大跳躍
本当に不思議だ。異様なほど馴染んでいる。
屋根の上を爆走するという、アクション映画でしか観たことがないことをやらかしているのに、何故かなんの違和感も覚えない。
まるで日常的に屋根の上を走っていたかのような感覚。
なので俺は速度を落とすことなく、下を走る追っ手たちを引き離していく。
あと少しだ。
「おい、あそこだ!」
「何だよアイツは!? なんで子供を二人抱えてあんなに速えンだ!?」
「誰か回り込め!」
「屋根の上を走っているヤツをどうやって回り込めってんだよ」
「知るか!!」
怒声がどんどん離れていく、もう少しで振り切れそう。
「よしっ」
「え? ねっ、ねえ? まさか……」
俺がやろうとしていることに気がついたのか、橙色の髪の子供が狼狽えた。
そして必死に懇願してくる。
「ムリだよっ、ぜったいにムリだよ! ねえ、ムリだって!」
俺もそう思う。そう思えるほど開けた所が目に前に迫っている。
距離にして約10メートル以上。次の建物までそれぐらいの距離があるので、その下は大通りか何かだろう。
「落ちちゃうよ!」
「いけるっ」
常識的に考えて絶対に無理。世界記録以上の距離だと思う。
それなのに俺の中から飛べる、身体が余裕だと鼓動する。
「――っよと!」
走り幅跳びみたいに、俺は二人を抱えたまま跳んだ。
爽快感を覚える風が頬を撫でる。思わず笑みがこぼれてしまうほどの浮遊感。
映画でも観たことがない大跳躍の果てに、対岸ともいえる屋根へと着地した。
「おっとと」
勢いを殺し切れずたたら踏むが、くるっと反転することでその勢いを横回転へと逃がした。ワケの分からん重心移動に自分でも驚く。
「…………俺すげぇな。マジでできるとは思わなかった」
「……」
「って、気絶でもしてんのか?」
さっきまで大騒ぎしていたのに、橙色は静かになっていた。
しかしぐったりしつつも震えているので、意識はある様子。
「な、な、なんだよアンタは!? 何者だよ! なんで飛べるんだよ!」
「いや、そう言われても――って、止まってる場合じゃねえ、行くぞ」
やっと引き離せたのだ、ここで止まっては意味がない。
まだ騒いでいる橙だが、そんなのは無視して駆け出したのだった。
「……よし、ここまで来れば平気だな」
追っ手の気配はないし、途中から逃げる方向も変えたので完全にまいたはず。
取りあえず息を整えようと思ったが、そこまで息が上がってなかった。
マジでとんでもない身体能力だ。記憶はないが本当に勇者なのだと実感する。
「……なあ、アンタ何者なんだよ。オレたちを抱えたまますげえ速く走って、そんであんなに飛んだり、ボクの護――じゃなかった、オレの知っているヤツにそんなのいなかったぞ」
屋根に降ろされた橙色頭が、うろんげな目でそう訊いてきた。
しかし『はい、勇者です』と言えるワケもなく、少し言葉に詰まってしまう。
疑わしい目で俺のことを見上げている。
「え、っと……」
良い言い訳が思う浮かばない。
通りすがりの忍者ですと言っても、異世界のヤツには通じないだろう。
いや、元の世界でも多分通じない。なに言ってんだコイツが関の山。
「最初は人さらいかと思ったけど、違うんだよな?」
「あん? なんで人攫いなんだよ。どっからどう見ても違うだろ」
「だってそれ、人じゃないよな? じゅうじんってゆうんだっけ?」
「え?」
そう指差された方を見ると、そこにはリティがいた。
橙色髪は、俺が抱えているリティを指差していたのだ。
もっと正確に言うと、リティのピョンと伸びた耳を指差していた。
走り回ったせいか、しっかりとかぶせていたフードがめくれていた。
「親子かとおもったけど、違うよな?」
そう言って俺の頭の上を見る。
獣耳は無いよなと目で伝えてくる。
「ぐっ」
本当は親子だが、これを肯定してはいけないと注意されている。
この事を人に言ってはいけない。
「あ、いや……」
何故か大人しいリティ。
よく見てみると、ぷしゅーと寝息を立てながら寝ていた。とても可愛い。
あれだけの激走だったというのに、この子の中では何でもなかった様子。
流石はラティさんの子供だ。
「……取りあえず、俺は人攫いとかじゃねえ。まあ、あれだ、ちょっとアグレッシブな観光客だから、その辺はあまり気にするな」
自分でも無茶苦茶言っている自覚はあるが、そんな言葉しか浮かばなかった。
「そっか。じゃあオレの……護衛とかじゃないんだな」
「護衛? なに言ってんだ、お前は」
「オマエじゃない、ボクの名前は…………何でも、ない」
「……」
人のことを言えないが、もう色々とボロが出始めている橙色頭。
やはりコイツは、どっかの資産家の息子だ。もしくは隠し子。
「言えよ、名前。知らねえと不便だろ」
「……ない。ボクに名前なんてない」
「へえ」
取り繕うの忘れて一人称を『ボク』と言っているのに、まだ名前を隠そうとしている。
そんなことに何の意味があるのかしらないが、さすがに橙色頭と呼ぶのはマズいだろう。
( もう何でもいいから適当に呼ぶか )
パッと思い浮かんだの『アン』。
理由は○毛のアンって作品があったので、橙色毛のって感じだ。
しかし『アン』は女性につける名前だろう。
そうなると他に思い浮かんだのは……
「あ~~、ジャンでいいか」
「え?」
「名前が無いんだろ? だったら俺が適当につけてもいいだろ。だから取りあえずお前はジャンだ」
何となくだが、橙色毛のジャンが合う気がした。
他にも、昔見たSF冒険活劇アニメで、ジャンという少年がそんな色の髪をしていた。眼鏡は掛けていないがそれで良いだろう。
「…………ジャン」
「ああ、そうだ。そんでまずは、ジャンがどうして追――っ!」
どうして追われているのか聞こうとしたが、嫌な感覚がした。
まだ遠いが、確実に包囲が始まっている、そんな気がしたのだ。
「な、なんだよっ、どうしたんだんよ」
「ちょっと待ってろ……」
耳を澄ませるように、感覚を研ぎ澄ませてみる。
意識を広く伸ばすみたいな感じ。
すると自分でもよく分からないが、周りに柵を作られているような気がした。
そしてこのまま時間を置けば、柵がどんどん狭まっていき、しかも柵が城壁のような強固なモノに変わってしまう気がした。
「動くぞ。止まってたらヤクイ気がする」
「え? なんで? まさか見つかったの?」
「さあな、でもこのままじゃそうなる。その前に突破するぞ」
柵が薄い気がするところがある。
いま動けば突破できる、そんな確信じみた何かがあった。
完全に包囲される前に動くことを決める。
「よし、あっちだ」
「あっ!? まって!! あっちはさっきよりも」
ウダウダと嫌がっているが、そんなのに構っているほど暇じゃない。
逃げ腰になっているジャンを捕まえ、俺は彼を脇へと抱え固定した。
「フラつかれるとやりに難いから、ちゃんと俺の腰に掴まれ」
「まってよ、だからあっちは」
ジャンが言うように、先ほど飛んだところよりも遠くに屋根があった。
だが、ギリギリ届くと感覚が言っている。
「囲まれる前に行くぞ」
どうしたら良いか分からぬまま、俺は今日二度目の大跳躍を敢行したのだった。