異世界でのマナー
続きですー
昔、湯船にタオルを入れてはいけないと習ったことがある。
そう教えてくれたのは誰かまでは覚えていないが、確かにそう習った。
だから俺は、お風呂や銭湯ではそれをちゃんと守った。
しかし今――
「あの、ラティさん。えっと……」
「はい、何でしょうヨーイチさん?」
「えっと、その……タオルを巻いたまま、なのかな~って、思って……」
タオルを巻いたままでは見えない。
何がとは具体的に言わないが、取りあえず見えない。
しかもしっかりと上の方で巻いており、蠱惑的な谷間も見えない。
まるでサラシを巻いているかのよう。
むき出しの肩と鎖骨は大変とても福眼だが……
( できればもうちょっと下の方も…… )
これでは混浴効果が半減だ。
俺は混浴の効果を抜群にしたいのだ。
そして何よりこれはマナーの問題だ。
うん、良くない。タオルを湯船に浸けるのは良くない。
「はい、先ほども申しましたが、銭湯ではそれが礼儀だとお聞きしておりますので、こうしてしっかりと巻いております」
「え!? 異世界じゃそれがマナーなの!?」
「はい、確か、歴代の勇者さまがそう言い伝えたと聞いておりますねぇ。ただ、お風呂では逆に駄目だとか」
「なんと!? あ、いや、でも……あれ?」
ふと何となくだが思い当たることが浮かんだ。
タオルを湯船に入れてはいけないと習ってはいるが、温泉では皆がタオルを巻いていた。正確には、テレビや写真の中だが。
( そういや、昔やっていたゲームでもそうだったな…… )
モンスターを狩るゲームでもそうだった。
温泉に入ることができるが、そのときもタオルを巻いていた気がする。
競争する女の子を育成するゲームでも、温泉のときはタオルでガッチリだった。
「……あれ? タオルを巻くが正しい気がしてきたぞ?」
「あの、どうしたのですか?」
「いや、ちょっと分からなくなっただけで……」
「あ、分からなくと言えば、先ほどの魔物との戦いのことですが」
「ああ、デカいの魔物のこと?」
あの魔物は強かった。
まさに魔王級(推定)の強さだった。
「あの、何故ヨーイチさんは苦戦されていたのですか? 最初は、実力を隠すための敢えてそういったフリをしているのかと思ったのですが、どうにも違ったご様子で。それが分からなくて」
「え? もしかして、ラティさん途中から見ていたんです?」
「はい、どうしたら良いのかと思案しておりました。ですが、ヨーイチさんが…………あのようなことを叫びだしたので、つい出てしまって……」
「ああ、はい。テンパって変なこと言ってたかも……です」
思い返してみれば、かなりアホなことを叫んでいた気がする。
でも分かって欲しい、死ぬかもしれない瀬戸際だったのだ。
相手は魔王級の魔物で、そんな魔物を相手に真っ正面から――
「ん? あれ? ラティさん、あの魔物を簡単に倒していたよね?」
「はい、あの程度の魔物でしたら、いまのわたしなら倒せますので」
「えっと、すご~く強い魔物だったよね?」
「あの、一応強い方なのかもしれませんが、ダンジョンにはもっと強い魔物がおりますので、それに比べたら弱い方かと……」
「へ!? 弱い、方?」
すご~く気を遣われた口調で言われてしまった。
申し訳なさげな伏せ目がちょっとエッチぃ。
どうやらあの大物の魔物は、実はそこまで強い魔物ではなかった様子。
「あの、ヨーイチさん?」
「――っ!」
――やべえ、超恥ずかしいっ
勝手にアイツを魔王級だと思ってた、それなのにおれは……
ぎゃぼおおおおおお!!
強い魔物だと思って。だから俺は回避に徹していた。
下手な攻撃は自身を危険に晒すことになる。なので手を出さずに逃げ回っていた。
しかしそれを、ラティさんは離れてた場所で見ていた。
彼女の目には不思議に映っていたことだろう。
簡単に倒せる相手に逃げ惑っている夫……
「ぎゃぼおおぉぉ」
気が付くと恥ずかしくなってきた。
普通に戦えば勝てる相手に、俺はビビって逃げ回っていたことになる。
( マジかああああっ )
メッチャ恥ずかしくなってきた。赤くなった顔を湯船に沈めて隠す。
穴が無かったから湯船に沈んでみた。
ブクブクブクブクと意味も無く気泡を出してみる。
もう何でも良いから気を紛らわしたい。何ならフグになってしまいたい。
そんなアホなことを考えていると。
「ヨーイチさん」
「ぶ、く……」
顔を優しく抱き抱えられた。
その柔らかい手は、自身のタオルが巻かれた胸元へと導いていく。
「あの、落ち着かれましたか?」
「……はい」
ラティさんの心音を聴くような形になっていた。
やわりやわりと髪を梳いてくれる指先がとても心地良い。
このままの時間が永遠に続いて欲しいと願ってしまう。
そんな大事な時間が流れる。
「……」
「……」
俺が落ち着くまで待ってくれている。
何だか子供に戻った気分のよう。もっと甘えたくなってくる。
( ああ、幸せだ……。マジで幸せ……………………むぅ )
人はとても欲深い生き物だ。
幸せな刻だというのに、さらに先を望んでしまう。
俺はできるだけさり気なく、口をつかってタオルを緩めることを試みる。
タオルは生地をかませるようにして止めている。それを解けばサラリと落ちるはずだ。
( あとちょい…… )
さらにアゴも使い、できるだけ自然にはだけるように――
「ヨーイチさん、何をなさっているのですか?」
「………………ちょっと痒くて、動いていました」
残念ながら気が付かれてしまった。
あと少しで止めている所を解すことができたのに、それをまた元に戻されてしまった。これではタオルの奥を見ることが叶わない。
ミッション失敗だ。
「な、何卒、何卒どうか……」
具体的には言わないが、俺は願うように訴えかける。
俺が何を望んでいるのか分かっているはず。
聡いラティさんが気が付かないはずがない。だから何卒どうかだ。
「……」
「……」
( 通るかっ!? )
「……っ」
「ああっ」
ラティさんは身体の向きを変えて、こちらに背を向けてしまった。
真っ白な背中は大変艶めかしいが、できれば前も見たい。
明るい場所でラティさんを――
「――どなたですか?」
「え?」
警戒を滲ませた彼女の声音。
ラティさんは俺に背を向けたのではなくて、脱衣所がある扉の方に顔を向けたのだった。
「……誰かいるの?」
俺は小声でラティさんにそう尋ねた。
「はい、誰か居ます。敵意はないようですが……」
ラティさんは【索敵】を張っていると言っていた。
その理由は、娘たちが起きたらすぐ分かるようにだ。
寝ている相手は【索敵】に引っ掛からないが、起きればすぐに分かる。
だから【索敵】でリティたちは見ていてくれたのだ。
「ご入浴中、大変申し訳御座いません」
聞こえてきたのは女性の声だった。
多分だが、声の主は宿の女将さん。
「……何の用でしょうか? まだ温泉を使って良い時間ですよね?」
時計を見て確認したわけではないが、まだ一時間も経っていないはず。
家族風呂を借りた時間は二時間だ。
「はい、まだお時間では御座いません。少々確認が御座いまして、少しよろしいでしょうかジンナイ様。あと、瞬迅ラティ様」
「――っ!?」
「……」
脱衣所に控えている女将は、俺たちの名前を呼んだのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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あと、誤字脱字なども……