俺は生き足掻く
石畳に靴底を擦り付けながら、薄暗い街中を走り抜ける。
何とも言えない戦慄に身を任せ、俺は軽くテンパっていた。
( く、くそ、これってマズいよな )
甘く良い香りがする。
自分とは違う柔らかな温かさがする。
思っていたよりもずっと細く、力を入れすぎたら壊してしまいそう。
首に回された遠慮がちな腕は細く、男の保護欲を異様に掻き立てる。
そして揺れるたびに当たる柔らかさは、己の己を立ち上がらせようとする。
( ちくしょっ! どうしてこうなったあああっ )
現在俺は、言葉をお姫様抱っこして爆走中。
すれ違う人たちが皆俺たちのことを見ている。中には指を差している者も。
もう止まってしまいたい、だが追っ手がいるのでそうはいかない。
もしこのことをモモちゃんに知られたら死んでしまう。
考えれば考えるほどテンパっていく。
「あの、重く……ないです、か」
「いや、全然そんなことないから。マジで全然。何なら言葉を三人重ねたって余裕で持てるから気にすんな。うん」
色々とテンパって阿呆なことを口にしてしまう。
女性を抱えて動揺しているのが丸わかりだ。いくら何でもテンパり過ぎ、童貞かよ俺。
誰かを抱き抱えたことがないわけではないのだ。
リティとモモちゃんなら何回も抱っこしたことがある。
子供特有の体温の高さと、ふにふにと柔らかい身体は新品の毛布の塊のような感じだ。抱っこしていると不思議な安らぎを覚える。
一方抱えている言葉は、束ねたビロードや絹布のよう。
しっとりと柔らかく、ゴツゴツとした感じが一切無くて、抱き抱えたまま横になってしまいたい欲求へと駆られる感じ。
「言葉、さん。もうちょっとだけ……」
「は、はぃ……」
彼女がギュッとしがみついてきた。
俺としては『もうちょっとだけ離れて欲しい』と言うつもりだった。
だが言葉は言い終える前に勘違いをして、少しでも走りやすいようにしがみついて身体を固定してくれた。
当たるような柔らかさが、ぐっと押し付けられるモノへと変わった。
一瞬様々に心が揺れ動く。
だがこれでしっかりと固定された。もっと走りやすくなった。
「……このまま一気に振り切るから」
「はい」
できるだけ意識しないように努め、俺は全力で追っ手のヤツらを引き離す。
( しかし、何でだ? )
理由はよく分からないが、この状態に慣れている感じがした。
人を抱えたまま走ることに違和感を覚えない。身体が妙に慣れていて、人を抱えたままで走るコツを知っている感じだ。
だから思っていたよりも走りやすい。
「よし、もっと飛ばす。言葉、舌を噛むなよ」
「――っ!」
俺は言葉を抱えた状態にもかかわらず、呆気なく追っ手を振り切れたのだった。
「……ここでしばらくやり過ごすぞ」
「はい」
見通しが良く、それでいて姿が隠せる茂みへと身を潜めた。
本当ならばもっと走り続けた方が良いのだろう。だが、抱えられている言葉への負担が大きく、彼女が辛そうにしていたので隠れることにした。
やはり抱えられて揺らされるのがキツかったのか、地面に下ろすとホッとした表情を見せる。
「さて、相手は……あ、来た」
追っ手の姿が見えた。
ただ見えたと言ってもかなり離れており、こちらに気が付いた様子は一切無い。
数人が集まってきて、辺りを見回しながら何かを話し合っている。
「……6,7、8、もっといるか?」
「はい。そう、みたいです」
最初にやって来た神官服の男が、指示を出して仲間たちを走らせている。
どうやらアイツは立場が上の人間のようだ。
俺はそのまま追っ手のヤツらを注視し続ける。
「諦める様子は無しか」
「どうしましょう……。何とか唯ちゃんのところに行ければ良いのですが」
「そうさせないための陣形だな、あれは」
神官服の男は、追いかけるよりも包囲線を徹底していた。
多分だが、潜むのを止めて遠ざかったとしても、その先に伏兵を配置しているだろう。
どれだけの人数が投入されている分からないので、いまは迂闊に動けない。
――って言っても、目的は言葉の説得だよな?
