とある男の苦悩
「くそっ、なんでこんなことに」
男は激しく憤っていた。
それと同時に、冷静さを失うほど焦っていた。
何故なら、領地が割れてしまうほどの事態に発展してしまう可能性があったから。
当たり散らすことは堪えたが、豪奢な机に拳を何度も振り下ろし掛けていた。
男は、理性をギリギリのところで保ち報せを待つ。
「報告はまだかっ、まだ発見出来ていないのか」
そう独りごちたとき、待ち望んだ報告が部屋へと駆け込んできた。
「公爵様、お子を見つけました」
「良くやった! いまどこにいる? どこで保護している」
「あ、いえ……その……」
主の期待の満ちた目に、報告に訪れた者はそっと目を逸らした。
言わねばならぬと分かってはいるが、なかなか切り出すことが出来ずにいた。
当然、部下のそんな姿を見れば察することができる。
公爵様と呼ばれた男、元冒険者であるドライゼンは尋ね方を変えた。
「なにも咎めぬ、早く言え」
「は、はい。お子は――」
事の発端はこうだ。
幽閉されていた一人の子供がいた。ドライゼンの今は亡き妹が産んだ男子。
もしドライゼンに何かあれば、公爵家の跡を継ぐことができる男子。
しかし、その男子の父親に問題があった。
その男子の父親は、元フユイシ伯爵家の嫡男だった。
ジャアという名のドラ息子で、徒党を組んで悪さばかりするしていた。
ドライゼンの妹がお忍びで街に出たとき、不幸な偶然が重なってそのジャアに拐かされてしまった。そしてそのときに子供を授かってしまった。
そんな複雑な事情があり、母子で幽閉されることになった。
本来であれば、間違いなく火種となる子供は処分されるはずだった。
だが当時のドライゼンはそれを決断することができず、幽閉に留めた。
それから時が流れ、心の病でドライゼンの妹は儚く亡くなった。
5歳を迎えた子供を残して。
母を失った子供の立場はとても危うくなった。
後ろ盾ともいえる母が亡くなったのだから仕方のないこと。
何の保護もない火種など消してしまうに限る、それが周りの考えだった。
そんなとき、ある計画の雛形ともいえるモノが舞い込んできた。
その舞い込んできたモノとは、継承権を持つ子供を囮として使い、良からぬことを企む者を事前に釣り上げようという計画。
その計画はドライゼン、そして子供にとって僥倖であった。
それを試験的に試すという名目で、子供を生かすことができるのだから。
しかし問題が発生してしまった。
本来であれば、もっと時間を掛けて計画を進める予定だった。
だがしかし、子供の母の護衛を務めていたアゼルという騎士が、護衛対象を失った絶望感から、出生に秘密を子供に明かしてしまったのだ。
子供は、自分は望まれて産まれた子供ではないと知ってしまった。
それと同時に、あることも悟ってしまった。
成長し、自分が顔を見せるたびに母親は発狂していた。
自分の子供に、自身を犯したジャアの面影を見て母親は発狂していたのだ。
大好きな母の心を追い詰めたのが、自分であると理解してしまった。
これにより計画が大幅に狂ってしまった。
本来であれば、もっと別の伝え方で真実を明かすつもりだった。
最悪な形で知ることとなった。
さらにここで追い打ちとなる事件が起きた。
幽閉されてはいるが、外へと通じる秘密の通路が存在していた。
予定では、事前に子供が逃げ出すと情報を流し、その通路から監視した状態で子供を見張るつもりだった。
そうやって逃がした子供に接触する者を見張る予定だったのだ。
だがしかし、偶然なのか、それとも何者かの手引きか、子供はその通路を使い勝手に出てしまった。
すぐにそのことを把握したドライゼンは、すぐに保護すべく動いた。
そして待ちに待った報告は――
「おい、待て。確認するぞ?」
「……はい」
「我々だけではなくて、アイツを捕まえようとする者たちがいて、そいつらを出し抜く形であの馬鹿が保護している、ということだな?」
