王太子の婚約者の心得
わたしは分厚いノートを閉じた。
最後の方は文字が揺れてしまっていて、読めないかもしれない。
それでも、最後の時まで書ききったと思う。
力尽きて、居心地の良い長椅子に体を預けて目を閉じた。
やり切ったという気持ちからなのか、体は重く、頭もぼんやりしてきた。
「エレイン」
近くでルパート様の少し掠れた声がする。すっかり年を取ってしまって、張りのある艶やかな声ではなくなってしまったが、それでもこの年まで一緒に過ごせたことが嬉しい。
「もう休んでしまうのかい?」
返事を返したいけど、気持ちの良い微睡から抜けることができない。ゆったりとした手つきで頭が撫でられる。この撫で方は初めてあった時から変わらない。どんなに不安であっても心が落ち着いて、温かいものだけが残る。
王太子であったルパート様と婚約した時から書き始めて日記はすでに二冊目だ。最初の日記は続きから書いたのだが、それでももう一冊綴ることになるとは思っていなかった。
こうして思い出せば、今もまだ出会った時の様子をはっきりと思い浮かべることができる。
出会って、婚約者として愛されて、愛がなくなってしまったと思って。
それからも、ずっとずっと不安はぬぐえなかった。
だって、愛し愛されていても、未来のことは誰にもわからないから。
新しい愛を手に入れて、古くなった愛は棄てられてしまうかもしれない。
それだけ沢山の女性の嘆きが書き連ねてあった。
でもね。
不幸な日記はこれで終わりだ。
確かにわたしはずっと不安だらけだった。
彼を愛すれば愛するほど、信じれば信じるほど、失うことを恐れた。
その都度、ルパート様はわたしの目を覗き込んで艶やかに笑う。
その目が一番好きだ、と。
私の人生は愛と不安ばかりだった。
それでも、この最後の日にはこう綴ることができる。
愛し、愛され幸せだった。
だけど、その愛は永遠と思うことなかれ。
なくなってしまう不安をずっと抱きしめていられる強さを。
王族は縋るような不安定な瞳が大好きなのだ。それを変えることはできない。
だから、この不安な気持ちを持ち続けることで向けられる愛を失うことがなくなる。
心穏やかな日がないのだから、他の人にしたら決して幸せなことではないだろう。
それでも、愛したい。愛されたい。
彼のただ一人になりたい。
「おやすみ、エレイン。また後で」
Fin.
あと一話で完結です。