何か襲うとか無理強いすることはないと思うけど、
いや、強引に攫うって線もあるか? だけどそれだと……
相手の意図は分かるが、そのための手段の度合いが分からない。
どこまで強硬な手段で来るか読み切れない。
「なあ、言葉、さん。ちょっと聞きたいんだけど、あの教会って、言葉さんに所属して欲しいって感じで来てるんだよね?」
「はい……。教会の聖母になって下さいって……」
「へ? 聖母ってまさかっ」
記憶がないのでこれは人から聞いた話だが。ユグドラシル教は葉月に強引に事を迫ったことがあるらしい。
しかも巫山戯たことに、複数を相手にさせようとしたとかどうだとか。
要は、教会側の人間と勇者の子供が欲しい。
そしてその子供を、神から授かりし子にしようと画策したのだかと。
そのためになり振り構わず、とんでもないことをやらかそうとした。
「くそがっ」
思わず汚い言葉が出る。
ギームルのジイさんが教会の力を削ぎたい思いがよく分かる。
もしかするとこの異世界では当たり前の考えなのかもしれないが、そんなものは到底受け入れられない。
ネトリの村でもそうだが、元の世界ではあり得ないことが多すぎる。
「よし、絶対に逃げ切るぞ。そんで三雲たちと合流だ」
「はい、陽一さん」
力押しで何とかできない相手ではないが、それだと俺の正体がバレる恐れがある。なので俺は、全力で逃げ切ることを決心する。
「言葉、さん。後ろをついてきてね」
「……はぃ」
言葉の手を取り、茂みから茂みへと移る。
俺に【索敵】といった便利な力はないが、妙な勘の良さだけはある。
何となくでなく、もっと鋭い感覚で行ってはいけない方向が分かる。
俺は勘に従い、少しずつ、少しずつ移動する。
「こっちに、居るな……ん? こっちも危ない? あれ? こっちも?」
「……」
勘に従い、追っ手がいない方へと進み続けた。
だがしかし、進むにつれて選択肢が減っていった。
どの道も危険と勘が警鐘を鳴らし、最終的には屋根の上に登れと告げてくる始末。
俺一人だったら登っているが、一緒にいるのは言葉だ。
あまり運動神経の良さそうじゃない彼女を上に連れていくことはできない。
そしてとうとう俺たちは、一本の水路へと追い込まれた。
「どうすっか、飛び越えるしかねえか」
「え、ここをでしょうか?」
水路の幅は3メートル程。
転落防止用の柵があるので、助走をつけて飛ぶことはできない。
もし飛び越えるのなら、柵の上に立って助走無しで飛ぶ必要がある。
取りあえず俺なら余裕だ。余裕で飛び越えられる自信がある。
だがここでも言葉だと。
「ここ、を……」
言葉が眉をハの字に落とし、不安そうな顔で水路を覗き込む。
落ちて死ぬような高さではないが、暗い水辺というものは異様に不安感を掻き立てるもの。
( ちっと厳しいか )
身体能力もそうだが、度胸とか裾の長い服装だとかなり厳しそうだ。
何か橋の代わりになる物がないか探すが、そんな都合の良い物は落ちていない。
誰かの足音が近づいてきた。
「く、そろそろ来る。こうなったら俺が抱えて」
「――勇気を、下さい」
もうこれ以上この場に留まれない。
だから俺が抱えて飛び越えようとしたそのとき、どっかで聞いたことがあるセリフが飛んできた。
「え、いや、俺がお前を抱えて飛ぶから……」
「と、飛べます。勇気があれば、私でも飛び越えられます。……だから」
俺は頭の中で、『だからじゃねえよ』と頭を抱える。
言葉が何を望んでいるのか分かっている。今日の俺は分かっている。
「ダメ、でしょうか?」
「いや、ダメって言うか……その、色々とマズいというか、なんというか」
薄暗い中、頬を朱に染めた言葉が俺を見上げている。
しかも距離がかなり近い。顔を少しでも下げたら触れてしまいそうなほど。
ふと、森の中にある俺の家で迫られたことを思い出してしまう。
「勇気を貰えたら、きっと飛べます」
「いや、だけど……」
「な~~に、やってんのよ。アンタ」
「え?」
突然横から険のある声がした。
その声がした方に顔を向けると、そこには言葉の番犬こと三雲唯が居た。