「………………………………はい」
報告者は、保護した人物の名前をちゃんと伝えていた。
しかし公爵は『馬鹿』と言い、認めて良いかの悩んだが、頷いた。
「で、その馬鹿は、他にももう一人子供を抱えていると?」
「はい、そのように報告が上がっております。今も子供を二人抱えた状態で逃げ回っていると」
「くそがっ、領地が割れるどころの話じゃないぞ! 下手したらイセカイに穴が……いや、最悪の場合はイセカイが割れるぞ。どうしてそうなった」
「はい? イセカイに穴、ですか?」
「ああ、そうだ! 比喩とかじゃなくて、マジで穴を空けんだぞアイツは」
ドライゼンは頭を抱えた。
その理由はもちろん馬鹿のこと。
もし何かの弾みで、その抱えているもう一人の子供に何かあったらヤツは間違いなく爆発する。そのことをドライゼンは理解していた。
あまりの危険性から、その馬鹿は亡き者にした方が良いとの意見が上がるほど。
一部の貴族からは、世界を滅ぼす魔王と何ら変わりないと囁かれている。
そんな人物が、鉄火場ともいえる場所にいる。
いや、その中心にいると言っても過言ではない。
「あ、あの、そこまで心配なさることなのですか? 勇者ジンナイ様なのですから、少々の追っ手がいたとしても」
頭を抱える公爵を見て、思わずといった感じで発言してしまった。
そんな報告者にドライゼンが吼える。
「お前は何も分かっていないっ、あの馬鹿が関わると、ちょっとしたことが大事になるんだよ! 滑って頭をちょっと打ったときなんてな、たったそれだけの
ことだったのに記憶喪失になりやがったんだぞ! しかも二回! 二回目なんて魔王との戦いを控えているときだぞ! マジで予想外のやらかしをやるんだよ!」
少々大袈裟に熱弁をふるうドライゼン。
だがそれは、決して間違いではなかった。
今は伏せられているが、勇者ジンナイは数々のやらかしがあった。
空へ穴を空けたことや、エウロスの聖剣を叩き折ったこと。
特に一番のやらかしと言われているのが、元の世界への帰還ゲートを破壊したことだ。
イセカイ側としては喜ぶべきことだったが、普通に考えてあり得ない。
しかも壊した理由が、伴侶を安心させたかったという個人的なもの。
それを知っているドライゼンは気が気ではなかった。
「どうしますか? もう数にモノをいわせて包囲し捕まえますか?」
「だからに何も分かっていないと言っているのだ。あの馬鹿を捕まえる? そんなことができるものか。何千、いや何万人連れて行ってもヤツは突破するぞ。勇者ジンナイとはそういう男だ。と言うか、お目付役のラティは、瞬迅は何をやっているのだ」
抱えていた頭を掻きむしるドライゼン。
赤い髪が激しく揺れる。
「瞬迅ですが、彼女の姿は見えず、どこに居るのかまだ分かっておりません」
「くっ」
勇者ジンナイを捕らえることができる者が居たとしたら、それは彼女だけだとドライゼンは思っていた。
実際、階段へと向かう先々で、勇者ジンナイを捕まえるのを見てきた。
しかしその瞬迅がどこに居るのか把握できていない。
「…………捕らえるは諦める」
「え? 諦めるのですか?」
「そうだ。ヤツを捕まえるには、こちらから行くのではなくて、ヤツの方から来てもらうことにする。総出であの馬鹿を包囲しろ。だがな、決して捕らえたりしようとするな。ヤツは馬鹿みたいな勘の良さで穴を見つけて突破してくる」
「包囲だけ、すると?」
「ああ、包囲だけでいい。少し惜しいが、ヤツを追っている連中はもう捕らえろ。本当なら雇い主まで引きずり出す予定だったが、それは諦める」
「はい、そのように通達してまいります」
「いいな、絶対に手を出すな。あの馬鹿は、イセカイを滅ぼすことができる魔王を滅ぼした馬鹿だ。絶対に追い詰めたりするなよ。あとはオレに任せろ」
ボレアス公爵であるドライゼンは、そう念を押して指示を出したのだった。