追っ手の男
おまたせですー
おかしい、何かおかしい……
その男は、心の中で何度もそう独りごちていた。
ワケの分からない黒ずくめの男が、建物の上を駆け回っている。
しかも二人の子供を抱えて軽やかに。
普通だったら走り回れないし、建物と建物の間を飛ぶことなんてのは無理。
もし出来るとしたら、それは【天翔】など空を蹴ることが【固有能力】持ちだ。
だと言うのに、あの黒ずくめにそんな素振りはなく、身体能力だけで駆け回り飛び回っていた。
ハッキリ言って異様だ。おかし過ぎる。
しかしその男には、相手が何者であろうと引けない事情があった。
それは主からの命令。
ボレアスにとって忌み子と言える子供を確保し、懐柔して手懐ける。
何年か掛けて洗脳に近い服従を強いて、あとは現公爵を暗殺すれば良い。
そして忌み子を、ボレアスの正統の後継者として担ぎ上げる。
貴族にとって血の縛りは絶対だ。
血統を無視するというこは、貴族のあり方を根底から否定するに等しい。
そもそも貴族とは、勇者の血を引く者たち。
中には勇者の血を引かない貴族もいるが、それは功績が認められて爵位した男爵ぐらい。
上級男爵以上は、ほぼ勇者の血を引いている。
そしてボレアス公爵家は、貴族の中でも最大の大貴族だ。
公爵家は初代勇者の血を引く者。他の貴族より血統を重視する。
重みが違う
それがどんな茶番であったとしても、正統な後継者を無視することはできない。
だからこんな誘拐に手を出した。
もしこれが失敗したら、間違いなく大きな痛手となる。
下手をしたらそのまま潰される可能性だってある。
男はそれを理解していたから、異様、異質、異形の黒ずくめの男を追った。
その先にどんな結末が待っていようと、もう止まることはできないから。
「上にいるんだ! そのまま追うな! ヤツらを建物に切れ目に追い込め」
「この街のどこにそんなところがあんだよっ、そんな場所が! 追い込むなら上に登ったヤツがいる場所にしろよ! あっちだ」
「おい、見張りなんてもう意味ねえから、あいつらにも手伝わせろ」
「上がれるヤツは上がれ、あっちは荷物を抱えてんだ、追えばいつか疲れるはずだ。トコトン追い回せよ。あああっくそ! 頭を使えよ! 詰まってのは綿かよ」
明確なリーダーがいないため、事前に決めていたこと以外は後手に回っている追っ手たち、右往左往とバラつき始めた。
数で押せば何とかなると楽観視していたのだ。
ここに来て焦りの色が濃くなってきた。誰もが愚痴のようなことを言い出す。
そして一人の男も。
「くそっ、なんだよアイツは」
最初に黒ずくめへ声を掛けた男は、あのときの自分の判断を悔やんでいた。
黒ずくめのローブ姿に三白眼。幼い子供を抱えていたが、所帯を持てる風貌には見えず、どこをどう見ても人さらいの類い。
最近はめっきり減ったが、孤児をさらう輩はまだ存在する。
特に今は、狼人の子供は高値が付くので、人攫いが居なくなることは当分ない。
そしてそういうことをするヤツは、大半が碌でもないヤツらばかり。
関わると面倒そうなので、男は下手な芝居に乗ってやってやり過ごした。
しかしアレは間違いだった。
何処に子供を隠していたのか分からないが、もっと調べるべきだったと後悔していた。
それを咎めるように横から言われる。
「だからオレが言ったろ、アイツは怪しいって」
「うるせえっ、まさかあんな下手な芝居するヤツが……よう」
「言い合ってんじゃねえ! 急ぐぞ、時間を掛けすぎだ」
「分かってるってのっ、だからこうして走ってんだろ。――くそっ」
逃げ回られてからそれなりの時間が経っている。
早くしないと住人に怪しまれる。そろそろ衛兵がやって来てもおかしくない。
それどころか、黒ずくめの男が詰め所に逃げ込むかもしれない。
そんな思いがさらに焦りの色を濃くする、が……
「……いや、きっと大丈夫だろ……」
確信があるわけではないが、ヤツの風貌から真っ当な人間ではないと踏む。
そうでなかったら、とっくの昔に詰め所へと駆け込まれているはずだ。
あの黒ずくめの男も、オレたちと同じように脛に傷持つ身、――いや、オレたちよりももっと酷いかもしれない。そんな雰囲気を醸し出していた。
そう思うことで、追っ手の男は平静を取り戻すが――
「あん?」
さっきまで仲間が居たはずなのに、その数が明らかに減っていた。
上ばかり見ていて気がつかなかったが、横に居たヤツらも居なくなっていた。
「……一体なにがあったん――っ」
そう疑問を浮かべたその瞬間、男の視界が暗転した。
背後から殴られたのか、それとも何かの魔法だったのか、何が起きたのか分からぬまま、男は地面に伏したのだった。




