歯車を知る者
遅くなりましたー
「予定通りではないが、予定……通りか」
矛盾を口にした男は、自分が言っていること薄く自重した。
馬鹿馬鹿しいと理解しつつも、それを改めるつもりはなかった。
何故なら、それにどっぷりと慣れてしまっていたから。
男は、ボレアス公爵は、似たような経験を何度もしたことがあり、何度も想定を超えられた。
予想の上を行くこともあれば、予想の遥か斜め下に落ちたこともある。
だが、結果だけはいつも最良。
全く予定通りではなかったのに、結果だけを見れば最良だった。
だから予定通りではなかったが、行き着く所は予定通り。
勇者陣内にはこんな逸話がある。
魔王を倒すはずの勇者たちを、たった一人で倒してしまった。
しかもそれは、魔王討伐への行進のときだ。
これは誰もが心底想定外だった。
予測出来ていたのは一人だけ。彼の奴隷だけしか予測出来ていなかった。
だが、こんな想定外のことが起きたにも関わらず、結果は魔王の消滅。
倒すではなくて消滅。もう復活出来ないように魔王を消滅させたのだ。
そう、最良の結果となった。百年後に復活することはない。
だから男は、ボレアス公爵はそうつぶやいたのだ。
予定通りではないが、予定通りだと。いつも通りだったと。
本当はもっと違う形でジャンと再会させるはずだった。
そしてそのときに、ジャンに宿った【魔王】を排除するつもりだった。
しかし結果は、再会ではなくて遭遇。依頼ではなくて話の流れで魔王の排除。
事務的に進む流れではなくて、友好関係からの流れとなった。
これはジャンにとって良いこと。ジャンは、勇者陣内と友好的な関係を持つことができた。単なる知り合いではない、彼の娘とも交流を深めた。
記憶を失っているのはいつも想定外だが、アイツのことならきっとこのことを覚えているだろうとボレアス公爵は当たりを付ける。
だから後は――
「……次はあの男か。ジンナイとは真逆のヤツ」
ここではない何処かを見ながらそうつぶやく。
あの男とは、アルトガルの現宰相であり、ボレアス公爵が現在最も警戒している人物。もちろん悪い方の意味で。
現宰相であるオラトリオは、常に想定を追ってくる者だった。
こうなるかもしれない、この可能性がある、視野に入れておこう、対策だけは考えておこうということを全て達成してきた男。
ボレアス公爵にとって今回の件もそうだった。
ジャンを外に出せば、どれだけ上手く隠していてもいつか【魔王】の存在が把握される。
そう考えていたが、それがまさにその通りになった。
想定の範囲内だから問題はない、はずだがボレアス公爵は忌々しそうにつぶやく。
「イヤミのようなヤツだ」
想定の範囲内とはいえ、それが続くと嫌になってくる。
言うならば、嫌な予感が常に的中するようなものだ。堪ったものではない。
だから爽快に感じるジンナイとは違い、オラトリオには不快しかなかった。
人間味がない歯車のような男。
それはとても精巧で、一切の狂いが生じない絶対的な歯車。
それがボレアス公爵が抱く彼への印象だった。
オラトリオのことを石像のようだと揶揄する者はいるが、アレはそんな生やさしいものではない、石像以上に無機質なもの。無感情。人の形をした歯車。
「……だが、優秀か」
仕事をこなすという点では非常に優秀。
ボレアス公爵もそれは認める。彼以上の人間を一人しかしらない。
彼がどのくらい優秀かというと、元宰相であったギームルから南風の管理を任されるほど。
ギームルが育て上げた諜報機関である南風は、どの領地の組織よりも優秀でずば抜けている。
分かり易くいうと、政治に関することであれば、ほぼ全て把握していると言っても過言ではないほど。そして今もそれは変わっていない。
そんな組織をオラトリオに託したのだ。
最大の評価と言って良い。
ギームルのことを知っているボレアス公爵からすれば、それがどれだけのことか正しく理解していた。それと同時になんてことだと嘆いた。
情報を扱う難しさをボレアス公爵は理解していた。
ボレアス公爵には、反面教師であり、同時に正しさを教えてくれた人物が存在した。
その人物の名は赤城俊介。
彼は勇者であり、勇者同盟というアライアンスを率いていた。
とても統率のとれたアライアンスだったが、最初の頃は酷い失敗を繰り返していた。
一時は瓦解し掛かったこともあったが、人の苦労や、その人の立場などを理解することで、認識の押しつけやレッテル張りがなくなり、後期にはとても優秀なアライアンスとなった。
それを間近で見てきたからボレアス公爵はよく分かっていた。
あれは駄目だと。組織を回すことに掛けてはとても優秀かもしれないが、必要以上に組織を回してしまう。迅速すぎると懸念していた。
オラトリオは、世の中を回すことしか考えていない。
淡々と、ただ淡々と回すことしか。
人の変化を待つことなく、必要だと考えたことを回していく。
そんなに急いでは行き詰まってしまう。
決めた一本道を全力で駆けるようなもの。
決して悪いことではないが、それは個人の場合。
街、領地、国、世界に照らし合わせた場合、それはマイナスでしかない。
ボレアス公爵はそれが分かっていた。
「出し抜いてみせる」
だからこそ、屈するつもりはないと誓うボレアス公爵。
確かに今は後れを取っている状態だが、いつか南風を超える諜報機関を作り上げると心に決めていた。
そうでないときっと彼らを守り切れない。
もし守り切れなかった場合は、このイセカイは崩壊すると予測していた。
そう、勇者ジンナイを守り切れなかった場合、間違いなく彼は爆発する。
苦境に立たされれば立たされるほど強さを発揮する”ゆうしゃ”。
それを一番見てきたのは自分だとボレアス公爵は自負する。
だから今日も動く。
「少なくとも10年は黙らせてやる」
オラトリオは許可なくボレアスの街に入っていた。
普通ならば、地位のある者は他の領地に入る場合は伺いを立てるものだ。
そうやって衝突や軋轢を回避するのが務め。
だがそれを怠り、不意打ちのように姿を見せた。
あれは牽制の意味を込めたモノだったのかもしれないが、【魔王】という弱みはなくなった。
オラトリオは確認したと言うかもしれないが、あの場は公式な場ではなかった。
だからもう無い今は、オラトリオの言い分は通らない。
その点をネチネチと責めてやり、少しの間だけでも身動きを取り難くしてやると、ボレアス公爵は落とし所を決める。
さあ、ここからは自分の仕事だ。
勇者赤城に仕えていたボレアス公爵、いやドライゼンは、勇者赤城から賜った黒縁に眼鏡を掛けて、歯車の男と対峙するのだった。