彼女は柵の上でヤンキー座りをして、胡乱げな目で俺を睨めつけている。
「三雲、お前どっから……?」
「ふん、あっち側から飛んできたの。沙織が急に居なくなって探し回っていたのよ。ホントにすごい探したんだから。変な連中も探し回っていたし」
いきなり現れた三雲に驚きはしたが、すぐに安堵が広がった。
彼女が居れば問題ない。きっと三雲の仲間たちも探し回っているはずだ。
嬉しさを共有すべく、俺は言葉の方に顔を向ける。
「良かった、これで――ぅ!!??」
「――っ!?」
目の前に、驚きで目を見開いている言葉の顔があった。
どれくらい目の前かというと、おでことおでこがくっつきそうな程の距離。
鼻の先なんかは触れ合っている。そしてその下も……
勢い良く顔を前に向けたのがいけなかった。
「……んっ」
ゆっくりと言葉の目蓋が下りた。
それはとても愛しむような仕草。全てを任せきる、そんな表情だ。
それを見て俺は、しっとりと柔らかいモノから唇を引き離す。
「い、いや、これは、事故ってか、えっと、その……」
自分がいま何をしてしまったのか分かっている。
よ~く分かっている。
「…………”エグスラ”」
「へ?」
三雲が何もなかった空間から弓を出現させ、自身の足下へと矢を構えた。
光の柱のようなものが立ち上り、それが一気に加速して地面へと穿ち突き刺さる。
「”エグスラ”エグスラ”エグスラ”エグスラ”――」
「お、おい、三雲、何をやって……」
彼女は俺のことを完全に無視して、何発、何十発とWSを地面へと放ち続けた。まるで光り輝くパイルバンカーのように。
「はぁ、はぁ、はぁ、これぐらいでいいわね」
「三雲、お前、何をやって……」
「あん? アンタが落ちる穴を作っただけよ。陣内、さっさと落ちなさい」
「へ? いや、落ちなさいって、何を言って?」
「陣内、『ホール』」
「いや、そんな犬に向かって『ハウス』みたいに言われても入らねえよ。ってか、凄え深そうなんだけど。底が見えねえぞ」
石畳砕き出来た縦穴は、パッと見でも10メートル以上の深さがあった。
もし落ちたら無事では済まないだろう。下手をしたら死ぬこともあり得る。
そんな恐ろしい所に三雲は真顔で入れと言ってくる。
「陣内、アンタ、穴とか落ちるの大好きでしょ? だったらつべこべ言わず落ちて死になさいよ。ってか、死んで」
「いやいやいやっ、好きじゃねえよ! どこの世界に好き好んで落ちるヤツがいんだよ! アホか」
ちょっとマジで何を言ってるのか分からない。
三雲は真顔でトンデモないことを言ってきたうえに、何故か俺の方を指差している。
「アンタなら、こんぐらいどうってことないでしょ」
「十分深いから! そこが見えねえんだぞ」
「そう、底が見えないのが不満なんだ? だったら”アカリ”」
『これでイイんでしょ?』みたいな顔をする三雲。
確かに”アカリ”に照らされて、暗かった穴の底が見えるようになった。
しかし――
「おい、予想よりもズッと深いぞ。これ、20メートル近くねえか?」
「なら余裕ね。ほら、アンタの大好きな穴よ。あ、安心して、ちゃんと上から埋めてあげるから」
「死ぬわっ! 絶対にタダじゃ済まねえから! お前の先祖ってロード○ンナーか何かなの? それとも平安京エイ○アン?」
「いいからさっさと落ちて」
「いや、だって……」
「そう、それなら今見たことをモモちゃんに言うから」
「喜んで、入ります」
俺は潔く縦穴へと飛び込んだ。
それはもう、これでもかってぐらい潔く。
そしてその後俺は、合流してきた三雲の仲間たちによって埋葬されかかった。
ヤツらは容赦なく土を被せてきて、俺を生き埋めにしようとした。中には犬からの汚物も交ざっていた。
俺はそれらを必死に掻き分け、足場へと固め、死んでたまるかと生き足掻いた。
そして日が昇った頃に、無事生還できた。
その日俺は、初の朝帰りをしたのだった。
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