ラティさんの耳はすごい
女の子から場所を聞き、ラティさんにその場所を報告した。
「あの、あちらに見える塔の近くの右ですか」
「……うん」
トラバサミの女の子、ササラちゃんから聞いた場所は、ここから見える、300メートルほど離れた場所にある塔の近くだった。詳しい住所などは知らないそうだ。
近くに行けばそれらしい建物があるので、ササラちゃんはそれで覚えていたみたいだ。
「行ってみれば、すぐに分かるのですねぇ?」
「…………うん、そう言ってた」
難しい顔でふむと考え込むラティさん。
俺も申し訳ないと思う。もっと具体的に分かれば良いのだが、子供らしい曖昧な返答だったのだ。
詳しく聞くことも可能だが、これ以上は怖がらせてしまうので切り上げた。
あと、木刀と言い張る設定から一刻も早く逃げたかった。
「では、行ってみますか」
「うん、行こう」
教えてもらった場所に向かおうとするラティさん。
するとそのとき。
「ラーシルですか」
「えっ? あ、いや、その、パッと浮かんだというか、それがいいな~ってなんとなく思って、それで――って、聞こえてたの??」
「はい、一応近くまで寄っていたので」
「あ、なるほど」
「ラーシル……。ええ、良い傾向ですねぇ」
「ん? よいけいこう?」
「いえ、急ぎましょう。ヨーイチさん」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう真っ暗に街中を、”アカリ”を頼りに辿り着いた。
ササラちゃんが言ってた塔の近くの横。恐らくここだと思う。
辺りには他の建物がない。ポツンと建っている。
「確かに、塔の横を言えますねぇ」
「あ、ああ」
塔と呼ばれていた建物は、多分サイロだ。
何か授業で見た覚えがある。それに良く似たものが建っていた。
そしてそれに寄り添うように、平屋と言って良い建物があった。
何となくだが、廃棄された施設のように見える。
まだ使われているのかもしれないが、それでも人があまり来ない場所のように思えた。華やかな街の裏側のよう。
「あの、多分ここだと思います。ここからは見えませんが、前を見張っている者が一人います」
「え? 見張り?」
辺りは真っ暗だが、月明かりで辛うじて分かる。
しかし見える範囲にはいない。
「あの陰に隠れる形で一人います」
「そっか、【索敵】で判るんだ。ん? と言うことは……」
「はい、恐らくこちらに気がついています。意識がこちらに向いていますねぇ」
お互い姿は見えていないが、誰か居ることは把握している状況。
ラティさんの言動から、ここが目的地だと確信する。とても怪しい。
「どうしようか?」
「あの、行くしかないのでは? 交渉が目的で訪れたのですし」
「あ、そうか」
いつの間に勘違いしていた。俺は忍び込むつもりでいた。
しかしよく考えてみたら、お金を払って穏便に済ませる予定だった。
「じゃあ、行こう」
「はい」
隠れることを止め、サイロがある建物に近寄る。
こちらは”アカリ”を出しているので、相手からは丸見えだ。
俺は堂々と前を歩き、敵対心がないことを示す。
「あの、ヨーイチさん」
「うん? 何か相手に動きがあった? あ、ひょっとして武器を持ち出したとか? それとも魔法とか?」
「いえ、その……」
「ん?」
「あの、その歩き方では相手の警戒心を煽るかと」
「へ?」
そう言われて初めて気がつく。
普通に歩いているつもりだったのだが、何故か重心を落としていた。
足の横幅も広げ、いつでも横へと回避できるようにしている。
要は、モロに身構えていた。
「えっとこれは……あれ?」
「なるほど、無意識にですか」
困った顔をしながらも、どこか嬉しそうなラティさん。
どういうことなのだろうと思ったそのとき、建物の扉が開いた。
「おい、オマエらそこで止まれ。……何の用だ」
「ササラって子の代理で来た」
「あん? ササラぁ?」
「借金のカタに姉を連れて行かれた子だ。だから返して欲しい」
「…………ひょっとしてあの鍛冶屋か。………………帰れ」
