感じたことのない不穏
次の日の朝、俺は再び温泉へと浸かっていた。
その理由はモモちゃんのご機嫌取り。ラティさんとの混浴が目的ではない。
昨日、モモちゃんは俺と一緒にお風呂に入ることをとても楽しみにしており、ずっとワクワクしながらお留守番をしていた。
しかしまだ幼い子供だ。待っている間に眠ってしまった。
そして朝、目を覚ました後、自分が朝まで眠ってしまったことを知り、とてもしょんぼりと落ち込んでいた。
モモちゃんはとても良い子なので、そこで家族風呂に入りたいと我儘を言わなかった。
一瞬寂しいそうな顔を見せたが、すぐにグッと我慢した。
それを見た瞬間、俺の中で父性が弾けた。
速攻で家族風呂を予約して、その一時間後には入れるようにしてもらった。
当然、料金はキチンと払っている。
「モモちゃん熱くない?」
「ちょっとあつい、けど、へいき」
「無理しないようにね。あ、リティ、暴れないで」
「うう」
モモちゃんは膝の上に、リティは左腕で抱っこ。
そんな忙しい状態で俺は湯に浸かっていた。
子供をお風呂に入れるというのは、なかなかどうして大変だった。
特に2歳のリティは、目を離した瞬間溺れようとする。マジで溺れようとする。もうちょっと危機感を持って欲しいものだ。
お湯に顔を浸けては嫌がり、また不思議そうな顔で浸かりに行くを繰り返している。
一体何がしたいのか良く分からない。
ただ判ることは、手を離したら溺れてしまうということ。
リティの身長では水面から顔が出ないのだ。
「あの、たぶんですが、リティは温泉の底が気になっているのでしょう」
「え? 底を?」
隣にいるラティさんがそう言ってきた。
今回もキッチリとタオル巻いている状態。
「はい、きっとリティには不思議に見えるのでしょうねぇ、温泉の底が」
「へえ」
俺は空いている方の腕で底へと手をついた。
大小様々な石が敷き詰められており、ちょっとゴツゴツとした感じ。
お湯が染みて抜けていかないので、何かしらの防水は施されているのだろう。
「おりる、おりる」
「だめ、溺れちゃうでしょ」
俺の腕から逃げだろうとするリティ。
ラティさんが言うように、この子は温泉の底が気になっているのかもしれない。
小さいお手てを懸命に伸ばしている。
「あの、やらせてみてはどうでしょうか?」
「え?」
「何事も経験ですし、良い勉強になるかと」
「なるほど」
確かにラティさんの言う通りかもしれない。
興味を持ったことにチャレンジさせる、これは親の務めだろう。
「良し、少しずつ下げるからな?」
「うんっ、はやく、はやく」
やたらと急かすリティ。俺は少しずつ下げてあげる。
いきなりザップンはまずいので、まずはアゴの辺りまで浸けてやる。
「平気かな?」
アゴまで浸けたが、リティは嫌がる素振りを見せない。
ならばさらに下げてやる。
愛らしいお口が湯の中へと沈み、その次は可愛いお鼻が湯へと――
「ケホっケホっ」
「あっ」
呼吸が出来ず苦しそうに咽せた。
俺はすぐに上げてやる。そして平気かと顔を覗き込む。
「大丈夫か、リティ」
「っ、っ」
「りてぃちゃんっ」
「あら」
泣きはしなかったが、その一歩手前のクシャクシャの顔。
鼻にお湯が入ったのかもしれない。モモちゃんも心配そうにしている。
ラティさんは分かっていたのか、どこか余裕そう。
「リティ? 鼻にお湯が入ったのか? ちょっと見せて――え? 何で!?」
「……」
リティが凄い顔をしていた。
その顔は、『あたしのことをおぼれさせる気か』といった感じ。
もの凄い被害者面だ。完全に俺の所為にしている顔だ。
「リティ? リティがやりたいって言っていたんだよ?」
「ぷい」
ぷいっと目を逸らされてしまった。
それはまるで、俺が悪いと言わんとばかりの態度。
そして、俺のことが信用できなくなったのか、隣のラティさんへと助けを求めだした。
「まま、ままぁ」
「リティ……」
何とも言えない困り顔を浮かべるラティさん。
流石のラティさんもこれは想定していなかった様子。
どうしたものかと首を傾げる。
「まったく、この子は」
「う~」
「あ、暴れないでリティ、また落ちちゃうから」
俺の腕から全力で脱しようと試みるリティ。
足をバタつかせ、ついさっき溺れたことなどお構いなしだ。
落ちたらまた大変なのに困ったもの。
