が投げ渡されると、それを口切に二人は倒れた体を起こして二人は戦闘態勢をとる。
「弟子の前でかっこ悪い真似は取りたくねぇな、どっかの誰かさんみてぇによ」
「勝てば……帳消しだッ!」