「? 帰れ? いや、代理で借金を返しに来たんだけど」
ここでふと気がつく。俺は借金の金額を聞き忘れていた。
一体いくらだろうか、動揺を悟らせないよう一芝居打つ。
「間違いがないようにしたい。まずは金額を言ってくれ」
「金貨、100枚――いや、金貨500枚だ」
「は? ちょっと待て、なんかおかしいぞ」
この異世界に疎い俺でも分かる。
金貨100枚と言えば元の世界で一千万近く。
元の世界と異世界では物価の価格が違うから同じ価値観ではないが、それでも金貨100枚は高すぎる。
しかも、500枚に訂正した。
明らかに不自然。絶対に額が違う。
「嘘、ですねぇ。本当の金額はいくらですか? 500枚なんて大金は不自然です。個人に貸す金額の度を超えています」
「なんだぁ、オンナ。おれが言ったことにケチ付けようってんか」
値踏みするような目でラティさんを見る男。
さっきまでしかめっ面だったのに、それが厭らしく綻んだ。
「へぇ、そうかぁ」
今度は意識して身構える。
何か良くないモノがやってくる。経験からそんな気がした。
「おい、オンナ。オマエとだけなら話を聞いてやる。中に入れ」
男はそう言って来るように雑な手招きをした。
スッと頭の中が冷えていく。
「ヨーイチさん、落ち着いてください」
「あ、……うん」
どういうことなのか、いつの間にか男の脚に狙いをつけていた。
まずは身動きをとれないように、そんな考えが頭の中を占めていた。
もしラティさんが止めていなかったら、俺は間違いなくそれを実行していた。
「ありがとう。なんか勝手に動こうとしてた。ごめん」
「……いえ、いつものことですので、お気になさらず」
「……はい?」
何か釈然としないことを言われた気がしたが、今は大人しくする。
前をラティさんに譲る。
「わたしは、この方の仕えとしてこの場に来ました。だからこの方を残して中に入ることは出来ません。それでよろしいでしょうか?」
「んだあ? おれの言ったことに従えねえってんか? ならこの話はなしだ。金貨600枚ってのはなしだ」
しれっとまた値上げをする男。
コイツの言動から分かる、最初から交渉に応じる気がないと。
そしてこうやって話しているのは時間稼ぎで、きっと裏で何か動いている。
( そうなると……なんだろ? )
パッと思い浮かぶのは包囲。
こうやって話で引き付けて、俺たちが逃げられないように取り囲む作戦。
よくある定番だ。
だけど、包囲されている感じはしない。
何か確信があるワケではないが、何故かそれが分かった。
包囲されていない。
じゃあ他に何があるか、そう考えたが何も思い浮かばない。
「ん?」
誰かもう一人やってきたみたいだ。
男が後ろからやってきた誰かと話をしている。
「……他はいない。ソイツら、だけ。兵はいない、だそうです」
「え? 聞こえたの?」
「はい、微かですが、何とか声を拾えました」
さすがはラティさんと言うべきか、何か話している程度しか聞こえない声をしっかりと聞き取っていた。
ときどき撫でさせてくれる獣耳は伊達じゃなかった。
あんなに柔らかくてフルフルなのに、しっかりさんのお耳だ。
そうだ、これが終わったらまた触らせてもらいたい。
耳の先の方をしゅっしゅと撫でたい。
「……あの、何かどうでも良いことを考えていませんか?」
「っ!? いや、そんなことないよ。凄えなぁって思ってただけ。……で、相手の出方はどうなると思う」
交渉らしい交渉もなく決裂してしまった。
俺の意図は読まれてしまったが、相手の意図が読めない。
「ちゃんと借りたお金は返す。だからササラちゃんのお姉さんを」
「はっ、そんなはした金を今さら返されてもいらねえんだよ。殴られる前にとっとと失せろウスノロがっ」
こっちの話をまったく聞いてくれない。
もうどうしたら良いか、そんな思いでラティさんを見たら、答えを出していた。
「そうですか、交渉決裂ですねぇ。では――」
淡い月明かりの下に、亜麻色の閃光が迸ったのだった。