「あっ」
思った以上の脚力、いや、まるでお湯を足場にして蹴っているよう。
予想以上に力にリティを逃げしてしまった。
「リティっ」
ラティさんがすぐに反応して、ダイブ寸前だったリティを救った。
そのとき――
「あ、リティ、駄目です」
「――っ!!??」
リティさんはとても良い仕事をしてくれた。
いくらラティさんでもアレを防ぐことはできなかった。
そう、ラティさんの両手はリティを支えるために塞がっており、溺れる者は藁をも掴む、じゃなくてタオルをも掴むといった感じで、リティは超イイ仕事をしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はい、バンザイして~」
「ぃや~」
服を着せたいのに、リティは俺の言うことを聞いてくれない。
頑なに腕を上げようとぜず、断固拒否の姿勢。イヤイヤ状態。
イイ仕事をしたリティを褒めちぎりたいのに、どうにも取り付く島が無い。
「……ラティさん、お願い」
「はい。ほら、リティ。モモさんはもう着替えていますよ」
今度はリティの機嫌が悪くなってしまった。
あれは事故というか、どちらかと言う自業自得だと思う。
いや、完全に自業自得だ。
だがリティは俺のことを嫌いに……
「うう、理不尽すぎる……」
落ち込んでいる俺をよそに、彼女たちは着替え終えた。
俺にはぷいってしたリティは、いまラティさんにベッタリ。
( いや、それは別に悪いわけじゃないんだけど…… )
正直、かなり寂しい。
いつもなら俺にすり寄ってくるリティが来てくれない。
抱っこをせがまれないことがこんなに辛いこととは知らなかった。
「お父さん、はい」
「モモちゃん、ありがとう」
まだ髪が濡れている俺に、モモちゃんがタオル渡してくれた。
この子は本当に良い子だ。マジで天使級。
モモちゃんは実の娘ではないが、この子は実の娘だ。
「……ヨーイチさん、何か不思議なことを考えていませんでしたか?」
「いや、別にそんなことは……」
ラティさんがそんなことを聞いてきた。
そして次に。
「あの、お気づきですか?」
「ん?」
警戒を促すような低い声音。
その声を聞いて、俺は自然と槍を手にする。
「……何か、揉めている様子です」
『敵意はないようですが』と言いながら、ラティさんは扉の向こう側へと視線を飛ばした。
きっと【索敵】に何かが引っ掛かったのだろう。
『――だ、ぁ、ら。――ぃ、って』
『な、ぃ、っ――ぁ――』
「話し、声?」
何を言いるのかまでは聞こえないが、誰かが言い争っている声が聞こえた。
そのウチのは一人は、この宿の女将さんだろう。聞き覚えのある声だ。
「ラティさん」
「はい。リティ、モモさん、こちらに」
状況は分からないが、まず子供たちを避難させる。
ラティさんが子供たちを家族風呂の方へと連れていく。
それを確認した後、俺は警戒しながら扉へと。
「よし」
敵意はないと言っていたので、いきなり襲われることはないだろう。
だけど何か面倒ごとはある、そんな予感がした。
俺は扉を開けて、声がする方へと向かうと、そこには見たことがある男たちがいた。
「あ、ジンナイ様!」
「ジンナイ様!」
「あ、貴方たちは」
女将さんと言い争っていたのは、監視役の一人と、昨日食堂にいた中年の男。
「申し訳御座いません、お客様。突然やって来て……」
「おい、隠すなよ。この方がジンナイ様だってことは分かってんだぞ!」
「そうだ、そうだ。オレが一番最初に気が付いたんだ。勇者さまを独り占めにするな」
よく分からないが、この言い争いの原因は俺の様子。
俺のことを『独り占めにするな』という言葉が不穏過ぎる。
もう完全に嫌な予感しかしない。
「ズルいぞ女将、勇者をタダで利用しようとだなんて。勇者さまはみんなのものだろう! そんなことが許されるか!」
中年の男も不穏なことを言い出した。
何というか、妙な引っ掛かりと覚える。
もの凄く面倒そうな、そんな予感が。
「勇者様の恩恵を我々にも寄越せ!」
予感は、確信へと変わったのだった。
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ感想などいただけましたら超嬉しいです。
あと、誤字脱字なども……教えていただけましたら幸いです。